131. 殺意の覚醒
第2部開幕です
──鳥の囀り。さらさらと、木々の葉が擦れる音。
少し遠くから川のせせらぎのような音が彼の耳に流れ込んだ。
時折、何かしらの獣が木の枝をパキリと踏む音が聞こえ、彼は身体を起こした。
「…………」
己の身体をざっと見てから、周囲の空気をたしかめる。特段、人間の身体に取り込んでも毒とはならぬ空気構成と魔力濃度。
聞いたこともない鳥の歌い声は聞こえるものの、空気の質感は彼の故郷とまるで遜色ないものだった。
「……ここはどこだ?」
推定、異郷と思われる地にて最初に発した言葉がそれだった。
森だ。木々の隙間から木漏れ日が射し込み、決して薄暗くはないが、どこか怪しげな雰囲気を漂わせる天然の揺り籠。周囲に人間の気配は一切感じない。
ひとまず、彼は歩くことにした。纏うローブのマントが木々の枝に引っ掛かって破れることを一瞬懸念したが、自動修復機能があることを思い出し遠慮なく歩みを進める。虫だか、鳥だかの声は絶えず響き渡っていた。
向かった方角は、川。流れる水音を頼りに彼はそこへ辿り着いた。
綺麗な川だ。透き通った水、いきいきと泳ぎ回る魚。水の清さを見るに、人里は近くに無いか……或いは人里が近くに位置していたとしても、工業分野が発展していないのだと推測できる。
そのまま川伝いに下っていくと、一件の母屋が見えてきた。
木製の小屋で、周囲には槍や鋤、バケツなどが置かれていた。内部から生命反応を探ってみるが、気配は無い。道具と扉の痕を見るに、時折人が手入れしているのは間違いない。
窓から内側を覗き込み誰も居ない事を確認すると、彼はさらに川を下ることにする。
「……来るか」
微かな邪気を感じ取り、静かに剣を抜く。
森の深奥を凝視し続ける彼の瞳に、数体の魔物が映った。あれは《牙狼》と呼ばれる魔物であり、彼の故郷でもしばしば見られた魔物である。
異世界には魔物が存在しない世界もあると聞いていたが……どうやらここはその例に当てはまらない世界だと見て、少し意気消沈する。
無鉄砲に向かってくる牙狼を一閃で四体屠り、残る三体を続けざまに葬る。そして、彼は深い森の闇……魔物が来た方角へと歩き出した。
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「こちらです、ダイリードさん」
森の奥深くに、二人の武装した男が分け入っていく。
先導するのは、細長い槍を持った男。
続くのは、ダイリードと呼ばれた武装していない無手の大男。
体格の差はあれど、二人の間には圧倒的な覇気の隔たりがあった。先を行く男はおずおずと、森に慣れていない様子で進んで行く。
「このあたりに……アイツが塒を巻いている洞窟があったかと……思うんですが」
「次第に強大な邪気が近くなっている……こちらか。気を付けろ、そろそろ魔領に入る」
ダイリードは武装した男を守るようにして前へ進み出る。
森を進む度に男の態度は臆病になり、しきりに辺りを見回しはじめる。
彼は目的の場所を見つけるや否や、傍の大男の袖を引いて誘導した。
「ああ、ありました! あれが化け物の巣らしいですぜ……うちの狩人が調べたところによると」
「ふむ……了解した。貴殿は、どうする。ここで待つか、帰って待つか」
「そ、そうですね……この柵を超えなきゃ、魔物は出ないんでしょう? じゃあ、ここで待ってますわ」
「分かった。では、行ってこよう」
「はい、お気をつけて!」
ダイリードは案内人をその場に残し、柵を踏み越える。ここから先は、魔物が跋扈する魔領である。
しかし、そんな事実は彼には些末な問題に過ぎない。ここらに出る魔物は到底彼の相手にはならず、むしろ彼が考えているのは、むこうに見える洞窟の主の正体だった。
ダイリードは、とある村の依頼を受けてこの洞窟を訪れた。普段は現れないような強力な魔物が人を襲っているらしい。フロンティアの外へ出なければ被害に遭うことはないが、狩猟や林業を営む者からすれば、森の奥深くに立ち入る事ができないのは痛手となる。
人助けを生業……いや、使命とする彼にとって、この依頼を受けないという選択肢は無いも同然だった。村民の話によると、魔物は四足歩行の大蜥蜴らしいが……。
洞窟の入り口まで来て、彼は仄かな違和感に襲われる。地面にまだ新しい人の足跡があるのだ。そこまで大きいわけでもないが……女性のサイズでもなさそうだ。
魔物の討伐に向かった者か、何も知らずに入り込んだ者か、或いは……
「…………」
彼は用心しながら中を進んで行った。
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暗がりを照らしながら足跡を追っていくと、一筋の光が射した。
村民に渡された地図を確認する。どうやらこの洞窟は向こうの草原に繋がっているらしい。村の狩人の推測によると、件の魔物はその草原に住みついたと思われる。
ダイリードは迷わず草原へ足を踏み出し、人影を捜した。
一面、若草が広がる草原にはこれといって特別なものは居なかった。この辺りで見られる牙狼が数匹、草原を駆けているだけだ。
彼の意識の間隙を縫って、とある男の声が響く。
「……少し、良いだろうか」
「……!」
木の陰から何者かの気配が現れ、彼は咄嗟に身構える。
気配を察知できなかったことから、彼の警戒心は一気に引き上げられた。
「……と、人間だったか。どうした、迷ったか?」
目の前に現れたのは、白装束に仮面を被った不審な人間。腰には剣を携え、佇まいから戦闘の技能があることは推測できた。
彼は警戒するダイリードを宥めようと両手を上げ、敵意は無いことを示した。
「突然すまない。私はアル……イージア。迷っている……と言っても差し支えないだろう。ここがどこか分からず、彷徨っていたところだ」
「なるほど、我はダイリード。この地は危険だ。現在強力な魔物が発生している」
ダイリード。その単語を聞いた瞬間、一つの違和感がイージアの頭を過ったが、その確認は後ですることにした。
「強力な魔物……外見は?」
なぜ出会ったばかりの彼がそんな問いかけをするのか、ダイリードは気にかかったが素直に答える。
「巨大な蜥蜴だそうだ。普段はこの魔領に生息していないらしいが……突然出没して村民を苦しめている。故に、我が討伐しに来た」
「巨大な蜥蜴……? それなら、何体か倒したな。私も見たことがない種類だったが……」
何気なく発されたその一言に、ダイリードは戦慄する。
件の魔物は、一体しか居ないと思われていた特殊個体だ。それが何体もこの草原の先に居るということになる。
「……イージア。良ければその蜥蜴を見かけた場所へ案内してほしい」
「良いだろう、こっちだ」
目的の場所へ向かいながら、二人の男は何気ない会話を続けた。
「……ところで、今日は何年何月何日だったか分かるか?」
イージアから突如として疑問が投げかけられる。何年、というのは流石に分かるだろうとダイリードは思ったが、胸中にその思いはしまっておく。
「五千八十四年、フラムの月、二十一日だ」
「…………そうか」
彼の言葉を聞き、イージアは一つの可能性に思い当たる。
聞き馴染みのある暦の名、ダイリードという名、そして彼自身の故郷と遜色ない空気。パズルのピースが一つずつ嵌っていくように、ここがどこなのか──その答えを導き出す。
そして……最後の一ピースを埋める為に、彼は問いかける。
「ダイリード、君はどこ出身だ?」
「我は、創造の箱庭……俗に言う、楽園出身だ」
ここで彼は確信へと至った。
災厄を追い、己が辿り着いたのは異世界ではなく──過去の世界であると。




