163. 二傑は旅路にあり
十年後。
アントス大陸、メイウ島。
周囲を一面の海に囲まれ、魔物の脅威とは無縁のこの地に脅威が降り注いでいた。
「島民の退避を急げ!」
「第二部隊、撤退しました!」
「増援を要請する! 至急、本国へ連絡を飛ばせ!」
島を支配下に置くグラン帝国の兵士たちが、その脅威に果敢に立ち向かっていた。
『黎触の団』。近年、活動が活発になってきた組織が、ここメイウ島に攻撃を仕掛けたのだ。粘性の未確認生命体を島に放ち、それらが島民を襲いだした。
十年ほど前まで彼らはマリーベル大陸内に活動圏を留めていたが、次第にアントス・リーブ大陸にも勢力を広げ始めた。帝国は『黎触の団』を脅威と見なし情報を探っているが、有益な情報は得られないまま時間が過ぎ、リフォル教と並び彼らは世間から脅威と認識されつつあった。
「くそっ……!」
兵士に迫る粘性の生物……スライムに剣が叩きつけられる。しかし、無情にも剣はスライムの体内に飲み込まれ、溶かされてしまう。
魔術による攻撃を試みた者もいたが、生半可な魔術ではすぐに再生されてしまう。
「中尉。『黎触の団』の拠点と思われる施設を発見しましたが……もぬけの殻です。既に逃げられたようですね」
「おのれ……奴らめ、逃げ足だけは一丁前だな。とにかく、このスライムどもを片付ける方法を学者たちに調べさせろ!」
兵士達の奮戦と、学者達の分析も虚しく、帝国軍は少しずつ追い詰められていた。
正体不明の魔導生物の対処法を発見することは容易ではない。
苦戦する帝国軍の下に、一人の男が歩いて来た。
白のローブに、無地の仮面。あからさまに怪しい身なりをしたその男は、帝国兵の視点からすれば『黎触の団』の一員ではないかと思われるほど場に馴染んでいなかった。
「貴様、止まれ! 何者か名乗れ!」
「旅人だ。例のスライムの倒し方についてだが、粘体の中央に位置する核を破壊すれば良い」
「そんなことは想定済みだ! まず核へ攻撃が届かんのだ!」
急に現れた不審者に、帝国の中尉は露骨に機嫌を悪くする。
そして彼をその場から排除するように命令しようとするが……
「なるほど。では……青嵐の撃、『天牢雪獄』」
彼が剣を一振りするや否や、周囲は青き霧に包まれる。
霧は次第に収縮し冷気を纏う。
「な、なんだこれは……」
「雪、でしょうか……?」
青は次第に白へと変わり、柔らかな雪へと変わる。
周囲に満ちた雪はスライムたちの上に覆い被さり、身動きを制限。
「これでスライムの体は増大できなくなった。あとは地道に削るだけだ」
それを聞いた兵達は剣や斧でスライムの身体を切断する。これまでのように体を再生することはなく、核まで攻撃が届くようになった。
核を壊されたスライムは完全に活動を停止し、息絶える。
「……貴様、何者だ……っと? おい、今の男はどこへ行った?」
「はい? 彼ならそこに……って、居ませんね。いつの間に消えたんでしょう」
いつの間にか男は消えていた。
まるで幻影のように、跡形もなく。
中尉は彼が何者か判断しかねたが、協力してくれたことから敵ではないだろうと判断し、今は目前のスライムの対処に集中するのだった。
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メイウ島、地下。
『黎触の団』の拠点を任された導師は、作戦の成功を確認し、島から出立する準備を進めていた。
今回の彼らの目的は、スライムの試験運用ではなく、帝国の活動勢力を確認すること。辺境の支配下の島に、どれほどの勢力を割けるのか。
『黎触の団』は世界の破滅を最終的な目的とする組織。その悲願を達成する為には、世界を構成する国の規模も確認しておかなくてはならない。
「……やあ、ここが君の家かな?」
導師が発とうとしたその時、背後で声がした。
振り返ると、黒い法服のような衣装を着た女性が佇んでいた。金色の髪に、暗闇に光るエメラルドのような瞳。
「おや、誰かな君は?」
「いやすまない、迷子になってしまってね。地上に変な化け物が溢れて……いやあ、大変だったよ」
彼女は無断で傍にある椅子に腰かけ、足を組んだ。
とても避難してきたとは思えない彼女の態度に、導師は困惑する。
「そうか。私もちょうど島を出るところだったのだよ。よければ君も共に島を出るかね?」
「ああ、それはありがたい。……でも、困ったな」
「む、何か困り事が?」
彼女は鞄から金属製のアミュレットのようなものを取り出した。
それは彼にとって見覚えのある物だった。『黎触の団』の導師に与えられる魔道具。《賢者》と呼ばれる者より授与され、神をも超える力を得ることができるというアミュレット。指輪、首飾りなど様々な形状の物があるが、彼が身につけているのはチョーカー。
彼女はそのアミュレットを複数鞄から取り出し、導師に見せつけた。
「君の力の源を貰わないといけないんだ。島を出る前に貰ってもいいかな?」
「なるほど、帝国の手先だな? だが、甘く見られたものだ……私を一人で抑えられるとでも?」
そう言いつつ、幹部は力を解放する。
目の前の少女がどれほどの力を秘めているのか不明な以上、彼は全力を出す。アミュレットを起動し、力を己の心臓に流し込む。爆発的に魔力が上昇し、あらゆる感覚が高揚する。
「神をも超える、力……! 人間一人で止められはしない……!」
空間を歪ませる程の魔力を発する導師を前にして、彼女は指先一つ動かすことなく、ただ溜息をついた。
「はあ……もう少し考えたまえ。私がこうして『黎触の団』のアミュレットをいくつも所持しているのだから、他の『神をも超える力』とやらを持つ者を倒してきたのは分かるだろう? なぜそこまで豪胆になれるのか、理解に苦しむね。それに、こんな微細な力で馬鹿にされる神々が哀れだよ」
「黙れッ! 賢者様の言葉は絶対ッ! 貴様など、片手で……」
導師が激昂し、彼女へと殴り掛かろうとした、その時。
「跪け」
「がっ……!?」
彼は重力に押し潰される様に、膝を屈した。
思うように身体が動かず、魔力が停滞する。そして、感じたのは畏怖。
眼前、小柄な少女から竜をも凌駕する覇気が放たれた。
「か、身体が……動かぬ」
「どうした、神をも超える力を見せてみろ。それとも……君の崇拝する《賢者様》とやらは嘘つきだったのかな?」
「バケモノが……!」
「バケモノ、か。私はそう呼ばれるのに相応しい力を有している。だが、神様には敵わないと思うんだけどね。君は神様よりも強いから、私よりもバケモノの筈だろう?」
彼女の挑発に、彼は黙って圧されるしかなかった。
何が起こっているのか分からなかったのだ。何故なら彼は、本当に賢者の言葉を信じてきたからだ。己が神よりも強き存在であると信じて疑わなかったが故に、混乱していた。
「……つまらないな。もっと吠えてほしかったものだが。まあ良い、私の視界から消えろ」
彼女がパチンと指を鳴らすと、導師は闇に呑まれ消え失せた。残ったのは、チョーカー型のアミュレットのみ。
彼女はそれを拾い上げ、鞄にしまう。こうして『黎触の団』の幹部を倒すことは、もはや彼女の日常となっていた。
「レア、終わったか」
その時。地下に仮面の男が入って来た。
彼は島に住む人々を救助するという仕事を終え、彼女の元へやって来たのだった。
「イージア。今回はチョーカー型の魔道具だったよ。ここには導師しか居なかったけど……他の『黎触の団』の団員は見つけたかな?」
「いや、既に離脱していたようだ。それにしても……また『黎触の団』か」
災厄を探して旅を続ける彼らは、何か大きな騒動がある場所に訪れることにしていた。だが、その騒動に関わっているのは大抵『黎触の団』か、リフォル教である。
未だにラウンアクロードに関する情報は掴めないでいた。
「どうやら『黎触の団』は余程スライムが好きらしいね。これで四度目か。それとも、スライムを作るしか能が無いのかな? もっと複雑な魔導生物は造れないのだろうね……かわいそうに」
「どうでもいい、早くこの島を出るぞ」
「あー……待ってくれ。足が疲れたよ……少し休憩していかない?」
呑気に椅子に座り続けるレイアカーツ……即ちレアにイージアは呆れ、彼女の提案を無視して去って行く。
彼女は慌てて彼の背を追い、マントの端を掴んだ。
「ちょ、ちょっと! 置いてかないで! はあ……階段を上るのは本当に疲れるんだよ」
「君に疲労という概念が存在するのかは甚だ怪しいが」
「いやいや、私を何だと思っているのか? 君こそ疲れ知らずだよね……体力を少しは分けてくれないかな。それとも、このローブのおかげで疲れないのかい?」
不可思議な力が無数に込められたイージアのローブをレアは引っ張る。これほど高度で、かつ多くの祝福を永久に維持できる魔術の使い手がこの世界に存在するとは彼女には信じられなかった。故に、彼女はこのローブに多大なる関心を寄せていた。
「だからローブを引っ張るなと言っているだろう」
イージアはローブを粗雑に扱うと露骨に不機嫌になる。おそらく彼にとって大切な物なのだろう。
同じように、仮面を取ろうとしても不機嫌になるが……これは単純に顔を見られたくないだけだとレアは推測していた。
「ごめんごめん。お詫びに今日の宿代は奢りにするよ」
「……どうせ安宿だろう」
「おお、正解。よく私のことが分かってきたじゃないか」
彼は一層機嫌を斜めにし、足早にレアを置き去りにしていった。




