136. 振り切れない感情
翌早朝、イージアは出立の時を迎えていた。一頻り村長に礼をした後、村の門に差し掛かる。
次に目指すはルフィア王国。このマリーベル大陸最大の国である。街道を進み、徒歩でおよそ四日かけて駅舎へ赴き、そこからは馬車に乗って向かうことになるだろう。
路銀の手配は駅舎でイージアが持参してきた魔道具を売り払うか、或いは傭兵として稼ぐか。最悪宿に泊まることなく、食事をすることもなく歩き続けることが彼には可能だった。
剣を腰に下げ、ローブの端を整える。朝日が山の合間から顔を出しつつあった。昨夜は少し雨が降ったのか、木立の葉から水滴が漏れて彼のローブに跳ねた。
村の門を潜り、暫く歩く。結局、サーラライト族の二人に別れを告げることもしなかった。
今回の旅で、あまり深く他者と関わることは彼としては避けたかった。誰かと深く情を交わすこと……それを心のどこかで恐れていたのだ。
「…………」
振り返ることなく、田舎道を歩いて行く。彼が暮らしていた時代ではあまり味わうことの無い、道上の柔らかい土の感触。少し湿っており、仄かに雨上がりのにおいがした。
「……?」
無心で道を歩き、森の出口が見えてきた頃。
彼は背後から生体反応が近づいて来るのが分かった。二つ……おそらく、例の二人だろう。
別れを告げなかったことの気まずさ故か、それとも他人を過剰に恐れていた故か、彼は近くにあった茂みに身を隠してしまった。
しばらく息を潜めていると、アリスとリグスが走りながら彼が隠れている地点へとやってきた。
「はあ……はあ……どこに居るのでしょう? 先程旅立ったと聞いたので、そこまで遠くには行っていないと思うのですが」
「一本道ですから、道を間違えたということはないでしょう。アイツも走っていったんですかね?」
どうやら自分を捜しているらしいとイージアは悟るが、出て行くことはしなかった。
「……あら?」
その時、アリスが何かに気が付いたかのように顔を上げた。
そして、迷わずイージアが潜んでいた茂みに歩み寄り……
「ここにいたんですね! おはようございます、イージアさん」
「……よく分かったな」
なぜ見つかったのか、彼は俯瞰して分析する。気配の遮断は完璧に行っていた、足跡もつかぬように途中から消していたはずだ。まさか身体が見えていたかのような失態はあるまい……とは思うものの、次第に不安になってくる彼であった。
「うわ、見た目も相まって完全に不審者じゃん……」
リグスがひきつった顔で木の葉を払うイージアを見る。
それを彼は無視して、再び歩き出した。
「いや、無視かよ!? おい仮面男、ちょっと待て!」
待てと言われて初めて、彼は立ち止まる。
「イージアさん、私たちも一緒に行っていいですか?」
「断る」
アリスの申し出を簡潔に断り、再び彼は歩み出す。二人は困惑したようにイージアの後を追った。
「あのあの、私たち森を出たばかりで……知らないことが多くて不安なんです。ルフィア王国まで行くんですよね? ちょうど行先も同じですし……」
「おい不審者。アリス様の言葉を無視するな。打ち首だぞ」
ちょうど森を抜け出し草原に出たところで、執拗について来る二人に面倒そうに彼は向き直る。
「私は遊び半分で旅をしている訳ではない。時には悪路も通るし、フロンティア……魔領も通る」
「私たちも遊ぶつもりで旅に出たのではありません! ちゃんと目標があっての旅ですから」
「では、その目的に向けて歩き出すと良い。進むペースに差もあれば、戦力に差もある。君達はゆっくりルフィアを目指すと良い」
頑なに同行を許可しないイージアに対し、アリスはどうすれば良いのか困り果てる。彼女としては、同行することにデメリットをほとんど感じていなかった。それもその筈……彼が同行を拒否するのは彼自身の心理的な問題に深く依存していたからである。
「ええと……リグス、どうしましょう?」
「さあ、ボクはアリス様の決定に従うのみです」
従者に助けを乞うも、彼女はそう突き放されてしまう。リグスとしても、この旅は主の成長に繋がると考えている節があり、何にでも助けに入るのは避けると決めていた。
「その、私はその……お母様に黙って飛び出してきたのを申し訳なく感じていて……だからこそ、引き返す訳にはいかないと思っているんです! 昨日、貴方は仰いました。『私が死んだら悲しむ人が居る』と。その通り、多くのサーラライト族が悲しむでしょう。ですから、私は死にたくありません。そして、そのためには貴方について行くのが賢明だと考えました。ですから、お願いします……!」
たしかに、このままでは彼女たちは命を落とすかもしれない。詐欺に遭ったばかりではなく、一つ前の国で悪意ある者に殺されていた可能性もある。
そして、今後もそうした機会は幾度となく訪れるだろう。
「……君たちの旅の目的は?」
「ある物を捜しています。世界のどこかにある……ぼんやりとした伝説ですけど、たしかに実在する
物を。でも、それが本命ではありません」
サーラライト族の伝承で、世界のどこかにある物──イージアにはたしかな心当たりがあったが、彼女の言葉を続けて聞く。
「私はやがてサーラライト族の王女になる身として、世界を知っておかなければならない。森という箱の中でのみ育ってきた私は、本当に何も知りません。サーラライト族の皆は、人間を嫌って外に出たがりません。私には、それがとても悲しいことのように思えてならないのです。心がなんとなく読める私だからこそ、人間のすべてが悪い人ではないと知っていますから。……どうか、お願いします。イージアさん、私に世界を教えていただけませんか」
閉じ込められて、旅を夢む少女。それはまるで、彼に師事していた皇女の影を思い出させた。
立派な志だ──だからこそ、彼には彼女の願いを受け入れる権利があるのかが分からなかった。彼の真の目的は、復讐。そんな己に、純粋無垢たる少女に世界を教える権利があるのか。
「……ボクからも、お願いするよ。お前はまあ……他のニンゲンよりは信頼できる、見た目は怪しいけどな。他でもない我が主の為だ、頼む」
沈黙する彼に対し、リグスもまた頭を下げる。主の信念に心を打たれた彼女は、はじめてサーラライト族以外の者に頭を下げたのだった。
「私の最終的な目的地は、リンヴァルス帝国。長くてもそこまでだ」
「……! はいっ、ありがとうございます!」
彼の心はまだ弱かった。
その心根の弱さが、彼女らと旅をする運命を定めたのだった。
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平野を歩きながら、イージアは今後の旅程を練り直していた。
三人分の路銀が必要になることは確定した。戦闘経験に乏しい二人が共に行くとなれば、傭兵稼業は難しいか。現代から持ってきた拳銃型の魔道具を売れば当面の資金にはなるだろうが……そう易々と手放せるような代物でもなかった。それに、徒に過去の魔道具の技術を書き換えてしまうのではないかという懸念もあった。
「そろそろ暗くなってきましたね。イージアさん、ここでキャンプしても問題ありませんか?」
三人が止まったのは、平野の中腹。街道から少し外れて、馬車の通り道の邪魔にならないような地点にアリスはテントを張ろうとしているようだ。
「まあ、いいんじゃないか」
「何だその答えは。アリス様は真面目に聞いてるんだぞ」
「私は基本野外では何も建築魔法……いや、テントは張らずに過ごしてきたからな。基本は星を眺めてどこでも寝ていた」
師匠に野外で生活を強いられた影響もあり、彼は野外活動ではキャンプで建物や施設等を作ることがなかった。
「まあ、すといっく! では私たちもそうしますか?」
「いやいや、テント持ってるんだから使いましょうよ……仮面男。あまり変なことをアリス様に吹き込んでくれるなよ」
現代で野営をするとなれば、建築魔法キットや領域展開魔法を扱うが、この時代で使われる道具に関しては彼も無知である。アリスとリグスが旅から何かを学ぶとき、彼もまた同時に学んでいくことになるのだ。
四苦八苦してテントを張り終えた後、料理の準備を行うこととなった。
「私は今リグスからお料理を教わっているんです。イージアさんはお料理できますか?」
「まあ、人並みには」
一時期妹の為に料理を作っていた時期はある。彼の調理スキルは特段得意という訳ではないが、決して下手ではないといったところだ。
「じゃあとりあえず……この携帯食料を使いましょう。リグス、教えて下さい」
「はい。お前は……水でも汲んできてくれ。水筒もいくつかあるが、できれば温存したい」
「わかった」
彼は言われるがまま、空のボトルを数本持って清流の方角へ歩いて行った。水道がある時代ではあるが、残念ながらここは平野の真っただ中。人工の施設は一切無い。
ぼんやりと星を眺めながら彼は闇に溶けて行った。
「リグス、焦げました!」
「大丈夫です! 仮面男に食べさせましょう! さあ、次を焼きますよ」
帰って来た後、彼は無数の黒い物体を食べさせられることになる。




