127. 睡眠病
「おはようございます、殿下」
次第に見慣れてきたホテルのロビー。今日は皇女殿下が座っていた。
「あっ、アルス様。おはようございます。ユリーチさんが貴方を探してましたよ」
「ん、どこに居るか分かりますか?」
「部屋に居ると言っていました」
何の用だろう。マリーはもう起きたかな。
「ありがとうございます。行ってみますね」
降りてきたばかりのエレベーターに再び乗り、上階に上がる。無機質なリフトの音ばかりが響く。
昨夜訪れた部屋に訪れ、インターホンを鳴らす。すぐに赤髪の少女が扉を開き、顔を見せた。その表情は、とても明るいと言えるものではない。
「アルス……入って」
言われるがまま、二人の部屋へと足を踏み入れる。
片方のベッドではマリーが静かに寝息を立てて眠っていた。
ユリーチは振り返り、僕を真正面から見つめ告げる。
「マリーちゃんが起きない」
「え……?」
起きない? つまり、眠りから覚めないってことか?
冷や汗が背を伝う。どうしようもない悪寒が身体を支配した。
「こ、これで……! 目を覚ますんだ、マリー!」
昨日と同じ眠気覚ましの魔法をかける。他にも、色々な体調改善の魔法をかける。昨日よりもずっと多く、ずっと魔力を籠めて。
頼む、頼むから目を覚ましてくれ……!
そんな思いも虚しく。
「私も、知り得る限りの魔法を試してみたけど駄目だった。多分、『睡眠病』」
彼女が試行錯誤しても無駄だったことから、僕の試みも無駄に終わる事は察せられた。それでも、昨日の前例があるから何とかできないかと……一縷の望みに縋ってしまう。
『睡眠病』。マリーベル大陸南部で最近流行しはじめた病だ。
一度罹ったら最後、二度と目覚めることはない。身体機能、脳波が完全に停止するものの、呼吸と血液の循環は止まることがない。栄養を摂取しなくとも何らかの要因により生命は続く、植物状態になってしまう恐ろしい病だ。原因不明、治療法不明。絶望を体現したかのような病……それが睡眠病なのだ。
僕が、昨日の内に兆候を捉えていれば……
「昨日、マリーはすごい眠気に襲われていた。それは僕の魔法で解消できたのに……どうして、どうして今は治せないんだ……」
「私がきっと……いえ、必ず治してみせる。だから、諦めないで」
彼女は机に置いてあった端末を僕に見せる。
そこには複雑なデータと、地図らしきものが無数に羅列されていた。倒錯した状況にある僕でも、それが何なのかはすぐに分かった。
「アルスを待ってる間、調べてみたの。『睡眠病』の患者数の推移と、分布図。最初はマリーベル南部で発生し始めて、今はルフィア王国にも広がってる。でも注目してほしいのは、これが感染症じゃないってこと」
『睡眠病』を扱う医療従事者が罹患していないことから、これは感染症ではないと言われている。では、何が原因なのか……そこまでは解明されていない。
「いくつか原因の候補は上がったけど……やっぱり、人為的な思惑によって引き起こされたものだと思う」
「これが、誰かが故意に起こしたものだっていうのか……!?」
「もちろん、可能性の一つに過ぎない。誰かの異能によるものならば、こんな規格外の事象を引き起こせる可能性もある。たとえば……五大魔元帥みたいに、悪意を持った者とか」
なら、それを引き起こした者を倒せば、マリーは目を覚ますのか? 魔術による睡眠なら術者を倒せば解除される。希望はありそう、か。
「僕は、何をすれば良い?」
「この病が人為的なものなら、それを為した張本人がどこかに居るかもしれない。特に、このアントス大陸での発症者はマリーちゃんが初。だからまだ、この近くに居るかも」
その時、僕は得体の知れぬ激情に支配されていた。だから、すぐに部屋から飛び出していこうと駆け出したが、ユリーチに止められた。
「待った。私の目を見て、アルス」
振り返ると、彼女の深海の様に青い瞳が視界に映る。
じっと、じっと見据えたまま、彼女の視線は動かなかった。そうしている内に、心の平静が取り戻されていく気がする。
「落ち着いて、いつもみたいに……は難しいかもしれないけど。貴方が頼れる人は周りにたくさん居るから。もちろん、私もね」
「ああ、ありがとう……」
深呼吸して、息を整える。
そうだ、まずは街へ飛び出す前に皆に相談してみよう。
「……君はマリーの様子を見ていてくれ。頼んだよ」
「うん、気を付けてね」
落ち着きを取り戻すにつれ、感じていた悪寒を冷静に感じ取れるようになった。
これは、精神面の問題から来る嫌な気配ではないのではないか。地の底から、伝わって来るかのような……。
とにかく、まずは皆の意見を仰ごう。
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「……事態は把握した。では、善は急げだ。早速犯人の捜索に向かうぞ……まあ、人為的なものであるというのは一つの可能性に過ぎないが、光明が見えてるならばマシだ」
アリキソン、皇女殿下、ルチカ、タナンに顛末を話し、今後の策を練る。
「ですが、犯人がどのような人物か分からないでしょう? 何か手がかりはあるのですか?」
「怪しいヤツ片っ端から殴ってきゃいいだろ!」
「殴る、はやり過ぎだがタナンの策が最善手だろうね。殺気の察知、或いは街中で魔力を放出している者を探知しよう」
この場に居る者ならば全員察知の技能レベルは高い。不審な人物の見分けはつくはずだ。
「では、各々異なる方向へ向かおう。俺は北、タナンは西、ベロニカ殿は東、ルチカ殿は南の通りへ。アルスは中央を捜してくれ」
そうして僕らは急ぎ足で街へ駆け出した。
全神経を集中させて、気を探る。
負の感情。或いは、「魔法」ではなく「魔術」に扱われる魔力。
「…………」
僕の心は荒れているのに、天気は南国らし晴れ晴れとした日差しが容赦なく降り注いでいた。
──この人、邪魔だなあ……
──早く進んでくれよ
──冷やかしかよ
──何見てんだよ
あらゆる負の感情を察知するも、それらしき感情は見つからない。雑踏に溢れる普通の感情ばかりが僕の感覚を貫く。
だが、そんな時。すべてを賭して気を張り巡らせていた僕だから、気付けたモノが一つ。
敵意。殺意を伴わない、不自然な……言うなれば《機械的》な敵意が佇んでいた。
「……!」
僕は間髪入れずにそこへ駆け出す。
たどり着いたのは、路地裏。薄暗く人気の無い通路に一人の人間が佇んでいた。
僕に気付いたその者は、虚ろな瞳を僕へ向けて──




