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44.嵐の前の静けさ&お鍋の日

 まあ、なんでしょうか。つまりどえらいことになったわけだ。あれから若頭さんとエハタさんと綿密に練られた計画は、シラフの頭で考えれば考えるほど身の毛もよだつ恐ろしいものだった。これ、失敗したら今度こそ消される気がする。


 なんか、つばやさんに出会ってからヤクザに追い詰められすぎじゃない?


 でかいヤクザ邸を出た頃にはすっかり日も暮れて、ぶるぶると震えるほどに寒い。でかい門にもたれて、どうしたもんかと見上げた空は不気味なぐらい澄んでてきれい。体の芯から震えるような本格的な冬を感じる。はーっと白い息を吐くと、下っ端ヤクザさんが「みかるさん、送っていきますよ!」と声をかけてくれた。


「あ、じゃあお願いします」とぺこりと頭を下げて。とにかく、一回気分転換したくて向かってもらったのは大きなスーパーマーケットだった。



○○。



 買い込んだのは、白菜、豚バラ肉、長ネギ、豆腐、ぶなしめじ、ニラ。そしてビールといきたいところだけど、お金を貯めたいわたしは我慢して発泡酒を手に取った。でも発泡酒は発泡酒でまた違ったおいしさがあると思うのだ。軽めのコクと味わいは、どんな料理にも合うし、いろんな種類があって選ぶのも楽しいし。まあここは王道の金麦ちゃんだな。


 おっと、チーズを忘れてたぜ。こいつがねえと、シメができねえ!


 スーパーからは近いから、歩いて帰る。玄関から八階までエレベーターでのぼり、鍵を指すと開いていた。もう帰ってきてるらしい。


「ただいまあ」

「みかる、どこ行ってやがった。連絡してもでねぇし心配したぞ」


 ソファでパソコンをカタカタ鳴らしていたつばやさんは、しかめっ面を向けて言う。

 相変わらず過保護かよ。というか、連絡くれてたんだ。慌ててスマホを見ると、なんと電源が切れていた。充電切れだろうか。


「うわぁ、切れてる。ごめんごめん」

「チッ、気をつけろよ」


 今の舌打ち、いる!?


 つばやさんの視線は、わたしが持っている、やけに大きなスーパーの袋に移った。


「何買ってきたんだ」

「えへへ、寒いから鍋なんてどうかなーって」


 きらんっ。つばやさんの切れ長の目が光った気がした。


「晩御飯、まだですよねえ。つくっていいですか?」

「鍋、いいじゃねえか、鍋」


 見るからにテンションあげあげな強面ヤクザ。口元が緩んでやがるぜ、かわいいなあオイ。


「じゃあ、ぱぱーっと準備しちゃいます!」

「任せた。ちょっとやらなきゃいけねえことが溜まってんだよ」


 ぐしゃぐしゃと整えられていた金髪を乱暴に搔き、画面をにらむつばやさん。デスクワークもヤクザの仕事らしい。ほんと、このひと、いろいろやってるよね。


 あんまり邪魔しちゃ悪いし、そーっと準備しよう。キッチンにそろそろと侵入した。



○○。



「鍋のいいところ! ひとーつ、冬にもってこい。身体も心もぽっかぽかになるところ! ふたーつ、準備が簡単なところ! みーっつ、酒に合うところ! よーっつ、シメまで酒に合うところ!」

「黙って用意もできねえのか、お前は」


 ざくざくと白菜を切っていたらテンションが上がりすぎて、いつの間にか声に出していたらしい。


 清潔に整えられた、真っ白で大きなキッチンに白菜のカスが飛び散りまくる。これは、わたしの切り方が荒いせいだ。あとで掃除しておかないと、ヤクザにキレられる。水を入れた鍋にドサドサと白菜と豚バラをいれる。ぶなしめじ、ネギ、ニラも切って入れる。なんて簡単なんだろう。IHの電源をぴっと押して、煮られるのを待つ。


 そういえば、コンロってあるのかなあ。勝手にキッチンの下の食器その他収納ペースを漁る。ガチャガチャと鳴る音が大きくなればなるほど、なんだかつばやさんの視線が痛い気がしてくる。黙ってデスクワークしとけよ。


「みかる。コンロなら上にある」

「えっ、つばやさんってばエスパーなの!」


 はぁ、なんておおげさにため息を吐かないでください。上と言われて、見上げるのは多分、この食器棚の上の扉というところか。届かないから何か台になるものを探す。おお、ないな。届くかなあ、とつま先立ちで手を伸ばすも、まったく届く気配がない。


 そうこうしてるうちに、煮すぎた鍋がゴボゴボと音を立て始めた。やばい! いそいで弱火にする。そして、遠慮なく入れるのはキムチ!


 そう、キムチ鍋だ! こいつは!


 やれやれ。あとは中火で煮込んで味が整えば完成よ。みかる流は、さらにこのあと味噌、醤油、みりん、コチュジャンも投入する。最後にニンニクチューブをねじり、ごま油をまわし入れる。おっと、豆腐を忘れちゃ大変。崩さないように、慎重に入れる。さらにいい匂いがして、ぐぅとおなかが鳴る。


「クククッ」


 笑い声がしたかと思えばつばやさんだった。


「なんだよ」

「みかる、おまえマジでチビだよな。馬鹿らしくて仕方ねえわ」


 言われて、かーっと顔が熱くなる。さっきの見てたのかよ! この、ヤクザ野郎!


「何笑ってんだよ!」

「くはははは、はー、面白いなお前。コンロとってやるからなあ、ククク、チビめ」

「金色ゴリラに言われたくねえわ」

「誰がゴリラだ」


 ふっ、とほほ笑む優しい表情。うーん、あー、やっぱ好き! なんてメロメロかよって。


 出してもらったコンロの上に、鍋を置けば準備完了だ。あとはそそくさと持ってきたビールグラスに、注ぐ金麦ちゃん。あー、金色! あー、麦! あー! 最高!


「かかかんぱーい!」

「おつかれ」


 さてさて、白菜と豚バラをお皿にとる。ぱくり。熱々で、辛くて、これぞ冬の醍醐味、キムチ鍋! 思い切りキムチをいれたから、しっかりとツンとした香りと辛みはそのまま、少しマイルドになって具材に絡むお汁がたまらない。熱々の喉に、キンキンの発泡酒を流す。


「しあわせ、あー、しあわせ」

「鍋は良いもんだな」


 そうだよね。1人暮らしのときも、1人鍋は食べてたけど、やっぱり誰かと食べたほうがおいしいや。それが好きな人なら、なおさら幸せだ。


「で、今日はこんな遅くまでどこ行ってたんだ?」


 にっこり笑顔の裏に、「どこ行ってたんだ。吐け。じゃねェと殺すぞ」と言いたげな、不穏な空気を感じた。ごくりと生唾を飲む。


 言えねえよ、あんたのボスのところに、クリスマスの相談行ってましたなんて。言えねえよ、あんたを巻き込む恐ろしい計画が進行してるなんて。


「ア、アキラのところで勉強してました!」

「……嘘っぽいなァ、なんか」


 ぱくぱくと、お鍋を食べつつ、つばやさんは訝しげな視線を向け続ける。嘘をつくのが下手な私も、今、ここで、事実を晒すわけにはいかない。


 じろじろ見られて、詰まりそうな喉を叩いて飲み込む。


「嘘じゃないですって。……あ、ところで、つばやさん、もうすぐクリスマスですよー」


 策士阪奈みかる。話題をそらしつつ、ミスリードを図る作戦に出た。


「わたし、彼氏がいるクリスマスなんて初めてなんですから」

「へぇ? ふーん」

 

 ニタニタと嬉しそうに笑う。


「……さては、つばやさん、どうせ歴代彼女にベッタベタなクリスマスデートしてましたね。良いレストランでシャンパン呑んでイルミネーション見てラブホにGOでしょ、どうせ」

「んなワケあるか。聞いただろ、俺が女っ気ねぇの」

「ゲイなんでしたっけ」

「それも違ぇよ」


 わたしの金麦を奪って、ゴクゴクと飲み干す。


「わ、わたしのお酒ー!」

「うるせェな、家に酒いっぱいあんだろ。好きなの持ってこい」

「うわー、どうしよう、お鍋ですもんね。うーん、よぉし、下町のナポレオンのお湯割りだ!」


 お湯を沸かし、焼酎グラスに注ぐいいちこ様。勝手につばやさんの分もつくった。


「はいどうぞ」

「焼酎だと思ったぜ」

「んふふ、お鍋ですもん。あ、冷めてきましたね。火つけますよー」


 ぼぅ。コンロの火を見ると、冬だなあと思うわけよ。

 つばやさんは、箸でぐるぐるとお鍋を回しながら、ぼそりと言った。


「つーか俺、クリスマス=デートっつーのも短絡的で好きじゃねェんだよ」

「え、な、なんだと?」


 今、けっこうショックなこと言われたような。


 そうなのか。この人のことだから、勝手にそういうイベント事は律儀にこなすのかと思ってたら、そんなことはないらしい。どっちかというと冷めてる人だったとは。


 なんだそれ。一人で浮かれてたわたし、ばかみたいじゃん。


 そんなに表情にショックが出てたのか、つばやさんはハッとして「……え、みかる? おい待て、そういう意味じゃねえよ」と焦って言う。


「で、でも好きじゃないんですよね」


「……いや、だから」


 目を伏せて、床をにらみつける赤い顔が俯く。


「……今まではそうだったけどよ。みかるが浮かれてんの見たら悪くもねえな、と」

「…………お、おぉ、っ、と……?」


 あれ? 


 なんか、こういうときって、今までなら茶化してたのに。なんか、わたしまで身体も顔も熱くなってきて、お箸を持ったまま固まってしまう。こんなに暑かったっけ? わたしまだ焼酎飲んでないのにな、おかしいな。


――――赤面のまま、固まる28歳ヤクザと、21歳アル中。


 耐えきれなくて、静寂を壊してしまったのはわたしの方だった。


「あ、つ、つばや、さん! お鍋、煮えちゃいます! そうだ、具も少なくなったし、シメいきましょう。ごはん入れてチーズリゾットです、チーズ取ってきますから!」


 ぱたぱたと冷蔵庫に向かうけど、ひぃ、心臓がバクンバクンとうるさすぎる。



 なにこれ、ほんとなにこれ!



 ちらりと振り返ったら、気まずそうなつばやさんはゆっくりと焼酎グラスを傾け、ぼそりと何かをつぶやいた。


 ほんとごめん、つばやさん。


 こんなに面白くて良い人を待ち構えるクリスマスは、サンタじゃなくてサタンの方がよく似合う――――血の色のクリスマスである。


「…………つばやさぁん、クリスマスたのしみにしててね」


 つばやさんのほうが見られず、鍋を睨みつけながらか細い声で言った。ぼちゃん、と入れたごはんとチーズを煮込み、


「ほんと、たのしいサプライズ用意してるから」と嘘じゃないけど、本当でもないことを言ってみれば、


「楽しみにしてる」と笑う、素敵な表情にまた罪悪感がキリキリ痛み出した。


 

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