94. 思わぬ刺客
「お、お許しを……!」
ディオネ神聖王国、ケルキュ領。国の西部に位置するここにも、幻影兵の監視の目は行き届いていた。
今、一人の女性が幻影兵達に取り囲まれていた。
『我らが王への不敬は死に値する。その血を以て償うがよい』
戦は何百年と勃発せず、民主の世ではあまりに横暴な統治。先日の政変により、ディオネの時代は何百、いや、何千年前もの統治体制に逆行していた。風の噂で反乱軍が結成されたとの情報も耳に入ったが、現状は何も変わっておらず、幻影兵の数は一向に減らない。
「い、いやっ!」
暴虐の刃が振り下ろされる。その刹那──
「嵐絶──『零落暴波』」
暴風が降り注いだ。竜のような大気が地へと衝突し、四方に災禍が巻き起こる。
寸分先、命を落としていたかのように思われた女性を暴威の嵐が取り囲み、周囲の幻影兵を薙ぎ倒した。
幻影兵の骸は魔力となって霧散し、跡には被害者の女性と、男が一人。
「……間に合ったか。ご婦人、怪我はありませんか?」
「は、はい……ありがとうございます」
「あまり外で神聖国王への不満は口になさらぬよう。お気持ちは分かりますが……きっとこの状況は私が終わらせます。では、これで」
「あ、あの! せめてお名前を……」
「ふっ……名乗る程の者ではありません」
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(決まったな……これはかっこいいぞ)
碧点、アリキソン・ミトロンは心の中で呟いた。
救い出した女性から離れ、周囲を見渡す。銀雪が所々積もり、降り注ぐ陽光が少しずつ雪を溶かしている。湿る芝生の上を歩き、彼は先程の決め台詞を反芻していた。
「名乗る程の者じゃありません……そう、俺こそは碧天アリキソン・ミトロン。やがてこのディオネ神聖王国を救う者……」
こうして格好つけながら各地を徘徊する彼だが、その実困っていた。
国境が封鎖され、帰れないのだ。おまけにネットや電話も使えず、実家には現状を連絡できない。このまま自分の安否が確認されなければ、ルフィア王国がディオネに何かしらの制裁を加える可能性があった。碧天の末裔はルフィアにとっては宝も同然であり、国防の中核を担う……良く言えば『国の守護者』、悪く言えば『人間兵器』なのだから。
彼は己の所為で両国が戦争状態にならないかを危惧していたのだ。
無論、彼ほどの実力者であれば封鎖されている国境など容易く強硬突破することも可能だが、そうしても角が立つのだから困ったものだ。
「ふむ……」
どちらへ向かうべきか。ここらは家がぽつりぽつりと見えるだけだが、紙の地図によればこの先に都市があるはずだ。電子機器が制限されると電子地図が確認できないのはもちろん、外部や友の現状も知れず、不都合極まりない。まさかここまで生活が急変するとは……
彼が本気を出せば雷速で移動することにより、遥か彼方へも一瞬で行けるのだが……実は消費する体力は普通に走るのと変わらない。一瞬で移動したように見えても、表には出さないだけでかなり息切れしているのだ。
「はあ、疲れたな……少し休むか。……へくしっ!」
あまりの寒さに身震いしてしまう。ディオネ祭が開催されていた首都方面ならば比較的暖かいのだが、国の端の方になると急に気温が下がる。
炎属性の魔法が使えれば多少マシになっただろうが……残念ながら魔法の類は使えない。
足が疲れているので進むことを躊躇ったが、寒さの中で留まる事と秤に掛け、彼は最終的に進む決断をした。
しばらく進み、視界に高層の建物が見えてきたころのこと。
「そこの方、寒そうですね。暖めようか?」
隣に並んできた者がアリキソンに語り掛けた。
腰まで伸びる黒髪に、カジュアルな服には似つかぬ佩剣。顔は整っており、どこか気品を感じさせる。
(男性……いや、女性か? 分からんな……)
よく分からないので、精神衛生上、女性だと思う事にした。
「ああ、はい……ちょっと寒いですね。首都から逃れてきたもので」
「ほうほう、それは大変でしたね! じゃあ暖めてあげよう」
彼……いや、アリキソンが定義したところの彼女は手から炎を生み出し、熱風を巻き起こした。
その風に当てられたとき、彼は得も言われぬ安堵を覚えた。単純に寒さから解き放たれたことも理由の一つだが、人の温かさにも久しぶりに触れた気がしたのだ。
「いや、助かります。ここらにホテルなどはありますか?」
「ホテル、か……いや、ここらは観光地でもなければ、繁華街でもない住宅街でね。もう少し歩かないと泊まる所はないな。……さて、もう少し強火で」
彼女の発する熱が一段階引き上げられた。
アリキソンの身体を包み込み、汗が彼の身体から吹き出し始めた。
「ありがとうございます。ですがもう十分ですよ。宿泊先は自分で見つけますから、これにて失礼します。この御恩は忘れません」
そう告げて立ち去ろうとしたアリキソンの腕を掴み、彼女はぐいと引っ張った。
「いや、待ってください。良い宿泊先を知ってるんだ。まだ寒いでしょう、もう少し強火でいきましょう」
「ぬっ……!?」
彼を包み込む熱気がさらに上がる。無意識の内に彼は身体に魔力を通し、熱をレジストしていた。この意識の水面下での判断がなければ、軽く火傷していたところだろう。
「あ、熱いな……もう結構です。いや、本当に」
「ははは、まだ寒いでしょ? 遠慮は要らない。さあ、もっと強火で」
(なんだこいつ……)
困惑しながらも、彼は纏わりつく者を振り解こうとする。
しかし、軍人であるアリキソンの力にも彼女は屈さず、彼の腕を離さなかった。
この時、彼ははじめて危機感を覚えた。先程感じた温もりが霧散し、冷や汗となって背を流れた。
「……失敬!」
彼は少し、いや、あらん限りの力を籠めて拘束から脱した。
ようやく手を振り解き彼女から距離を取ると、肌に張り付いていた汗が体温を急速に下げ、またしても彼は寒さに閉ざされた。
「ほら、また寒いだろう? あと三段階ぐらい強火にできたんだが」
「貴方は一体何者だ? 俺を殺しにきたのか?」
それを聞くと、その人物は目を丸くし、いかにも心外そうな顔を見せた。
「殺す、だって? ははは、まさか! ……ちょっと有名人を見たから、からかいたくなったんだよ。『碧天』アリキソン・ミトロン。あんたがアルスの最大のライバルなんだろう?」
「ふむ……なるほど。アイツの知り合いか?」
「『紅蓮剣士』エルゼア。リンヴァルスのバトルパフォーマーだぜ」




