異伝9. 愛を知っていますか
結局、アルスと話す事は殆どなく。桜並木の果てにある高台で私は一人、海を眺めていた。
桜が舞い、水面に落ちる。
海って、綺麗だな。
水面に映る私の顔は疲れているようだった。擦り切れて、擦り切れて、ボロボロの弱い心が私の表情を物語る。
私は、弱い。
「ロール、ここに居たか」
水面に反射する私の目が見開かれて、驚いたのが如実に分かった。
そう、私は彼と会う度にこんな想いをして、こうして驚いて、慄く。
罪人と執行人、死なねばならない者と生きねばならない者。
彼はまだ知らないだろう、それが二人の関係。
水面に映る私の隣に、彼が立った。揺らぐ彼の表情も疲れているようだった。
彼は私よりもずっと、ずっと重いモノを背負っている。国を、命を、矜持を、そして世界を。
「……帰らないのか?」
彼は私の方を見て尋ねた。横顔が見える。
私はまだ、夕暮れ時の海を見ていた。
「もう少し、ここにいる……」
彼は何も言わずに傍のベンチに腰を下ろした。
この国は紛争地帯だから、夕方になると人もみんな家に籠ってしまう。私がこうしていられるのは、世界で少なくとも八番目に強い彼がそこに居るから。
「……」
「……」
もうこの沈黙には慣れた。
本心を言えば、話したくてたまらないけど。明日からはまた別々の仕事が待っていて、交わってはならない因果が待っている。距離を置くために、私は彼と話さなくなった。彼が話しかけてきても、誕生日に家に来てくれても、無視し続けた。
その度、死にたくなった。私の最初の友達を、大切な人を悲しませる度に。
でも、死ねない。彼に殺されなくちゃいけない。
それが私の──災厄の御子の贖罪だから。
召喚したランフェルノが彼によって倒された時、私は確信した。
二度と、彼と関わってはいけないと。そうしないと、きっと彼は私を殺してくれなくなる。優しい人だから。
「なあ、ロール」
「…………」
「君は、僕が嫌い?」
「……」
突然、そんなことを聞かれた。
混乱した。悲しくなった。虚しくなった。泣きたくなった。
死にたくなった。
ああ、チャンスだ。ここで嫌いって言えば、言えば……
「…………ん」
「聞こえなかった。もう一回行ってくれ」
「……うん、嫌いだよ。大っ嫌い」
「そっか」
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
本当はあなたのことが大好きです。
優しくて、いつも助けてくれて、手を差し伸べてくれたあなたが大好きです。
あなたは私の英雄です。でも、嫌ってください。私を殺したくなるくらい、憎んでください。
「ねえ、アルス」
その時、はじめて私は海から目を背けて彼の顔を見た。
ずっと、無表情だ。星を見たあの日から、ずっと。笑ってくれない、怒ってくれない、悲しまない、楽しんでくれない。私のせいだね、ごめんね。
そんな彼に、私は言った。
「もう、終わりにしよう」
そう言った時、彼は──
「……フッ」
笑った。
ずっと見せなかった笑顔を、私に見せた。
「そうだね。ごめんね、ロール。僕が悪かった。ずっと君に固執して、君にこだわって。……僕にはさ、君しか居なかったから……言い訳みたいだけどね。でも、君には未来がある。そして、その未来を守るのが僕の使命だ。だから、僕はその使命だけに集中することにしよう」
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
「わ、私は……私は、しつこいあなたが嫌いだった。邪魔で、うざくて、英雄なんて言われてるけど、うっとおしかったの……! だから……っ、帰ったら全部終わりにしましょう!」
ごめんね、ごめんね、ごめんね。
あなたには幸せになってほしいのに──
「うん……うん、ありがとう。気持ちをちゃんと伝えてくれて。じゃあ、この言葉を最後に、もう話さないと約束しよう。僕も一つだけ、君に言っておきたいことがある」
「……うん、分かった」
罵ってください、誹ってください、こんな私を。どんな言葉でも受け止めます。
親友を裏切って、恩を仇で返して、最低で最悪な私に最大限の侮辱を。
聞きたくなかった。彼の口からそんな言葉。
でも、当然の報い……罵倒の言葉だけじゃ、足りないくらい。
「……僕は、君を愛していた」
──いやだ。
いやだよ、なんでそんなことを言うの。
罵って、誹って、嘲って、嗤って、私の心を殺して。
お願いします、やめてください。
その言葉を最後に、彼は口を閉ざした。
これが、英雄。どんな目に遭っても、前を向いて諦めない者。
私だったら、私みたいな友人は罵倒して心の底から軽蔑するのに。彼はもう、前を向こうと歩み出していた。
「……ねえ、どうして?」
「…………」
これで会話は終わりだと言わんばかりに、彼は海を見た。
私はその背中に、疑問を浴びせ続けた。
「どうして、そんなこと言うの? どうして、私を責めないの? どうして、私を嫌わないの? どうして……」
「……どうして、アルスはそんなに強いの?」
彼は水平線の向こうの夕陽を見つめながら問うた。
「……君は、僕を好きになってくれたことがある? 今は大嫌いでも、昔の僕を愛してくれたことがある?」
私は頷かなかった。返事もしなかった。
でも、彼はまるで分かっているかのように続けた。
「その瞬間、わずかでも僕を愛してくれた一瞬を、僕は守りたいと思ってしまった。両親が僕を愛してくれた瞬間を、マリーが僕を慕ってくれた瞬間を、君が僕を愛してくれた瞬間を、僕は愛した。そして、その愛に報いる為に──僕の全てを捨ててでも、守り抜く、絶対に。喪った愛が取り戻せなくても……君が僕を大嫌いになっても、両親が亡くなっても、マリーが僕と縁を切ったとしても、その過去は間違いなく僕を愛してくれたから」
「……分からないよ」
「そう、僕は理解されない。誰にも、きっと君にも。この世界を創った者にも理解されないかもしれない。だから、ずっと独りだ。それで良いんだ。そう決めた。僕に心なんて要らない、今はもう愛なんて要らない。僕は──世界を護る道具として歩むしかないんだって分かってるから」
違う、彼は……彼の心は強くない。
蓋をしてるだけだ。私みたいに、私よりも辛い目に遭ってるのに、耐えてるだけだ。
「そんなこと、ないよ……」
「君には理解できないんだよ。騎士としての僕しか、君は知らない。アルスとしての僕しか、君は知らない」
「知ってる! ……知ってるよ、私は。だから、あなたと……」
「……勝手に、勝手に知った気にならないでくれ! 僕がどれだけ重いモノを背負ってるのかも知らないくせに!」
怒った。
彼が私に怒ってくれたのなんて、何年振りだろう。
小さい頃は彼が保護者みたいで、よく叱ってくれた。時には喧嘩もして、怒鳴られた。
その時には。
「……アルスだって、私の何も知らないくせに! 私がどれだけ罪悪感に苛まれて、どれだけ苦しんだのかもしらないくせに!」
こうして怒鳴り返したんだ。
なんだか、気持ちいいな。
「知ってるよ、知ってる! アルスは世界を背負って災厄と戦ってるんでしょ! あなたがどれくらい強大な敵と戦わなくちゃいけないのかも! 混沌の因果に囚われてることも! 知ってるの!」
「どうして、それを……」
「私は、災厄の御子だから……! アルスに、殺されなきゃいけないから……嫌われないといけなかった! 本当は、私だって、私だって……」
もう、戻らない。戻れない。
抑えられない。どうして因果なんかに私たちが縛られなきゃいけないのか。
ここで吐き出せば、最悪の事態になる。それを分かっていても。
「私だって、アルスが好き!」
言った。言ってしまった。
だから、こうなった。
だから、来てしまった。
世界が、震えた。
時が、止まった。
夕陽の朱色も、海の青色も、舞い落ちる桜色も。
すべて、色が失われて……灰に染まった。
天より、異形が降臨した。
直感で分かった、震えた。
──アレは、私を殺しに来たのだと。




