第四章 3(完)
「ミーア、大丈夫か?」
「……っ、ご、ごめんなさい、その、嬉しくて……」
「……」
「その、……挙げたいです。結婚式……」
えへへ、と普通の少女のように一笑するミーアを見て、クラウスはゆっくりと目を細めた。頬に添えていた手をミーアの髪へと移動させると、愛おしむように触れる。
その心地よさに、ミーアはうっとりと目を瞑った。
(猫だった時もこうしてよく撫でていただきましたけれど……やっぱり人間の時の方が、なんだか、幸せですわ……)
猫だった頃を思い出すかのように、ミーアはクラウスの方に頭を傾ける。その甘えるような仕草に、クラウスもまたミーアを抱く手に力を込めた。
やがてどちらともなく視線がぶつかり、クラウスは顎を押し上げると、ミーアの唇に下から吸い付いた。ミーアはたまらずびくんと肩を震わせたが、少しずつ小さな呼吸を繰り返す。
「――……」
長い接吻の後――名残を惜しむようにして、クラウスがようやく顔を離した。ミーアは顔を真っ赤に上気させ、はあ、と溜め込んでいた息を吐きだす。
「式までには、もう少しうまくなってもらわないとな」
「そ、そんな……」
目に見えて狼狽えるミーアを見て、クラウスははは、と嬉しそうに笑った。言いたかったことを伝えられた、とようやく肩の荷が下りたらしいクラウスは、ミーアの体を抱きなおすと、肩口に額を寄せたまま「ああ」と思い出したように呟く。
「そうだ。君にもミーアを紹介しないとな」
「え? あ、ね、猫のミーアですか?」
「本当に可愛い子なんだ。君もきっと気にいると思う」
(す、すっかり忘れていましたわ……)
猫ミーアの可愛さを本気で語るクラウスを前に、ミーアはぎくりと体を強張らせた。
(どうしましょう……猫のわたくしは、もういませんし……)
自分が猫だった明かすべきか。
だが今までのあれそれを思い出したミーアはすぐに否定した。
お風呂に入れられたことや、ベッドで抱きしめられたことなど、恥ずかしすぎてクラウスには絶対知られたくない。
(で、でも、ミーアの姿がないと分かれば、クラウス様は相当悲しまれるのでは⁉)
クラウスはそれこそ目の中に入れてもいたくないほど、猫のミーアを溺愛していた。そのミーアが突然いなくなったとなれば――と気付いたミーアはぞっとする。
「ミーア?」
「な、何でもありませんわ!」
ぶんぶんと首を振るミーアを、クラウスは不思議そうな目で見つめていた。だがすぐに笑いかけると、再びミーアに無言で口づけをねだる。
ミーアは頭の中をいっぱいいっぱいにしつつも、懸命にそれに応えた。先ほど同様、心臓の音がどくどくと早まっていく。
やがてクラウスの唇がうっすらと開き――かすかな水音と、舌先に触れた初めての柔らかさに、ミーアは声なく動揺した。
(ク、クラウス様⁉ あの、こ、こんなの、知りませんわ……⁉)
いよいよ羞恥が限界を超え、ミーアは強く目を瞑る。
その瞬間、ぽん、と何かがはじけるような感覚がミーアの頭上にひらめいた。
(……?)
何となく馴染みのある感触に、ミーアははふはふと熱い息をしながら、慎重に自身の手を頭の上にずらした。すると指先に――ふかふかとした何かが触れる。
それが何かを理解した途端、ミーアはがばりとクラウスから顔を離した。
「あっ!」
「……ッ!」
何故か――いや、大体理由は分かるのだが――突然のことに、クラウスはやや涙目になって口元を手で覆い隠した。
それを見たミーアは「あああっ!」と顔を青くするが、その両手はしっかりと自身の頭を覆い隠したままだ。
「も、申し訳ございませんクラウス様! し、舌は大丈夫ですか⁉」
「――ッ、あ、ああ、問題ない……が、突然どうした?」
「え、ええと、その……」
だがここで答えるわけにもいかず、ミーアはその体勢のまま、そろりとクラウスの膝の上から降りた。
そのままじりじりと、クラウスとの距離を空けていく。
「ミーア? 一体何を……」
「ご、ごめんなさい! ちょっと、用事を思い出しましたの!」
そう叫ぶとミーアは、すばやく執務室を逃げ出した。そのあまりの勢いに、クラウスは呼び止める暇もなく、半端に浮かせた手を下ろすことしか出来なかった。
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(どうして、どうしてですの⁉)
長い廊下を走り抜け、自室に転がり込むように戻ってきたミーアは、鏡の前でおそるおそる両手を離した。すると頭に――三角形の猫耳がぴょこんと生えているではないか。
「や、やっぱり……!」
既視感のありすぎるそれを隠そうと、何度も手で押さえてみる。だが今度は頬の辺りから、ぴんと鋭い髭が生えてきた。もちろん人間のそれではなく猫の髭だ。
「ど、どういうことですの⁉」
ミーアの感情をなぞるように、大きく揺れ動く髭に若干の懐かしさを覚えたものの、ミーアはだめだめと髭を押さえ込んだ。
するとその両手にはぷにっとした肉球があり――ぽん、という軽い音の後、ミーアの視線は一気に低くなる。
(も、もしか、して……)
わなわなと口を震わせながら、ミーアは鏡台の前に置かれた椅子によじ登る。ようやくたどり着いた鏡の前には――大きな目につぶれた鼻の、なんとも愛嬌のある顔立ちの猫が映っていた。
(い、いやあああああ!)
『ぶにゃああああああ!』
なんて聞き慣れた鳴き声。
せっかく人間に戻ったはずなのに、とミーアは前足を鏡に押し付ける。だが向こう側にいる猫も同じ仕草を返すばかりで、ミーアはいつぞやの絶望感を思い出した。
(もしかして、ちゃんとした方法ではなかったから……⁉)
たしかに魔女の様子から言って、ミーアが人間の体に戻れたのは奇跡だったのだろう。もしくはミーアの魂が、あのぬいぐるみと相当親和してしまったのかもしれない。
(よ、よく分かりませんけども、もう一度、魔女に聞いてみるしかありませんわ!)
ミーアはふんすと荒ぶると、勇壮に鏡台から降り立った。
わずかに開いていた扉の隙間をくぐると、たったかと四つ足で廊下を疾走する。その途中、風を受けて揺れる髭が心地よく、ミーアは少しだけ心を浮き立たせた。
だが正面に現れた人物を見て、きき、と前足を突っ張る。
「ミーア! ここにいたのか、探したんだぞ」
(ク、クラウス様!)
再びミーア探しにいそしんでいたクラウスに見つかってしまい、ミーアはそのままひょいと抱き上げられた。
落ち着く腕の中についとろんと相好を崩すが、違う違うと急いで顔を上げる。
(クラウス様、わたくし、魔女の元に行かなければなりませんの!)
『ぶにゃあ! にゃああ、うなあああ!』
「分かった分かった。すぐにミーアに紹介してやる。俺の最愛の妻だ」
(だから! ミーアはわたくしなんですのー!)
うにゃうにゃと激しく身を捩るミーアを抱きあげたまま、クラウスは実に楽しそうに来た廊下を戻っていった。
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それからほどなくして、ミーアは一応人間の体に戻ることが出来た。だがそれ以降もたびたび猫に戻る事態が発生してしまい――近いうちにアイリーンに事情を話し、原因の究明をお願いする予定である。
この事件をきっかけに、クラウスとミーアは以前からは想像も出来ないほど仲睦まじい夫婦になった。
ミーアはあれだけ開催していたお茶会の数を激減させ、避けていた勉強やダンスを真面目に履修するようになった。
クラウスもまた先代に負けないほどの統治の手腕を見せ始め、二人は領民らからとても慕われ、愛される領主たちになったという。
余談ではあるが、他の貴族らと比べ『レヒト公爵家の使用人になりたい』という者が、非常に多いという噂があった。
もちろん穏やかで使用人思いの主に仕えたい、というのが第一ではあったが――中には『食事が美味しいから』という希望者もいたとかいなかったとか。
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仕事もひと段落し、久しぶりに取れたお休み。
早朝のまどろみの中、クラウスは自身の腕の中で眠るミーアに語りかけた。
「ミーア……お前は本当に可愛いな……」
白銀のそれに指を絡ませ、クラウスは愛おしむように撫でる。
ミーアは幸せな夢でも見ているのか、むにゃむにゃと口元を緩めるだけだ。その愛らしい姿を見て、クラウスはそっとミーアの額に口づけるのだった。
(了)
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次の新作は久しぶりの現代恋愛ものです。
中身は異世界ファンタジーなので、黒髪穏やか腹黒紳士が好きな方はお付き合いいただけると嬉しいです~!





