15:学園の眠り猫、ふたたび
西月先輩と俺が料理を作るときには、修吾や七森先輩、常盤先輩(西月先輩の友達)などが試食をすることもあるけれど、不動の試食担当がいる。それは飯田橋先輩だ。だから俺が西月先輩に料理を教わっているときは、飯田橋先輩が自動的に俺のも試食することになる。
マドレーヌ(プレーン・レモンピール入り・チーズ入り各1個ずつ)をもくもくと食べたあと飯田橋先輩が満足そうにふうと息をはいた。
「ごちそうさまでした。助手、腕あげたね」
「ありがとうございます。それと飯田橋先輩、俺はもう“助手”を卒業したはずなんですが」
“助手”というのは昨年俺についたあだ名の一つ。だけど、俺をこう呼ぶのは昨年卒業した天野先輩と犬山先輩くらいしかいなかったはずだ。ついでにいえば、このあだ名…俺はちょっと微妙だ。
「ん~、だってさあ。今年から副会長になったじゃん。そしたら“書記”じゃないし」
「そりゃそうですけどね。だったら普通に名字で呼んでくださいよ、名字で」
「それはつまらないよ。だから助手って呼ぶことにした。じゃ、俺行くから~」
「途中で寝るなよ。ちゃんと保健室か自分の部屋で寝ろよ」
「ん~~~がんばる~」
そういうと、伸びをして飯田橋先輩は調理室から出て行った。
「西月先輩、飯田橋先輩ちゃんと部屋で寝るでしょうか」
「うーん、どうかなあ。でもまあこの季節ならどこで寝ても風邪はひかないよ」
西月先輩は達観してるなあ。俺、まだそのレベルにはなれないや。
思い出すのは昨年の今頃、裏地図片手に俺と修吾が遭遇した出来事。おりしも、今日は土曜日で授業がないから、1年生は裏地図片手に探検していることだろう。
きっと今年も裏庭で寝てる飯田橋先輩に遭遇する1年生が現れるかも。
「昨年の俺みたいに、遭遇する1年生がいるかもしれないですね」
「そしたら今度は澤田くんが駆けつけてあげてくれないかな。僕、これから七森や常盤と外出するんだ。マドレーヌの残りと飴を持っていけば完璧だからさ」
「先輩が作ったマドレーヌ少しもらっていいですか。俺のだとまだ起きるか分かりませんから」
了承を得て、俺は西月先輩の作ったマドレーヌを各種1個ずつもらう。俺が作ったのは“試食にはいけないが食わせろ”とうるさかった修吾と白戸に食べさせよう。
ま、飯田橋先輩がおとなしく部屋か保健室で寝てるならこのマドレーヌは俺が食べるかな。やっぱり西月先輩が作ったものは一味違うのだ。
調理室の鍵を職員室に返し、部屋に戻る途中で俺の携帯電話がなった。画面をみた俺は思わず“ああ、やっぱり”と思ったのだった。
『澤田せんぱいいい、裏庭で人が倒れています!!』
困惑した声で電話してきたのは1年生の生徒会役員で書記と会計をやってる清水くん。白戸のようなお調子者だが数学好きで、簡単に言うと発明の興味が数学に向いた天野先輩タイプだ。変な実験をしないぶんかわいい後輩である。
「それ、熟睡してるだけだよ。ゆっくり近寄ってみな」
『え?!そうなんですか……あ、本当だ。すっげえ寝てます。でも、暖かいとはいえまずくないですか』
「んー、そうだね。じゃあ俺が行くまで悪いけどそこにいてくれるかな。時間は大丈夫?」
『それは全然大丈夫です。俺らも見つけた以上放置はちょっと』
電話を切ると、俺はマドレーヌと念のため部屋に戻って飴を持ってから清水くんのもとに向かった。
やっぱり部屋に戻るまでに睡魔に負けたらしい。困惑する清水くんたちをよそに飯田橋先輩はぐっすり寝ていた。やっぱり昨年の俺と修吾を見ているようだ。西月先輩もきっと今の俺のような気持ちだったのかも。
「待たせてごめんね。あ~、やっぱり飯田橋先輩か」
「やっぱりって、澤田先輩はこの人を知ってるんですか」
「うん。俺も昨年、清水くんみたいにここで遭遇したんだよ。今起こすからちょっと待っててね」
そういうと、俺は袋から西月先輩の作ったマドレーヌ(まずはプレーン味から)を取り出し飯田橋先輩の顔に近づけた。清水くん…その困惑した顔、俺も覚えがあるよ。でもね、世の中にはいろんなことがあるんだ。
飯田橋先輩は一瞬ぴくりとすると、鼻を動かしうっすらと目をあけた。
「……これは涼輔のつくったやつだ。このにおい、プレーン味…」
「飯田橋先輩、レモンピール入りとチーズ入りも持ってきてますよ。起きて食べませんか」
「…うん、起きる。あ、助手~、おはよう」
「おはようございます。昨年に続き1年生が困惑してます」
「う~ん、涼輔に言われたけど部屋に行く前に眠くなっちゃったよ。お、後ろにいるのは1年生?驚かせてごめんね、俺は飯田橋千都。3年生だよ」
飯田橋先輩に自己紹介されて、清水くんたちもあわてて名乗った。
「へ~~、清水くん、生徒会で書記やってるの。じゃあ“書記”って呼ぶね」
一緒にいた清水くんの友人たちにも適当なあだ名をつけていく飯田橋先輩。それぞれなんともいえない顔をしてるけど、大丈夫。そのうち慣れる。
「あの、澤田先輩。俺はこれから“書記”って呼ばれるってことですか」
「そうだね。でもすぐに慣れるよ」
こそっと質問してきた清水くんに、俺もこそっと答えた。




