130. 灰色の誓い
「ラウンアクロード……」
虚しく仇敵の名が木霊する。
もう、何もない。応える者も、何も。
空が震えた。
──来る。
大空に扉を開き、姿を現したのは異形たる絶対者。
「アテル……」
僕が今まで見てきたのは、精神世界の創世主。
そして、眼前に降臨した存在がはじめて見る、創世主の実体。
空に浮かぶ僕の真下に灰が広がり、平な足場を造り出した。そして、其は厳かに告げる。
『この戦、秩序の勝利に終わった。故に、世界は落ちる。世界は巡る。故に、我は遍く活動を停止し、創世の意を破棄する』
……分からない。
創世主が言ってることも、災厄が言っていたことも、難しくて分からないよ。もっと、精神世界に居た時みたいに……明るく話してくれたら良いのに。
「僕は……どうすれば良い」
「…………」
質問には答えず、アテルは消えた。
そして──
「……アルス君」
レーシャが、後ろに居た。
すごく、悲しそうな瞳で。悲しそうな声で僕を呼んだ。
「レーシャ……駄目、だったよ」
「うん……でも、アルス君は頑張ったよ。創世主は一切の活動を停止して、やがてこの世界も埋もれていく」
「アテルは答えてくれなかった。……僕はどうしたら良いんだ」
全てを失った。
でも、僕は目の前の少女に縋ることができた。できてしまった。
「……どうしたい?」
「分からない。ただ、君の傍に居たい」
「…………」
そう答えると、彼女も押し黙ってしまった。
怖い。怖くて、彼女の顔が見れなかった。
「私はさ、アルス君が好きだよ」
「頑張ってる君、前を向く君、私に心を思い出させてくれた君、勇気を出して私に想いを伝えてくれた君……好きだよ」
灰が風に吹かれて舞った。
そっか、ここは精神世界じゃない。だからこんなに、熱いのだろう。
遥か彼方から射す夕陽を遮る建物も何も無いから、熱い。
「僕も君が好きだ」
「うん、だからさ……私は恋をした君に辛い思いはさせたくない。でも、一つだけお願いがあるんだ」
彼女は僕の頬に手を当てて、顔を上げさせた。
はっきりと、僕と目を合わせて。
「ラウンアクロードを追って。奴を倒してほしい」
足が竦む。
彼女は今、なんて言った?
「また、僕にアレと戦えと……そう言うのか……」
「そう。奴はきっと……いや、必ず他の世界も滅ぼしに行く。怪我を追っている今の内に倒さないと。災厄が怪我を治すには何十・何百年もかかる。だから……」
「嫌だ。僕は行かない、行きたくない……! 他の世界に行くんだったら、そこの世界の人が倒せば良いだろう……!」
だって、僕は弱い。
力はきっとある。完全に創世主の力を引き出せていないのも分かってる。たぶん、一割も。
でも、心が弱い。脆い。薄い。浅い。柔らかい。
だから、弱い。
「……君は、それで良いの?」
「良い……良い、よ……」
「役目の前に、立場の前に、君の心が奴を赦すの?」
本音を言えば、赦せない。
でも、それ以上に……怒り以上に恐怖がある。
「……正直に言えば、怖いんだ。『喪う』ことが怖いんだよ……」
「うん……うん、誰だって怖いよ。私も、君も」
もう、立つ気力すら無い。
僕は力なくその場に崩れ落ちた。
そんな僕を、彼女はやさしく抱き留めた。
「……思い出してごらん。君は、諦めたことがあった?」
その言葉と共に、記憶が蘇る。白い夢とともに。
はじめてレーシャに会った時のこと。
アテルに育てられて、ジャイルと、ルーリーと、ゼニアと、ケウベインと過ごしたこと。
父に剣術を教えてもらったこと。
アリキソンと出会い、ユリーチと出会い、友になったこと。
師匠に厳しい環境で育てられたこと。
晴天の試練で、心に誓ったこと。
そして、狂刃に復讐を誓ったこと。
『強さに……固執するな。お前はもう……きっと、俺より強い。まだまだ、強くなれるが……そのために、出来ることは……大切な人を想い……護ること。……こ、の……世界は、広い。だから……お前も……護るべきものを……』
頭の中で、父の最期の言葉がフラッシュバックする。
大切な人はレーシャだけど、他にも護りたい人なんていくらでも居た。世界にはまだまだ知らない人、知らない光景があるのに全部壊された。
マリーの決意と共に、彼女と修行したこと。
タナンと壊霊を倒したこと。
ランフェルノに立ち向かって世界を護ったこと。
バトルパフォーマーとして、多くの人々を喜ばせたこと。
グットラックの仲間もたくさんできたこと。
修羅からディオネを守り、英雄と呼ばれたこと。
「……僕は、『護る』ために戦ってきた」
諦めたことはあったか。
途中、挫けそうになったかもしれない。弱音を吐いたかもしれない。
でも、僕には支えてくれる人がいたから立ち上がれた。
そして、今この瞬間も──
「……立てる?」
レーシャは僕に手を伸ばす。
ここで手を掴んでしまえば、きっと未来には恐ろしいものが待っている。
立ち向かわなくてはならなくなる。
「立てるさ。……君が居る限り」
まだ、僕には彼女が居る。
ただ一人の、愛する者が。
「うん……やっぱり君は、私の英雄だね!」
僕は上手く笑えなかった。でも、彼女の笑顔を見るのはやっぱり嬉しかった。
「奴……ラウンアクロードを追う。でも、どこに逃げたかは分かるのか?」
「うん、私が創世主の力を使って奴が逃げた先にポータルを繋ぐ。眠りに就いたけど、まだ創世主は死んだ訳じゃない。君の共鳴はできるし、この世界は一応残存する。世界の墓場に埋もれていくけどね」
復讐。
そんな生温い言葉でこの感情が表せるものか……あまりに複雑なココロで分からない。
でも、僕は必ず……
「奴を殺す」
まだ怖い。怖すぎて泣きそうだ。
だから、その恐怖を超える。それが僕だから。
「あと、もう一つ」
彼女は指を立てて、今までで一番悲しそうな顔をした。
「私は、一緒に行けない。創世主が生きてる限り、この世界に縛られる」
「……うん」
君まで失ったら、僕はどうしたら良いのだろう。
何となく分かっていた。でも、聞けなかった。
「でも、また会えるよね。だって……君が死ぬ訳じゃないんだから」
この返答次第では、僕の感情はまた引き返すかもしれなかった。
「…………うん。私は……君が奴を倒すまで生きてるよ。恋人を待ち続けるのって、なんだかロマンチックだね?」
そう言って、彼女ははにかんだ。
「よし、じゃあ準備を始めようか! 君の旅立ちへの祝福を!」
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「ははっ、あの時は大変だったね。レーシャが林檎を全部使い切っちゃってさ」
「でもほら、ルチカちゃんがカバーしてくれたからね。……《水の祝福》」
「僕が旅立っても、君に習った料理は忘れないからね。戻るまで、それで君のことを思い出すことにするよ」
「……そうだね。これまでの経験は無駄じゃなかったね。もしかしたら、時空を超えた先に、世界を元に戻す手がかりもあるかもしれないし。……《時の祝福》」
二人で灰の砂漠に座り込んで、他愛もない話をしていた。
レーシャの手にあるのは、白い布。僕へ贈り物を編んでくれているらしい。
「それは……どうかな。一度失った世界を戻すことなんて出来るのか……」
「他の世界でそうした前例はいくつもある。望み通りの結果を得られるとは限らないけど。……《灰の祝福》」
彼女は布を広げ、よく見直した後立ち上がる。
「よし、完成だ!」
「これは……ローブ?」
真っ白なフード付きのローブだ。なんだかすごい力を感じる。
「うん、完全防水、防火、防呪……とりあえずあらゆるものに耐性がある。自動修復、自動装着、自動転移、その他もろもろ。とりあえずアルス君、着てみてよ」
「うん」
言われるがままローブに袖を通す。
少しゆとりを持って身体に合う。着ているとなんだか暖かい心地がして、気持ちが安らぐ。
「どう? サイズとか大丈夫かな?」
「うん、完璧だ。さすが僕の彼女だね」
「えへへ……あ、あと……君の名前を変えよう」
名前を変える。
それは、まさしく別の生命へと生まれ変わるということ。
『アルス』という名は、両親が三日三晩悩んでつけてくれた名だ。『立ち向かう者』という意味があるらしい。
僕はこの名に誇りを持っているが……変えるには良い機会かもしれない。
「名前、名前か……」
「実はさ、もう考えてるんだ。私の祝福が付与された名前だよ。かっこいい……そう、私にとって特別な名前だ」
「へえ……どんな名前?」
彼女は僕のローブを整えながら、自信満々に笑った。
「《イージア》……どうかな?」
イージア。
その名を聞いた途端、僕の心にストンと何かが落ちた。
「イージア……イージア! うん、すごく良い名前だ」
「よし、決まりだね! ふう……」
ローブを整えていた彼女の手が、僕の胸のあたりで止まった。
何かに気付いたのか、彼女はそれを取り出した。
「……仮面?」
「ああ、認識阻害の仮面だ。そういえば持ってたな」
……我が友、レイアカーツの形見とも言えるか。
「おお、かなり精度が高い……一体誰がこんな凄い物を……えいっ」
彼女が僕の顔に仮面を被せようとする。
「はは……被った方が良いかな?」
「まあ……一応?」
「分かったよ。じゃあ、行く直前に被る。君にはできるだけ僕の顔を見ていて欲しいからね」
しばらく……いや、きっと長い間会えなくなるだろうから。お互いの顔を目に焼き付けたい。
さっきは見れなかった彼女の顔が、今では見ずにはいられなくなっている。
「……でも、そろそろ行かないとだ、アルス君。ラウンアクロードの痕跡が消えつつある」
そう言うと、彼女は地に手を翳す。
灰の砂漠に、七色の歪みが生じる。
この先に──奴が。
「……行かないと、か」
仮面を被ろうと、顔に近づける。
「あれ……うまく、被れないな。視界が……」
ぼやけている。
目が熱い。駄目だ、彼女に泣いてるところなんて見せちゃいけない。
「……アルス君」
レーシャの温かい手が、流れ落ちる涙を拭った。
そして彼女の瞳からも、
「……情けない男だな、僕は。愛する人の前で泣いて。愛する人を泣かせるなんて」
僕も彼女の涙を拭う。
そして、今度こそはしっかりと……仮面を被った。
「ふう……じゃあ、行ってくるよ」
「うん……うん、行って、らっしゃい……」
「そう泣かないで。必ず、帰って来るから!」
「アルス君、行ってらっしゃい! ……あなたに祝福を。その意思が何者にも屈さぬように、共鳴を」
愛する人の元へ帰らない男が居るものか。
そう、必ず──
足を踏み出す。歪みが僕を呑み込む。
「……行ってきます!」
渦に呑まれるみたいに。
僕が完全に呑み込まれる瞬間、何かあたたかいものが唇に触れた気がした。
落ちる。
堕ちていく。
「…………さようなら、アルス君」
きっと、分かっていた。
僕はもう、ここに帰って来ることは無いと。
「レーシャ……愛している。いつまでも、ずっと……!」
時空の狭間に呑まれながら、僕は愛を叫んだ。
アルスは死んだ。
そして──私が生まれた。
「ラウンアクロード……お前を殺す」
我が生涯、復讐にあり。
6章完結です。




