第二十八話 暗闇に潜むアイツを狙え! 安定志向!
〈魔導士の塔〉は、序盤から進入可能なものの、だいたいのプレイヤーにとって用のない場所だ。
他人がプレイしているのを見て、初めて存在を知った、なんて人も多いらしい。
俺も友達に驚かれたことがあったっけ。
塔とは銘打ってあるが、建物は二階建てで、拾えるアイテムもない。
知らなかったところで、何一つ困ることはない。
「ごめんよ」
俺は一言断って扉を開けた。
塔の一階は非常に暗い。外から来た俺からすると、すべてが闇に溶けてものの輪郭すら定かではないほどだ。
「な、何でありますか、ここは……」
まだ気絶しているパニシードを両手で大事そうに抱え、グリフォンリースが視線を巡らせる。
テーブルの上にところ狭しと置かれた実験器具、積み上げられた分厚い書物、吊されたスクロールや何かの干物に混じって、小さな灯りを揺らめかせるランプが点々と闇に浮いて存在を誇示していた。
まるで魔女の儀式の最中に紛れ込んだようだ。
「すいませーん。誰かいませんか」
目が慣れるのを待ってから、俺は室内に踏み込む。
が、返事はない。不在か?
俺は少し焦る。このゲーム、そこにいるはずなのにいない、とかいうふざけたバグが、わりと起こりうる。
「…………」
奥に進むと、何かがぬらりとランプの光を照り返した。
「…………」
「…………おおっ!?」
目だ。
薄闇にそいつはいた。
ランプの灯火を双眸の中に宿し、じーっとこちらを見つめているのは、黒髪の少女。
魔導士のローブ姿。かぶったフードの下の髪は鳥の巣みたいなくせ毛で、長さはショートか少し長いくらい。
体は小さく、ひょっとしたらマユラやミグたちと同じくらいしかないかもしれない。
目つきは、まさしくジト目。表情はなく、まばたきしなければ人形あるいは絵画と見間違えるほどだった。
「キーニ・アルマンドロか?」
たずねたものの、少女は何一つ反応しない。ただ一心に俺を見つめている。
俺はまた不安になる。このゲーム、話しかけても何の台詞も表示されない、とかいうふざけたバグが以下略。
「俺は表通りでアパートの大家をやってるコタローだ。あんたの力を貸してほしい。これは友好の印に置いていく。もしOKなら俺を訪ねてくれ。通りで一番綺麗なアパートだから、人に聞けばすぐにわかる」
そう言ってさっき買った〈ネメシスの魔書〉を渡そうとする。
が、それでもまったく動かないので、俺は一抹の不安を覚えつつ、近くのテーブルの上に置き直した。
「じゃあ、待ってる」
俺は〈魔導士の塔〉を出た。
これでいい。翌日には、キーニが俺をたずねてくるイベントが起こるはず。
だ、大丈夫だよな……? これで何も起こらなかったら、五〇〇〇〇キルト大損。しかもイベントは詰み状態になるのだが……。
「コ、コタロー殿……あの……」
背後から俺の袖をちょこんとつまみ、グリフォンリースが呼び止めてきた。
「どうした?」
「さっきの女の子を、パーティーに加えるでありますか?」
「言ってなかったな。そうだ。あいつが、俺たちの新しい仲間だ」
「…………」
「どうしたんだ?」
「一号……」
グリフォンリースはぼそりと言った。
「へ?」
「じ、自分が一号でありますよね!? 正妻でありますよね!?」
「へあっ!? 何泣いてんだよ!?」
いきなりすがりついてきたグリフォンリースに、俺は危うく引き倒されそうになる。
なんやこの本気モード!
「グリフォンリースのことを捨てたりしないでありますよね!? ねっ? ねっ!?」
「今さら捨てるわけないだろアホか!? 次のクエストに必要だから仲間にするんだよ!」
「ほ、本当でありますか? 自分に飽きたのではないでありますか?」
「あれだけ騒々しい日々を送っておいて、飽きがくるかよ! 次に戦う魔物が、物理戦よりも魔法戦の方が安全だからそうするんだ」
そこまで言って、ようやく彼女は落ち着いた。
「取り乱してごめんなさいであります……」
「まったくだ。不用意に心を揺らすとろくなことがないぞ。言っとくが、今後おまえをパーティーから外す予定は一切ない。この先もずっと俺と行動してもらうから、二度と余計な心配はするな。だから心を安定させろ。いいな」
「あひぃ」
「おい! 今度はそっちかよ!」
久しぶりに幸せでビクンビクンするグリフォンリースちゃんを見たよ。
※
そして次の日になり――
その翌日になって――
俺は部屋で真っ青になっていた。
キーニが来ないのだ。
加入の手順としては、
一、キーニが古代魔法の研究をしている。
二、魔法の完成に〈ネメシスの魔書〉が必要になる。
三、〈ネメシスの魔書〉を見つけてくるよう頼まれる。
四、〈ネメシスの魔書〉を渡し、苦労を体で返してくれる――もとい、仲間になってくれる。
ということなのだが。
早まったのか?
キーニはあのとき、まだ古代魔法の実験に取りかかっていなかったのか? いきなり本を手渡されても、わけがわからない状態だったのか? もっと基本的な間違いとして、あれはキーニじゃなかったのか? というかマジに人形だったのか?
色んな懸念が頭の中を駆けめぐる。
もっとちゃんと話しておくんだった。あまりにも一方的にやりすぎた。焦っていたのかもしれない。
次はさらにリスクの高い準備が待っているのに、こんなところでつまずくのは、幸先が悪すぎる。
どうなってるんだ!
俺は我慢しきれなくなって、アパートの外に出た。
階段を足早に下りて、〈魔導士の塔〉の様子を見に行こうと足の向きを変えたそのとき。
アパート前に設えたレンガ花壇の陰に、黒いローブを着た誰かがこそこそ隠れているのを、目が捉えた。
「あれっ?」
俺は急いで歩み寄る。
どう見ても、キーニの着ていたローブに違いなかったからだ。
「…………」
果たして、そこに彼女はいた。
「…………」
膝を抱えてしゃがみ込んだまま、置物みたいにじーっと俺を見つめている。
「キーニ、来てくれたのか」
「…………」
俺が呼びかけても返事がない。
ず、ず、ず……と彼女が動いた。
しゃがんだまま後ずさりしている。そして、小動物みたいにぱっと身を翻して逃げ出した。花壇の反対側の陰に。
「…………!?」
そしてそこから、また、じーっと見つめてくる。
何だ? どうなってるんだ?
キーニというキャラは、『ジャイアント・サーガ』においても性格のはっきりしない仲間だ。強制加入なので、それなりにイベントは用意されているのだが、なんと彼女、台詞がほっとんど用意されていないのだ。
仲間がうじゃうじゃいるこのゲームでは、大量の脳内補完が必要なキャラは多々いるものの、強制加入してくるヤツでこのパターンなのはキーニしかいない。
「おい、待て」
俺はキーニを追いかける。キーニはまた逃げる。追いかける。逃げる……。
「俺の仲間になってくれるんじゃないのか?」
何度かそれを繰り返した後、焦れた俺がたずねると、彼女の動きがピタリと止まった。
今度はいけるか?
絶対安全圏を持つ用心深い野良猫と向かい合っている気分で、じりじりとキーニに近づく。
約二メートル。キーニの腰がわずかに浮いた。ここまでが限界か。
「…………」
キーニはやはりじーっと見つめてくる。
しかし……俺はふと気づいた。
彼女の顔から、滴がしたたり落ちている。
いや、違う。あれは汗だ。幾筋もの脂汗が垂れ落ちている。
どうしたんだ?
じっと見つめ合ううち、俺はついキーニのステータスを開いてしまっていた。
キーニ
レベル12
性別: 女
クラス: 古代暗黒術師
HP: 58/58
MP: 144/144
力:16 体力:14 技量:37 敏捷:31 魔力:63 精神:68
愛想:2 献身:41 義理:21 ……………………
ステータスはまあ魔導士タイプとしては普通。
ん? 何だこれ? ステータス画面に、妙な文字が……?
《どうしよう》《どうしよう》《どうしよう》《男の人だ》《どうしよう》《話しかけてる》《どうしよう》《返事しなきゃ》《違う本のお礼言わなきゃ》《でも男の人だ》《怖い》《やっぱり近づけない》《帰りたい》《でもお礼言わなきゃ》《昨日も言えなかった》《今日こそは言わないと》《あなたのおかげで古代魔法が蘇った》《わたし一人じゃどうしようもなかった》《どうしてあの本が必要だって知ってたの?》《でも言えない》《怖い》《どうしよう》《どうしよう》《こっち見てる》《こっち見てる》
なっ……なんだこの言葉の羅列!?
ステータス画面になんか台詞みたいなものが猛烈な勢いで書き加えられてる。
まさか、これはこいつの心の声なのか?
「あのさ、キーニ……」
「…………」
「人と話すの、苦手か?」
《はい》《イエス》《苦手》《怖い》《答えなきゃ》《聞かれてる》《でも答えられない》
うなずくことさえせずにこっちを凝視しているが、間違いなさそうだ。
つまり、キーニの心の叫びか何かが、ステータス画面にはみ出てるのだ。
器用なんだか不器用なんだか……。
脂汗の原因もこれか。
こいつは緊張して、焦っている。
声も出せないほどに固まって、テンパっていたのだ。
「わかった。とりあえず、あの本は役に立って、俺にお礼を言いに来てくれたんだな?」
《!?》《どうしてわかるの?》《心を読まれた?》《怖い》《男の人だし怖い》
「お、落ち着け。とりあえず、落ち着け。……目は口ほどにものを言うっていうだろ。あれだよ」
《なるほど》《そっか》《心は読まれてない》《よかった》
いや、よくはねーわ……。
こいつはあれだ。俗に言うコミュ障ってやつだ。
それもかなり深刻なタイプの。
ゲーム内でほぼ無口なのは、この性格が災いしてのことだったのか?
やばい。
なんか、すごく面倒なヤツを、俺は選んでしまったのかもしれない……。
リメイク版ドラクエ3の性格は、妄想がはかどりました




