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第三章 2




(いきなりの障害ですわね……どうしましょう……)


 するとそこにクラウスの執事が通りがかった。

 床にしゃがみ込むミーアと目が合うと、無表情でこちらに迫って来る。


「逃げ出したのでしょうか……ほら、こちらに」

(い、いけませんわ! せっかく部屋から出られましたのに!)


 ここで捕まっては意味がない、とミーアは弾かれたように起き上がると、しゅばばと執事から距離を取った。

 それを見た執事はわずかに眉をしかめ、じり、とミーアとの距離を詰めてくる。びくびくと毛を逆立てるミーアを見て、執事はにいと口元を上げた。


「……怖くないですよー」

(十分怖いですわ!)


 たまらずミーアは『ぶにゃ!』と叫んで走り出した。

 背後で執事の舌打ちが聞こえたが、振り返ることなく必死に足を動かす。


(玄関はダメですわ……何か他の方法を考えませんと……)


 しばらく走っていたミーアは、やがて一階の端にある厨房へとたどり着いた。

 少し速度を落として中の様子を窺う。

 すると、シェフの一人があの見習い少年に向けてお遣いを言いつけているところだった。


「王都は初めてか? 気をつけて行けよ」

「はい!」

(王都!)


 その単語に、ミーアは目を輝かせた。

 これ幸いとばかりに少年の後をつける。

 どうやら王都までは小さい馬車を使うらしく、裏口に留められたそれの御者席に少年が乗り込むのを見て、ミーアもこっそりと荷台に忍び込んだ。

 やがてガタン、と車輪が回り始める。


(ふふ、わたくしでも、やればできますのよ!)


 ガタゴトと荒々しく揺れる荷台の中で、ミーアは満面の笑みでこっそり『んなぁ』と鳴いた。






 やがて揺れが収まり、ミーアはぱちりと目を開けた。

 どうやら眠ってしまっていたらしい。


(段々……本当の猫になっている気がいたしますわ……)


 くああ、と大きくあくびをし、短い手足をいっぱいに伸ばす。

 御者席の方で話し声がするのを確認し、ミーアはそろりと覆いの合わせ目から顔をのぞかせた。

 そこは王都の入り口にあたる市門で――ミーアはぱあっと口を開く。


(なんて懐かしいのでしょう……)


 クラウスと結婚する前は、様々な貴族からパーティーに招待され、そのたびによくこの門をくぐったものだ。

 その時は馬車で通過するだけだったので、初めて降り立つその場所に、ミーアは少しだけ緊張する。


「じゃあまた夕方にな」

「はい! お願いします」


 ――という少年と御者のやりとりを聞いた後、ミーアは馬車を離れ、ぽてぽてと周囲を観察しに向かった。

 以前のミーアが訪れていたのは貴族街だったので、他の地域を見るのは初めてだ。市門の周りには他にも多くの馬車が乗りつけられており、とても多くの人で賑わっている。

 少し行くと、さらに人が増えた。どうやら市場通りらしく、舗装されていない道路の左右には多くの店が軒を連ねている。

 野菜や肉、魚などを売っている露店もあり、ミーアは人混みを縫うようにして、きょろきょろと散策する。


(すごい……色々なものを売っていますのね……)


 ミーアは今まで、買い物を専属の外商にお願いしていたため、邸から一歩も出ずに済ませていた。

 初めて味わう活気立った市場の雰囲気や、見たこともない果物。加工される前の宝石などを目の当たりにしたミーアは、好奇心の赴くままあちらそちらにと浮かれあがる。

 だがミーアははっと気を引き締めると、ぶんぶんと首をふった。


(いけませんわ! わたくしは、魔女を探しに来たんですのよ!)


 ミーアはある店の軒先に座り込み、通りを歩く人々の顔をじっと見上げる。違う、違う、と右に左に大きな目を動かしながら、ひたすら記憶にある『魔女』の姿を探し続けた。

 そこでふと横からの熱い視線を感じ、ミーアははたと振り返る。

 するとそこには、ミーアと同じ――いやだいぶスマートな灰色の猫が立っていた。

 左目には斜めの傷跡があり、どことなく威圧感がある。


『お(めえ)さん、どこのシマの奴だ』


 突然聞こえてきた声に、ミーアは飛び上がりそうになった。


『あ、あなた、喋れますの⁉』

『アアん? 何言ってんだてめえ』

(も、もしかして、猫同士なら喋れるんですの⁉)


 まさかの発見に驚くミーアをよそに、灰色猫はなおも続ける。


『ここじゃ見ねえ顔だな。よそモンか?』

『わ、わたくしはミーアと申します。あの、つかぬ事をお伺いしますけども……』

『ここは俺の縄張りだ。この店の残飯は美味いからな』

『話を聞いてくださいませ! わたくし残飯を食べに来たわけでは……』

『うるせえ! いいから消えろ!』

(い、いやあああ!)


 ふしゃーと毛を逆立てて怒る灰色猫の迫力に、ミーアはたまらず逃げ出した。再び人混みの中に紛れると、はあはあと呼吸を落ち着ける。


(こ、怖いですわ……野良猫には、野良猫の世界がありますのね……)


 だがここで諦めるわけにはいかない、とミーアは再び足を止め、道行く人の顔を観察しようとした。

 すると脇の店で寝そべっていた三毛柄の猫が立ちあがり、ミーアを下から上にとねめあげる。


『おい、嬢ちゃん。ここはオレの縄張りだぜ』

『まあ! そうだったのですね、申し訳ございません。でもわたくし、人を探しているだけですので……』

『四の五の言わずに出ていかんかい! この不細工が!』


 すると三毛猫は突然、前足をミーアの鼻先に振り上げた。

 幸い――と言っていいのかは分からないが、ミーアの鼻が低かったおかげで当たらずに済んだようだ。

 突然の狼藉に、ミーアは鼻息荒く怒鳴り返す。


『ですから! あなたの縄張りを荒らすつもりなど毛頭ございませんわ! なんて無礼なんでしょう!』

『その言葉遣いもわざとらしくて鼻につくんだよ! ああ、鼻が低いから分からないのか?』

『なぁんですってー!』


 クラウスが天使のようだと言ってくれた顔。それを侮辱されるなんて、とミーアは怒りを露わにする。その激情のまま、ミーアは渾身の力を込めて三毛猫をひっかいた。


『いってえな! 何すんだよ!』

『ああらごめんあそばせ。わたくしの長い足が触れてしまいましたわね』

『その短さで何言ってんだ!』

『んまーー! 失礼な方ですわね!』


 傍から見れば、二匹の猫がにゃごにゃごと戯れている微笑ましい光景だったかもしれない。

 だが当のミーアは『わたくしのプライドにかけても、絶対にこの喧嘩に負けてはならない』という決死の意気込みで挑んでいた。

 三毛猫が繰り出すパンチを躱し、ミーアはすかさず彼の首筋に噛みつく。にぎゃあと悲鳴を上げる三毛猫に、さらにミーアは連続した拳を二、三発叩きつけた。


『い、いててて! や、やめろ!』

『まだやりますの⁉ わたくし受けて立ちますわよ!』

『こ、降参だ! 好きにしろ!』


 やがて『ぐるにゃう』という短い去り言葉を残し、三毛猫は姿を消した。その姿を見つめていたミーアは、やや乱れた毛を整えながら得意げに微笑む。


(ふふ、わたくしを馬鹿にするからこうなるのですわ!)


 晴れて居場所を勝ち取ったミーアは、改めて魔女探しを再開した。通りを歩く人の数は相変わらず多く、ミーアは忙しなく緑の光彩を動かし続ける。


(あの方も……違う。あの方は黒髪ですけれど……目はオレンジ色ですわね……)


 やがて太陽がゆっくりと傾き始め、ミーアはしぶしぶ立ち上がった。


(そろそろ帰りませんと……クラウス様が心配なさいますわ……)


 夕方には邸に戻る馬車が来る。

 それまでにあの市門に戻らなければ……とミーアは魔女探しを諦め、とぼとぼと帰路につこうとした。

 その時――目の前を通った女性を見て、ミーアは目を大きく見開く。


(――『魔女』!)


 腰まである長い黒髪に黒い目。

 今はローブのような衣装は着ておらず、普通の人のような恰好をしているが間違いない――ミーアに呪いをかけた『魔女』がそこにいた。



 

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