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37.ピンチな時こそキューバリブレ

 つばやさんに再会して一週間。例の事件も大方落ち着いたらしく、風山邸をあとにした私はまたいつものように一人じゃ広すぎるマンションで過ごし、ちょうちんメロンに修行に行き、学校に行きという生活をしている。

 そしてあの、呪いのガトーショコラは心底品宮さんを恐怖させてしまったらしい。新しいスマートフォンを手に入れたというつばやさんから聞いた。ほんとにごめん、品宮さん。


 四人全員で酔っ払って、まともな結果になったことなんか今までで一度もないというのに。学習しないFラン大学生たちだが、なにせ来年から全員社会人だ。大丈夫か、ほんとに。わたしも含めてだけど。


 さて、時刻は19:00を回ったころだろうか。ガトーショコラに使ったラム酒の残りをコーラで割った、いわゆるキューバリブレと、スーパーで買ってきたチーズでモチャモチャと一人酒をしていたときだった。

 ピンポーン、とチャイムが鳴る。


 えっ、まさか。「もうそろそろ退院するぜ」とは言っていたけれど、全身ボロッボロで動けそうにもなかったのに、まさか?

 いやそんなはずないよなあ、とモニターを覗いたけれど、フラグは無慈悲に的中していた。


「みーかーる、帰ったぜ」


 この部屋の主、斎藤鍔夜のご帰還だった。


〇〇。


「うそだろ、つばやさん、全身ばっきばきのボッコボコだったのに! 全治二ヶ月ぐらいかかりそうな感じだったのに、早過ぎないですか!」


 やべえ。もう部屋の前まで来てる。全身の力をドアにかけて、必死で押さえ込む。


「アレでも長かったぐらいだよ。…………おい、さっさとチェーンを外して開けろよ」


 むりです!


 どうしても私には、今、この男をあげられない理由があって必死でドアを押さえつける。しかし力で及ぶはずもなく、メリメリメリとすごい音をたてながらドアが開かれて、待って、チェーンが千切れる!


「おい、知ってんだよ。どうせ俺がいねえ間、ロクに家事も掃除もしてねぇんだろ」


 だから、なんでいっつも行動がばれてるんだよ!

 ドアの隙間から、ギラギラと怒りに満ちた三白眼がサングラス越しに覗いていて、これは完全にホラーだ。ひいっ、と声を漏らせば「十数える間に開けねえとひどい目にあわせるぞ」と恐ろしく冷たい声が言い放った。こいつ、何様なんだよ!


 いや、家主様なんだけどさ。


「じゅーう、きゅーう、はーち、なーな……………」


 この人、多分こうやって取り立てとかもやってるんだぜ。ひー、こわいこわい!

 でもひどい目に合わせられるのはごめんだから、とりあえず足元に落ちていたバスタオルだけ洗濯機の中にブチ込んだ。いや、こんなバスタオル一枚入れたところで床にはまだ服も脱ぎ散らかされてあるし、食べかけのおかしやら、飲みかけのジュースが転がってるわけなんだけど。


 あっまずい、こんな場合じゃない、間に合わない!


「にー、いーーーーち、ゼ」

「はいっ、おかえりなさいっつばやさんっ!」


 あぶねえ、今ゼロって言いかけてたなこいつ。チェーンを外して開けたドアの向こうで、相変わらずの高身長は怪我してたのが大嘘みたいにピンピンしていて。それどころか、元気すぎるような。口元をヒクヒクさせながら見下ろし睨んでいる。


 不穏な空気を壊したくて、ほろよいな私は口走った。


「おふろにする? ごはんにする? それとも、お、さ、け?」


「掃除だゴラァてめェ、追い出すぞ今度こそ」


 だめだ。ほろよいな私の色香にも目もくれず、久方ぶりに我が家に帰還したヤクザがまず最初に手にとったのは、わたしの脱ぎ散らかした服だった。


〇〇。


 ちくたく、ちくたく。時計の音がやけに聞こえてくる。だらしなくテーブルに座って、引き続き飲酒中な私だ。


「つばやさん、ほんとに超げんきじゃん。やっぱわたしのお見舞いのおかげですね」

「何飲んでんだてめェ、片付けろ!」


 テキパキと整理整頓がなされていく。転がってた本、酒瓶、服、全てヤクザの手によって元の場所に帰された。

 ほとんど片付ける気にもならないわたしは、けらけら笑う。


「キューバリブレですよ。1902年、スペインからのキューバ独立戦争の際に生まれたカクテルです。ラムの香りとコーラの甘みと刺激が踊り狂う、奇跡のカクテルです」

「そういうこと聞いてんじゃねェ、片付けろ」


 そうは良いながらも、床を片づけたあとは手際よく洗濯物を種類ごとに分け、柔軟剤を丁寧に流し込む、わたしの愛しいヤクザさんですよ。ブツクサ良いながら掃除機をかけ、ふとつばやさんはこちらを見た。


「みかる、なあ。事務所忍び込んだとか言ってたよなあ」


 ギクッ。不自然に肩がゆれた。そして思い出した。

 車、回収してないのだ。

 完全に忘れてた!!


 あれえ、これまずいかな。いやな汗がでてくる。ごまかすようにして飲んだキューバリブレ、急に味がしなくなった。おかしいな。


 そろそろマジギレしそうなつばやさんの方を見る勇気はなくて、目をそらして引き笑いのままつぶやく。


「………………忘れ物したんで、取りに行きます」

「ほォ、忘れ物。飲んでるくせに取りにいけんのかよ」


 バキバキバキッ。

 手が鳴ってますよ、つばやさん。

 しかもこればれてるやつだ。久しぶりにまずい気がしてきた。


「ま、まあまあ落ち着いてくださいよ、あはは」

「車が無事じゃなかったらタダじゃ済まねえぞ」

「そ、そうじしましょうかね! わ、わたしお風呂洗います! 君の瞳に乾杯!」


 多分間違った捨て台詞を吐いて、風呂場に逃げ込んだ。なぜか、片手に酒を持って。

 阪奈みかる、絶体絶命大ピンチ。


○○。


「おい風呂場洗うのにいつまで時間かけてんだ」


 篭城して多分三十分たった。もうさすがにキューバリブレは底尽きた。つまり万策尽きた。

 ポケットのスマートフォンを見る。若頭に「車無事ですか!」と聞くか。いや、さすがにそんなことで連絡できないか。相手は若頭だ、あんな良い人そうな兄ちゃんだけど。

 考えろ。この危機を逃れる方法を。


 ダンッ! とバスルームのドアが蹴られた。まずいまずいまずい、ちびりそう。取り立てられるってこんな気分なの? わたし今、何を体験中なの!


「散々好き勝手やってくれたらしいなァ。ドスもチャカもどこにやったんだ」

「いっけね、ちょうちんメロンに置いてきちゃった」

「何やってんだテメェ」

「えっでも、ドスは知らないよ、そもそも物騒なもん家に置くなって!」

 

 またドンッと蹴られる。そのたびに身体に悪いぐらいびっくりするから本当にやめてほしい。

 おいおい、つばやさん。どこの世界にヒロインを脅すヤクザ恋愛ヒーローがいるんだって。先行研究を読め、あんた摂理に反したことやってるから!


 バスタブに腰掛けたまま思いあぐねていて、ぴんと閃いた。そうだ、ちょうちんメロンだ。ちょうちんメロンでつばやさんの快気祝いをしよう。そのまま流れですべてのことをうやむやにしてやろう。もし銃がなくて困るようなら、スピリタス砲を貸してあげよう、仕方ないからね。


 奥さんに「つばやさんの快気祝いがしたいです」とメッセージを送った。なんと、すぐに「オッケーよ。今日、ちょうどお客さんも少ないからいらっしゃいな」と返ってきた。最高の美魔女だ。


 やけに自信満々に戸を開ける。すると、なんということでしょう。わたしが篭城してる間に、部屋は元通りきれいになっていました。


「つばやさん、細かいことは良いからちょうちんメロンいきませんか。快気祝いです」


 今にも蹴りだしそうな足を、つばやさんはすっと下ろした。しゃがみこんでうつむき、「ハァ…………」と息を吐いた。


「なんかもうどうでもよくなってきたわ。行くか」


 はっ、ざまーねえな、このヤクザ。

 かくして、斎藤鍔夜の快気祝い、決行が決まったのである。


キューバリブレは黒ラムでつくるとうまい。

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