異伝10. 英雄アルス
灰色の慟哭、創世の器。
度重なる灰の茨、天を覆い隠す歪みし混沌の因果。睥睨するは白き悪魔の面、麾下に置くは世界。
──創世主アテル。
其をこの目で初めて見て、感じる。僕と力を共鳴した存在であり、絶対なる力を有する者。
普段精神世界で触れ合っている「人間の心を模した者」とは決定的に異なる世界の中枢機関が降臨した。
「アテル……」
「こんにちは、アルス君」
気が付かなかったが、異形の真下に人間体のアテルが居た。現実世界に存在するのはレーシャだと聞いているが、これは違う。直観的に、彼女の表情を見て分かった。いつも笑っている……そう、災厄の話をする時以外、絶えず笑っているのが彼女だから。
「……どうした、そんな……本体まで連れてきて」
僕の声は震えていた。この場で動いているのは僕とアテル、そしてロールだけで、現実世界の時間は止まっている。なのに、僕の冷や汗は止まらない。
「……うんうん。すごい功績だよ、アルス君! まさか災厄の御子を見つけてくれるなんて!」
本当は彼女が何の為に降臨したのかは分かっている。
ロールを殺す為だ。混沌の因果を持つ者……すなわち僕、或いはアテルが災厄の御子を殺せば、今世紀中に出現する災厄はすべて消滅する。
だからこそ、今ロールは僕に『嫌われようと』していた。
「アルス君、共鳴は解放できるね? やってごらん」
「……共鳴、解放』
──ああ、できた。できてしまった。
共鳴は秩序の因果を持つ者にしか行使できない。
つまり、僕には後ろに居る友……ロール・ライマを殺す権利があるということ。
嘘であって欲しかったよ、ロール。
「よし、アルス君! その人間を殺せば全て終わる! 災厄はもう世界に降臨しなくなるんだ……残っている三体全てが!」
「ああ、そうだね……」
僕は後ろを振り向くのが怖かった。
後ろに彼女が居なければと、そんな非現実的な願いにも縋りたくなった。
でも、振り向いた時。彼女はたしかにそこに居た。
そして、笑っていた。
「うん……いいよ。私は、あなたに殺されるならそれで良い。どうせなら好きな人の手にかかって死にたかったし……ふふっ、なんだ。無理して嫌われなくても良かったんだね」
笑うな。
残酷な運命があったとしよう。
決して抗えぬ因果があったとしよう。
殺さねばならぬ友があったとしよう。
世界の為に、愛する人を犠牲にしなければならなかったとしよう。
──僕は、諦めるか?
「……ロール」
次第に彼女との距離が縮まっていく。
その距離が近くなるほど、彼女との別れも近くなっていく。
その度に、彼女の目からは……
「笑うな。泣くな」
「え……?」
そんなに苦しそうに笑うな。そんなに嬉しそうに泣くな。
「君が笑うのは、幸せの中でしか許されない。君が泣くのは、悲しい時以外許さない。でも、君に幸せが訪れないことを、君に悲しい時が訪れることを、僕は許さない」
だから。
「……君は、僕が護る」
愛する者を護らない英雄が、どこに居る。
「アテル、お願いがある。今後の災厄は僕が責任を持って全て倒す。なんとしても、僕がもっと強くなって。だから、彼女を殺さないでくれないか」
僕にできるのは、懇願。
創世主に縋ること。彼女に命令できるなんて、敵うなんて思っちゃいけない。
「……でもね、アルス君。災厄ってのは本当に未知数だ。どれだけ力があっても、世界を滅ぼしかねないし、危険なんだよ。ここで全ての可能性の芽を摘めるなら摘むに越したことはない」
「それでも、お願いだ。ただ一度、一生に一度。聞き届けてはくれないか」
彼女からの返答は無い。
僕はただ、頭を下げ続けていた。
「……はあ、仕方ないね」
「っ、それじゃあ……!」
これで、ロールは……
「うん、君もろとも災厄の御子を排除する。今世紀の災厄が消えるなら、君も用済みだからね」
……そうか。
心なき者に、何を言っても無駄だったか。
「……ロール、逃げろ」
「え……で、でも……いいよ、アルス! 早く、早く私を殺して! そうしないと、アルスも……」
「愛する者を護らぬ英雄がどこに居る。……君の想い、たしかに受け止めた。そして、僕もその愛に応えよう」
眼前、人型を模したアテルが消えた。
そして、異形が動き出す。
「共鳴、拘束解放。敵は眼前にあり……! さあロール、行け!」
『愚かな……蒙昧たる者よ、汝の命を失ってまで一命を護るか。その愚昧、我が世界に不要』
「はは……随分と偉そうに喋るじゃないか、アテル。その話し方、ジャイルみたいだね……っ!」
魂が悲鳴を上げる。
秩序の因果を持つ者以外に共鳴を行使した時、この身は滅ぶ。それが大きすぎる力の枷だ。だが、消えるまでの間……時間を稼ぐことはできる。己と同等の力を持つ者を創世主といえど無視はできないはず。
「ロール、逃げるんだ! 早く!」
『赦さぬ』
「ぐうっ……!?」
すさまじい灰の波動が僕らに向けて放出される。
ランフェルノの一撃なんて児戯に思えるほど、強い。きっとこれでもまだ全力ではないのだろう。
分かってる。創世主の支配下にあるこの世界に逃げ場なんて無いことも。ロールがきっと、ここから逃げないことも。
「アルス、いいの! もうやめて!」
波動が次第に僕の身を侵食していく。
もう、持たない。でも……ここで僕が諦めれば、後ろのロールはこの灰に呑まれて死んでしまう……!
「やめない、やめないよ! 僕は、僕は……見つけたんだ! 守りたい人を、愛する人を! こんな運命のせいで、捨ててやるものか!」
創世主の共鳴者の前に、一人の人間として。
騎士ヘクサム・ホワイトの息子として。
ロールの親友として。
立ち向かわねばならない。
「僕はッ……! 僕は、君の英雄だから! 君だけの英雄だから! 負けない、負けたくない!」
波動はますます強くなっていく。
希望なんて無い、逃げ道なんて無い。
僕が彼女を護る最後の盾だ。彼女が居なくなれば……僕は本当に孤独だ。
だから、誰でもいい! 災厄でも、神でも、誰でも良いから……ロールを助けてくれ!
「もう、いや……! 誰か、誰かアルスを助けて……! 私じゃ、私じゃ何も……」
意識が薄れていく。身体が死んでいく。
魂が、滅んでいく。
駄目だ、死ぬな僕!
ここで、死んだら……! 彼女を……守ら、ない、と……
『今、混沌の勝利を告げる。愚かなる災厄の御子、共鳴者を排除。世界は我が下に巡る……』
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世界から灰が消える。
色が取り戻される。穏やかな時が流れ出す。
夕陽はただ静かに、《誰も居ない》高台を照らし出す。
彼らが歩んだ軌跡は混沌に包まれ、世界から姿を消した。
「折り重なった願い、聞き届けました。我らが救済の因果は、心の為に。アルスさん、ロールさん……私はお二人がたしかに居たことを忘れません。どうか、幸せに……そう願ってしまうのは、私の傲慢でしょうか」
第1部完結です。




