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第二章 7



 そして三日目。

 執務机占拠作戦、おもちゃで遊ぼう作戦の失敗を踏まえたミーアは、もはや定位置と化したクラウスの膝の上で一計を案じていた。


(残念ながら今までのやり方では、クラウス様のお仕事を止めることは出来ませんでしたわ……)


 だが体調が戻ってからまだあまり日も経っていないというのに、クラウスは以前と変わらぬ仕事量をこなしていた。見かねた執事が『自分たちが出来る範囲は致しますので』と進言するも、クラウスは頑として首を振らない。


(今日こそは、絶対に休んでいただきます!)


 強い決意のもと、ミーアはううんと伸びあがった。

 すると「起きたのか」とクラウスがそっと絨毯の上に下ろしてくれる。いつもであればこのまま籠へと移動するのだが――今日のミーアは一味違った。


 壁際に置かれた本棚を伝い、窓の傍にある棚へと移動する。

 窓の外には、人間だった頃のミーアが良くお茶会を開いていた中庭が見え、ミーアは『ぶなうう』とクラウスの方を向いて鳴いた。


「ミーア? どうした」


 珍しいと思ったのか、クラウスは椅子から立ち上がり、ミーアのいる窓辺へと近づいて来た。ミーアはしめしめと心の中で頷きながら、何度もぶにゃぶにゃと声を上げる。


『ぶなーーう』

「外? 何かいるのか?」

『なーーう』


 あと一押し、とミーアは短い前足でしきりに窓枠をひっかいた。その様子に、クラウスは慌ててミーアに声をかける。


「分かった分かった。外に出たいのか?」

『ぶにゃーー!』

「まあ……ずっと家の中というのもストレスになるか……」


 するとクラウスは「おいで」とミーアに呼びかけると、執務室の扉へ近づいた。ミーアはわくわくとした面持ちで足早に後に続く。

 やがて普段は施錠されている扉が、クラウスによって少しだけ開かれた。だがミーアの思惑とは裏腹に、クラウスはミーアを見送るように手を振る。


「行ってこい。ただし出るのは敷地内までだ。門の外に出てはだめだからな」

(ち、違いますわ!)


 一人で遊びに出ても何の意味もない。

 ミーアは慌ててクラウスの足元にすり寄ると『なーお、ぶなーお』と精いっぱい甘えた声を出した。

 人間だった頃にもしたことがないほど目を大きく見開くと、期待に満ちたきらきらとした眼差しで、すがるようにクラウスを見つめる。


 するとその祈りが通じたのか、クラウスは「う、」と胸を押さえた。そのまま照れをごまかすかのように咳払いをすると、ミーアをそっと抱きかかえる。


「……ま、まあ、一緒に行きたいというのであれば、付き合ってやろう」

(やりましたわーー!)

『ぶにゃーーお!』


 執務室から離れれば、どうあがいても仕事を継続することは難しい。勝利を勝ち取ったミーアは高らかに凱旋の歌を謳い、それを聞いたクラウスは――


(よほど嬉しいのか……やたらぶにゃぶにゃ言っているな)


 と微笑ましい目でミーアを眺めていた。





 そうしてクラウスに抱えられたまま、ミーアは中庭へとたどり着いた。ミーアがお茶会を開いていた頃は、噴水も彫刻も薔薇で綺麗に飾り付けられ、それはそれは華やかな場所だった。

 だがミーアがこんな状態になってお茶会など開催されるわけもなく、中庭は石造りの東屋やテーブルや椅子が放置されたままになっている。


(なんだか……寂しいですわね……)


 ほんの数日前まで、ミーアは何の疑いも持たず、ここで毎日のように遊びに興じていた。

 とりとめもない恋の話。

 年頃の貴公子の噂。

 勉強もダンスも二の次で、ミーアはただ楽しく日々を暮らせることだけに幸せを感じていた。


 だがそれはすべて嘘で出来ていた。

 一緒に語らっていた友人たちは、ミーアを本当の友だとは思っていなかった。ミーアはそんなことにも気づけないほど、愚かであったのだ。


「――ミーア?」

『にゃ、ぶなーお!』


 髭が下がったのを見られたのだろう、クラウスが心配そうに顔を覗き込んできた。それを見たミーアは「今はクラウス様に休んでいただくことが大切でしたわ!」と慌てて明るく声を上げる。

 すると中庭を眺めていたクラウスが、ぽつりと言葉を零した。


「ここは……俺の妻が、よくお茶会を開いていた場所だったんだ」

『……なーう』

「彼女は俺と違って友人も多くて、ここはいつも大勢の人で賑わっていた。俺はこんな性格だからな。挨拶に出向くこともせず、一人で執務室の窓から眺めていたよ」

(クラウス様が……ご覧になっていた……?)


 そういえば、さっき窓辺に飛び上がった時、執務室から見える位置に中庭の東屋があった。まさかクラウスが、お茶会を気にしていたなんて……とミーアは驚愕する。

 するとさらに意外な言葉が、クラウスの口から紡がれた。


「情けない話なんだが……彼女の友人には男もいてな。俺としては気が気じゃなかった。だが婚姻という確固たる関係まで結んでおきながら、彼女が取られるのではないか――なんて嫉妬するのは、……なんだか見苦しいだろう? だから……つい『好きにしろ』と言ってしまってな……あんなこと、言わなければ良かった」

(そ、そうだったんですの⁉ てっきり、クラウス様はわたくしのことに興味ないとばかり……)

「それに……彼女は華やかな人だからな。暗い俺なんかの傍で耐えているより、いつも嬉しそうに笑っている姿を見たかった」


 言葉を失うミーアを抱いたまま、クラウスは近くにあった東屋に入ると、そっと腰を下ろした。


「本当に――綺麗な人だった。『宝石姫』と呼ばれるくらい、髪も目もキラキラしていて。声も一音一音に色がついているかのように可憐で清楚で……俺と同じ人間だなんて思えないほどだった。……でも彼女の美しさは、見た目だけじゃなかった」

『ぶな……?』

「彼女と初めて会ったのは、公爵家のパーティーだった。その頃の俺は線が細くて、普段から体調を崩しがちだったんだ。その日も朝から熱があって、でもどうしても休めないと赴いたんだが……途中でついに倒れてしまってな」


 幸いパーティーの会場から離れた庭先だったため、大ごとになることは避けられた。だが助けを求める気力もなく、クラウスはそのまま物陰で休んでいたのだという。

 そこに同じく招待されていたミーアが現れ、ひょっこり覗き込んできたそうだ。


「俺が熱を出していると気づくと、彼女は大慌てでどこかへ駆けて行った。まあ、面倒ごとに関わりたくないだろう、と俺はそのままくたばっていたよ。そうしたら……彼女がぬいぐるみを片手に戻って来たんだ」



――『今、人を呼んでくるから、ちょっと待ってて!』



「彼女はそう言って、自分の大切なぬいぐるみを押し付けると、また勢いよく会場に戻っていった。俺は何が何だか分からないまま、そのぬいぐるみを抱く羽目になって――でもそれを持っている間だけは『あの子が絶対に戻って来てくれる』と信じることが出来て、……自分でも不思議なくらい、心が落ち着いた」

『……』

「でも彼女が戻って来る前に、俺の両親が気づいて……すぐに邸に戻されて、彼女とはそのまま、というわけだ」


 まさかの告白に、ミーアはどんな顔をすればいいか分からなかった。クラウスが話しているのは相当小さい時のことで――ミーア自身は、まったく記憶になかった。

 ぬいぐるみだって、たくさん贈られ、たくさん無くしたうちの一つでしかないだろう。


 だがクラウスは、たった一度だけのミーアとの出会いを、ずっとずっと大切に覚えてくれていたのだ。



 

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