147. 二人なら
ジャオ王国の北方、シロハ国へと一行は訪れていた。
この国はマリーベル大陸の最北に位置し、リーブ大陸との境目を持つ国である。大霊の森に沿った街道を抜けると、海岸に出る。ほのかな磯の香りが海風と共に漂ってくる。
「うみ……海です! はじめて見ました!」
「アリス様! 窓からあまり身を乗り出さないでください」
興奮した様子のアリスを見ながら、イージアもまた初めて海を見た日を思い出していた。父と共にルフィア王国へ赴いた際、港町で降りて見せてもらった時。広大な青が視界中に広がっていた。
煌めく陽光がどこか眩しくて、世界がどこまでも続いているように感じたと同時に、遥か彼方へと旅してみたいと思ったものだ。それがこのような形で叶うとは、彼自身も思っていなかったが。
ふと御者台のウジンが口を開く。
「ところでお前さん方。潮汐……潮の満ち引きは、月の形と地脈を流れる邪気に大きく影響されるって知ってるか?」
「そうなんですか? まったく関係性が見えませんね……」
「たしか……月と太陽の引力の引き合いによって海面の昇降具合が変わるのだったか。地脈の邪気の流動によって魔領の域が数百年に一度変化し、海神による支配が上書きされる影響もあるとか」
「おおイージア、お前さん意外と賢いんだな? 戦闘ばかりが能じゃないとみた」
「そもそもオッサンはなんでそんな知識があるんだよ? あんた傭兵だろ?」
「ああん? 傭兵が知識あって悪い道理はないだろうよ」
依然としてリグスとウジンのいがみ合いは続いている。無論、この関係は嫌悪ではなく煽り合いのようなものなので、イージアは心配していない。
「イージアさん、どうしましょう。二人の仲が悪いようです……」
しかしアリスにとってはかなり気がかりな問題らしく、イージアに耳打ちしてきた。
「放っておけば良い。特に問題はない」
「そう、でしょうか……」
「それよりも……これを見てくれ」
リグスとウジンの言い合いが続く中、イージアは風魔法を遠方に飛ばして海から海水を引き上げた。気泡に水を包む、風魔法の応用魔術だ。
「泡に包まれた海水ですね……?」
その気泡ごと、彼は魔剣リゲイルの冷気で凍らせ、耐熱の魔術を付与した。これでしばらく氷が溶けることはない。出来上がったのは、海の磯の匂いが漂う氷の玉。それをアリスに手渡した。
「まあ、すごい! ひんやりしていて気持ち良いですね」
「ちょうど日が照って暑いからな。これを傍に置いておくと良い」
「ふふ……ありがとうございます。もう少しでリーブ大陸につながる海峡ですね」
目を輝かせ、彼女は遥かなる海を見つめた。
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一行はシロハ王国の国境に到達し、今まさにリーブ大陸最東端の地……アジェン共和国へと足を踏み入れようとしていた。
イージアはこのまま陸路でリンヴァルス帝国を目指すつもりでいた。しかし、そこに思わぬ暗雲が立ち込める。
「あんたら、アジェンに行くのかい?」
「ああ、そのつもりだ」
入国手続きを行おうと国境を訪れると、見張りの兵士から声が掛かった。何やら物々しい雰囲気が漂い、人の数も多くはない。国際的な緊張関係が高まっているのか、それとも何か別の要因があるのか。それはこの時代に来て間もない彼には分からなかった。
兵士はイージアたちが旅人だと確認した後、質問する。
「最終的な目的地は?」
「リンヴァルス帝国だが……」
「ふむ、それなら少し時間はかかるが海路でアジェンを迂回していった方が良い」
「理由を聞いても?」
「今、アジェンは内戦状態にある。治安が悪いんだよ……旅するには少し危険すぎるかな」
内戦。それはいつの時代も絶えることのない闘争だ。イージアが生きていた時代でも、国家間の戦争は無かったにせよ、国内での内戦は多くの国で起こっていた。
各々が正義を標榜してぶつかり合い、惨劇を、歓びを、或いは欲望を生む闘争。
「イージア、どうすんだ?」
森を出たばかりのサーラライト族の二人はともかくとして、ウジンもこの話は知らなかったらしい。
陸路ではアジェン共和国の通過は避けて通れない道だ。海路で進むには時間がかかり、一刻も早くリンヴァルスへ辿り着きたい彼にとっては採りたくない選択肢でもある。しかし、他の同行者を危険に晒したくないという葛藤もあり……
「二人はどうしたい?」
アリスとリグスにも意見を求めるイージア。
「そうですね……海を渡りたいという気持ちもありますが……イージアさんは急いでいるのでしたよね。でしたら、陸路の方が良いと思います。出来る限り早急にアジェン共和国を抜けるという方針で行きませんか?」
「ボクはアリス様と同意見で」
「……よし、では陸路で向かうとしよう」
こうして四人は内戦が続く地、アジェン共和国へと足を踏み入れる。
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アジェン共和国。
武を以て繁栄とし、富を以て栄誉とするこの国は、大きく二分されていた。
武を究め、武を絶対的な指標とし、強靭なる国家の完成を目指す『怒戦派』。率いるは『怒れる青獅子』グラジオサード。
富を求め、富を万物の基準とし、完全統制の国家の完成を目指す『狂儲派』。率いるは『狂える赤鳥』フォトス・ジルコ。
二大派閥の衝突は先代にまで遡り、荒廃した統治の中で人々は暮らしていた。ある者は『怒戦派』の力となる為に強さを求め、ある者は『狂儲派』に貢献する為に金銭を搾り取り、ある者は紛争に巻き込まれて命を落とし。そして命を落とした者の子供は野党に身を窶していく。
どちらが先に攻撃を仕掛けるか、どちらが先に弱みを握られるか……そうした緊張の中で時は流れていく。一つ小突けば罅が入り、一つ叩けば瓦解する。
もはや如何なる者にも、この先の展開は読めずにいた。
荒廃したアジェンの空を、飛んで行く男女が二人。一人は背に左翼の生えた少女。そして一人は右翼の生えた少年。彼らは片翼の翼のみを持ち、手を繋ぐことで息を合わせて……まるで一羽の鳥のように天を駆けていた。
二人は下を一切見下ろすことなく、まっすぐに飛んで行く。
「サーラ! 今日のメシは何にしようか!」
少年が少女を呼ぶ。
サーラと呼ばれた桃色の髪の少女は屈託のない笑顔で答えた。
「あはは! ゼロったら、気が早いね! まずは『壊さない』と!」
ゼロと呼ばれた緑髪の少年もまた、朗らかな笑顔で空に声を響かせる。
「ああ、そうだったな! まずは『壊さない』と! いいか、俺たちに壊せないものなんてありゃしないぜ! 力も金も、戦いもっ! 全部全部ぜーーーーーんぶ壊してやるのさ!」
「うんうん、最高だね! よーし、それじゃあ今日は……アレにしよう! アレを壊そう!」
サーラは彼方に聳える館を示し、ゼロに目配せする。二人は息の合った飛行で、その館の方角へ旋回し下降する体勢に入った。館の屋上に靡く旗には、『狂儲派』の印が描かれていた。
「おっしゃ、良いチョイスだな! アレを壊したらメシにしよう、豆とポテトの炒め物が良い!」
「えーー! アタシは豚の塩漬けが良いなーー!」
「どっちも食えばいいだろ? 腹減った、早く行こうぜ!」
「おー!」
つながった片翼は、気ままに空を駆けていく。彼らの行き先は分からない、誰にも止められはしない。
ただ心向くまま、欲するままに壊し続ける。壊されたから、壊し続ける。
最初は小さな一欠片、最後は大きな壁になる。壁が崩れればそれでおしまい。何も残ることは無い。
アタシたちは、俺たちはその壁を叩き続ける。罅が入って、やがて瓦解する時を待って。
夢は捨てた。希望は吐いた。憧れは奪われた。何が残った?
アタシたちは、俺たちは二人で一人。一人なら空も飛べやしない。
──でも、二人なら。
「「二人なら、なんだって壊せる!」」
彼らの名は『天の撃砕者』。この国をやがて壊し尽くす者。




