20.あなたがウワサのワカガシラ
この、日本酒の中でも言わずとしれた高級品が目の前にあって、箱の状態にも関わらず変なよだれが止まらないんだけど。
美しく磨き上げられた、この純米大吟醸。清廉さと純粋さのウラに、どれだけの血が流されたのか。もちろんヤクザの汚い金で入手したのは分かっているけど、そのギャップがまた唆るからよくない。変態だ私は。
いつか、就職したら自分で稼いだお金で飲んでみたいと、夢見てアマゾンなんかを見ていた汚くなかった頃の自分はどうやら死んだらしい。だって目の前にあるんだぜ!?ヤクザの汚い金で買った純粋大吟醸だけど、この子に罪はない!つまり、飲んでもノープロブレムなわけだ!
興奮しきりのわたしに、見慣れているつばやさんは無反応というか、「ちょろいぜこいつ」みたいないやらしい笑みを浮かべているわけだけど、「うっわー、みかるちゃん無いわ」とドン引きするエセ俳優ヤクザと、アゴとアゴじゃない方は、もう知らんということにした。
「つばやさんっ、アイラブユー! わたしはあなたについていく!」
「フッハッハッハ、お前は本当にちょろいな」
「のもうよ! あ、でもこんないい女 (酒)には、いい男 (おつまみ)をつけねぇと………。困ったなぁ、高級すぎるのも困りもんだー」
「なら、あとでデパートでも行って好きなの買えばいい。なんでも買ってやるよ」
「あー、だめだ、だめだ、廃人になるこのままじゃ、あかん、堕落するぅ」
「そのぶん、頑張ることあんだろ?」
「やめて、そうやって現実に戻すの」
頬ずりしてたら、いい女(酒)を取り上げられた。
「これはとりあえず、帰ってからな」
「いじわるぅ!」
「腹減ったな、出前でも頼むか」
「鍔夜ー、俺、寿司が食べたいな」
「黙れお前は」
「あ、わたしもお寿司たべたい!」
「寿司にするか」
「……みかるさん、すげぇ」
ぼそっと呟いたアゴに、恐ろしい眼光が向いた。
○○。
聞いて驚け、マグロが口の中でとろけまくった!食べても食べても、どれも美味しい、おそらく特上寿司をたんと味わい、「ぴゃー」と一息つく。「自分たちはこれで!ご馳走様でした!」と帰ってしまった西田さんと山脇さん。残されたのは幹部ヤクザ2人と、ただの大学生だ。それにしても、だんだんヤクザの事務所にいるの、慣れてきた。だって眠気さえ起きてくる。それもそうかもしれない。もう日も落ちた夜だ。長い一日だったと目を細める。また眠りに落ちそう。
つばやさんはいつの間にか血まみれの服だけ着替えて、ハデなシャツに黒いズボンという、まあまあ柄の悪そうな格好で私の前に座っている。そろそろ引っ越しも終わったんじゃないのかなぁ、帰してほしいと思っているとつばやさんの携帯が鳴った。
「…………ハイ、齋藤ッス。ああ、今います。ちょうど飯食った後なんで、はい、はい」
つばやさんの敬語。つまり、ヤクザの偉い人だ。
「…………若頭?」
朝熊さんが聞くと、
「ああ。もうすぐ着くらしい」
「若頭が!?」
びっくりして飛び上がってしまう。なんでだよ! なんでそんなのが来るんだよ! 若頭ってアレだろ、マジの組長みたいな、つばやさんをあと5億倍コワモテにしたみたいな、ヤクザの中のヤクザみたいな! とりあえず関西弁みたいな!
うろたえた私に、つばやさんは「カシラは別にそんなに怖くねぇよ」と冷静に言う。
「………むしろ、みかるの方が歳はちけぇわな。でも、カシラは頭も切れる、DNAからのヤクザ者だ」
「つばやさんDNAはヤクザじゃないんだっけ……?」
「ちなみに、僕はDNAからヤクザだよ☆」
「遺伝子に刻まれしヤクザ……!」
我ながら疲れやらなんやらで頭がおかしい。
眠たくて目をこする。まだかよ、カシラってやつは……。
「眠そうだな、みかる」
つばやさんが目を細める。
「もう、ねむいっす…………疲れましたよ。ヤクザとデッドレース、誘拐されて、なんやかんやあって、大吟醸登場してもうキャパシティオーバー、若頭までくるんですかー」
「みかるに会っておきたいらしい」
「今じゃなくても……………」
「……………カシラは律儀な人だからなァ。一応一般人であるお前に迷惑かかったこと気にしてんだよ」
そのカシラ、よっぽど律儀なのだろう。ヤクザらしからぬ。なんだか常識人な感じがする。いや油断しちゃだめだ、相手はガチヤクザだ!
もう一度電話が鳴って、つばやさんが出ていった。常識人のカシラが到着したのだろう。朝熊さんは相変わらず俳優のような笑みを浮かべている。
「カシラはねぇ、若いけど優秀でねぇ。月壁組は垂柳組っていう大きな組の、直系組織なんだよ。その垂柳組組長の長男でね、要するに未来の垂柳組組長ってワケ。それだけじゃなくてさ、僕達こんな変人ばっかりでしょ?それをまとめてるんだからね。僕らみんな尊敬してるんだ」
なんとか系列のなんとかとか言われてもやっぱりピンとこないけれど、若いのにすごいってことだけは分かった。
「若いっていくつくらいなんですか」
「つばやより若いよ」
「なんと」
私の中で最近「28にしては老けてるから鯖読んでる説」のあるつばやさんだけど、まあ、それにしても若いってことかぁ。
私に会いに来てくれてるなら、出迎えたほうがいいのかなと思って立ち上がる。少し事務所側に顔を出すと、つばやさんと知らない人が二人話していた。これがワカガシラか。
「…………こ、こんばんわー、阪奈みかるです」
「あ、君がみかるちゃんか」
笑いかけてくれたのは、栗色の柔らかい髪の毛を結んでいるのが印象的な、スラッとしたかっこいい男の人。しかしながら、着ているジャケットやらスーツが、貧乏人の目からしても高級そうなのがわかる。全身ギラギラしているような、そんなオーラさえある。めちゃくちゃ優しそうだけどこの人がワカガシラで間違いないだろう。
そして隣にいる人は、朝熊さんよりも胡散臭い笑顔が貼りついた茶髪の男性で、このひとも高そうなジャケット着てる。どうせ幹部なのだろう。つばやさんも、この人にはタメ口だし。
ワカガシラは、私を見てぎょっとする。
「………うわっみかるちゃん、泥だらけじゃん。なんで着替えさせてあげないの、鍔夜」
「いろいろあるんッスよ。今着換えないですし」
「自分だけ着替えて、お前本当にデリカシーないよなぁ。だからモテないんだよ」
「黙れエハタ。微妙にモテるわ」
胡散臭いのはエハタと言うらしい。私の後ろから朝熊さんがひょっこり覗いた。
「ヤッホー」
「…………朝熊もいたのか。ご苦労だったね」
にっこり微笑むワカガシラ。うーん、全然ヤクザに見えないけど、ヤクザモードに入ったらこの人も、人格変わるのかな。つばやさんは「こわいひと」→「サイコパス」みたいな変貌だったけれど………。
考え込んだ私に、ワカガシラは微笑んだまま声をかける。
「………みかるちゃん、鍔夜から色々聞いてるよ。僕は月屋キハチ。一応、月壁組の組長なんだけど、見えないよねー。弟のほうが本当はヤクザ向いてるんだけど、まだ弟が高校生でね。いつか押し付けてやろうと思ってるんだけどさ。僕、本当はパン屋とかやりたくて」
照れて笑う姿はもはや可愛いと言っていい。穏やかで柔らかい話しぶりは、全然ヤクザじゃない。
「なんか、若頭さん、なんだろう……つばやさんがご迷惑かけてないですか………こんな凶暴な人で………」
「迷惑なことはいっぱいあるよ。ね、エハタ」
胡散臭いのを見上げる若頭。若頭は多分175くらいだけど、エハタさんは185くらいありそうだ。それでもこの空間で一番でかいのはつばやさんで、ダントツでチビはさっきから上を見上げてばかり。
「みかるさんが鍔夜の前に現れてからというもの、落ち着いている日はいいのですが荒れてる日は、まあひどいものですね。どうして鍔夜が部下に慕われるのか謎です」
「おい、黙って聞いてりゃ………」
ほぼブチ切れ寸前のつばやさん。
うーん。
なんかごめん。月壁組の方及び、闇金の方々。
「鍔夜、俺一応社長なんだからね」
「ほとんどいねぇくせに何言ってやがる、カシラの腰巾着が」
「まあまあまあ、そのへんにしなよ。カシラ、わざわざ来たんですから、なんか用ではないですか?」
一触即発のつばやさんとエハタさんを、朝熊さんが窘める。その様子に慣れが伺えたことから、よくあることなのだろう。つばやさん意外と問題児説あるぞ、これは……。
若頭さんは、「そうそう」と優しい口調のまま続ける。
「うん、流龍組のことなんだけどね。みかるちゃんには悪いことをしちゃったね。鍔夜の言うとおり、前から資金繰りとか色々怪しいところはあったんだよ。これを機に潰そうかなと、まあ鍔夜と同意見だよ要するに」
「なら動いてオッケーですね」
「もう僕の許可なく動いてるくせに。みかるちゃん奪還に行ったのも何の報告もなく行くから、こっちも大変だったんだよ……」
一瞬優しい声色に、冷酷さが宿った。身体がぞくりとした。
「…………それは、スンマセン」
つばやさんは頭を下げる。激レアの、しおらしい齋藤鍔夜。わたしは、ふと思い出す。一回つばやさんボロッボロで帰ってきたよなぁ、つばやさんの上司ってこの若頭か、もしくは親玉ヤクザ(スイリュー組?)のことではないだろうか。
こっわ。この優男、やっぱりヤクザだ。
「………わたしがぼーっとしてるから、誘拐されたのです。みなさんに迷惑かけてごめんなさい」
おずおずと言ってみると
「あなたに非はありませんよ」とエハタさんは言う。
「しかし、鍔夜の側にいるということは、これからもリスクがまとわりつきますよ。あなたにもしっかりしてもらわないと」
「………はあ、すみません」
「………………我々は、きな臭い世界の住人ですからね。鍔夜とともにいる限り甘い汁だけ啜ることは許されないですよ」
えぇ? なんか、わたし怒られてる?
エハタは胡散臭く笑い、「では、我々は戻るとしましょうか、若」と呼びかけた。若頭は「そうだね」と背を向ける。
外まで見送る途中、若頭さんに「みかるちゃん」と呼び止められた。3人が先に行く中、暗闇の中で名刺を渡される。外は暗くてあまり顔は見えないけれど、またあの柔らかい笑顔のような気がした。
「これ、僕の連絡先なんだけど。よかったら鍔夜に内緒であそびにおいで」
「…………ええええ」
なんでだよ、と言いたくなるのをこらえて、見上げる。
ひそひそ声で若頭は続ける。
「たまにはね、普通の女の子とも話したいんだよ、こういう仕事をしてるとね。大丈夫、取って食ったりしないよ」
「ええ、でもー……」
いくら若頭相手といえ、あの嫉妬深いヤクザを怒らせるような真似ができるのか不安でおろおろしてしまう。
「……鍔夜にバレたらうまいことしとくから」
「うう、うーん」
「いいお酒を用意しておくよ」
「行きます」
あっ、またお酒に釣られた。
にっこりと若頭は笑い、エハタさんと共に運転手付きのベンツで帰っていった。
どっと疲れが出る。
「つばやさん、今度こそ帰らせてくれ」
「あーァ、帰っていい加減風呂に入りてぇ」
「………こんなこと言って大丈夫なのかわかんないですけど、あの二人性格悪すぎませんかね」
「みかるちゃん。性格いいヤクザなんかいないよ」
それが真理なような気がする。
さらばボロアパート。つばやさんのマンションに着いた私は、安心して気絶したのだろうか。ドアが開いたまでは覚えている。もう、爆睡という言葉が相応しいほどに寝ていた。
運び込まれた私の荷物から、ついに知られざる私の地雷が発見されるのは、朝になってのことだった。




