リーファの原点への旅路
中央から帰った日の夜、トウルはリーファを連れて三階にあるベランダの椅子に座った。
そして、何も言わずにリーファを抱きかかえて自分の膝の上に乗せた。
「お父さん急にどうしたの?」
「ん? ちょっと星が見たくなってさ。後、温泉で火照ったからちょっと冷まそうかと」
「そっか。お父さん運転お疲れ様ー」
トウルの膝の上でリーファが労いの言葉をかけてくれる。
それだけで、トウルは元気が出そうになった。
「ありがと。なぁ、リーファ」
「なにー?」
「俺はちゃんとリーファのお父さん出来てるかな?」
「うん。お父さん大好きだよ?」
その言葉でトウルの不安は幾分か解消された。
さすがのトウルもリーファからどんな返事が来るか不安だったけど、今なら言えるような気がした。
「リーファもお父さんとお母さんのこと知りたいか?」
「お父さんのことは今日知ったよ?」
「ううん、リーファを生んでくれたお父さんとお母さんだよ」
「あ……」
トウルの一言にリーファが小さく声を出して固まった。
それでも、トウルはそれ以上言葉を発さず、ゆっくりとリーファの頭をなでた。
生みの親にはなれなくて、育ての親として、リーファはトウルを認めてくれている。
その実感をこの数日間で感じられたからか、トウルは逃げなかった。
「あのね。お父さん」
「うん」
「リーファはお父さんが大好きだよ」
「うん」
「でもね。あのね。えっとね」
「うん」
トウルはリーファの言葉にただ相づちを返すだけで、何も自分からは言わなかった。
代わりにリーファの体をしっかり抱きしめて、頭を優しくなで続けた。
どこにも行かないよ。と言う代わりに、リーファは俺の子だと言う代わりに。
そして、どんな答えでも受け止めると言う代わりだ。
「リーファも知りたいの。リーファがどこで生まれたのか」
「うん。それじゃ、行こう。俺もリーファのこともっと知りたいし、ちゃんと挨拶したいんだ。俺がリーファのお父さんをしっかりやっていますって」
リーファの選んだ答えにトウルはニッコリ微笑んで頷いた。
するとリーファは体の向きを変え、トウルと向き合うように膝の上に座ってきた。
「ね、お父さん。リーファはどんな場所で生まれたの?」
「王国南端、海が見える田舎町から少し離れた山村で生まれたんだ。ゲイル局長に調べて貰った」
「海? 海って湖より大きいんだよね? お父さん見たことある?」
海という言葉にリーファが食いついて、トウルに顔を近づけてきた。
「あぁ、師匠に連れて行かれてな。すげーでかいぞ」
「お父さんの列車も海ってついてるけど、お空より大きいの?」
子供らしい質問にトウルは思わず笑ってしまった。
トウルにとって、リーファが時折見せる子どもっぽい所が、かわいくて愛おしくてたまらなかった。
「あはは。さすがに空の方が大きいかなぁ」
「そうなんだぁ。でも、見てみたいなぁ」
「次の連休に行こうか。お店はまた臨時休業にしてさ」
「うん!」
両手を挙げて喜ぶリーファにトウルは彼女を抱き上げ、部屋に戻った。
「今日も一緒に寝ようか」
「うんっ。いいよー。一緒に寝てあげるね」
「ありがとう。リーファ」
「えっとねー。それじゃ、リーファ今日は海の話し聞きたいな」
「うん。いいぞ」
リーファの好奇心をよっぽどひいたのか、トウルの海の話しはいつもの倍ぐらい続いた。
穏やかな顔で眠っているリーファはどんな夢を見ているのだろうか。
海が出ているのか、マリヤが出ているのか。
トウルにそれを知る術は無かったが、安心しきったリーファの顔を見れば、良い夢を見ていると思えた。
そんな翌日、トウルはちょっと体が濡れた感覚で目を覚ました。
「ん……? あはは。そっか。海の夢見てたのか」
初めておねしょされたトウルは、優しくリーファを抱き起こした。
リーファがいたところは汗とは違う湿り方をしていた。
「あれ? お父さん……起きるの早いね?」
「まぁな。リーファ着替えておいで」
「ふえ? あ……ごめんなさいお父さん!?」
「俺も八歳くらいまでしてたから、気にするな」
珍しく慌てるリーファにトウルはくすくすと笑った。
そして、トウルは何となく自分の小さい頃を思い出して、尋ねてみた。
「夢で海、見えたか?」
「うん……すごく青かった」
「あはは。やっぱりそっか」
トウルがリーファをお姫様抱っこしたまま部屋を出ようとすると、リーファは顔を真っ赤にしながら首を振った。
「どした?」
「自分で着替えにいくのー」
「恥ずかしがることないのに」
「お父さんの意地悪ー」
「あはは。悪い悪い。んじゃ、洗濯しておくから洗濯物をカゴの中に入れておいてくれよ」
「……はーい」
こんな感じでリーファの海に関する思い出は、意外な形で始まった。
ベッドに出来た王国地図に、トウルは苦笑いを浮かべてシーツを回収した。
○
トウルがリーファを学校に送った後、トウルは店に来たお客にとあることをお願いしていた。
そんな中、いつものように薬を買いに来たジライル村長がやってきた。
「いつものを頼むよトウル様」
「はい。いつもの酔い醒ましと二日酔いの薬です。あ、村長。クーデリアとミスティラの二人を見かけたら、錬金工房に来るよう伝えて貰えますか?」
「何かあったんですかな?」
「御使いをお願いしようと思って。また週末に出かける予定が出来たので」
「ほぉ、鉄道関係でまた中央の方にですかな?」
「いえ、リーファと二人きりで行きたいところがあって」
村長の質問にトウルは真剣な表情で首を横に振った。
リーファを預かっていた村長には、しっかり言わないといけない。そう思ったトウルは村長を椅子に案内して座らせた。
「トウル様。リーファをトケタケラ村に連れて行くつもりですか?」
「良く分かりましたね。俺まだ何も言ってないんですけど」
「がっはっは。トウル様が真剣な顔をするのは、リーファのことでしょうて。あの子のことで、トウル様が表情を固くするのなら、あの子の生まれ以外は思いつかなかっただけですよ」
ジライル村長は気持ちよさそうに豪快に笑っていた。
理解してくれているのなら、話が早い。
トウルはそう思って早速相談を切り出した。
「調べたらリーファの生みの親は生きていました」
「ふむふむ」
「……いつか会わせないといけないとは思っていました」
「そうですな。いずれあの子も自分が何者なのか、自分の根源が何なのか知りたいと思う日が来るとはワシも思っていました。その時が思ったより早く来たのですな?」
ジライル村長の目は慈愛に満ちている感じで、悲しさというよりかは子供の成長を喜んでいるような表情をしていた。
「はい。ここ最近、クーデとミリィの実家や、俺の実家のことを知ることがあって、自分の生まれを知りたいと思っていたみたいです。やっぱり賢い子ですよリーファ」
「がはは。そうですな。最近はどうやら随分と感情を表に出すようにもなりましたし、同年代の友達も出来たようですし、本当に子供の成長というのは早いものですな」
「はい。本当に。俺も教えられてばかりです」
トウルも険しい表情を崩して、気付いたら笑っていた。
「そんなトウル様がどんな悩みを抱いておるんですか?」
「あっ……。今度はリーファに選ばせてあげようと思ったんです」
「選ばせるですか?」
「はい。リーファが自分の生みの親と暮らす道を選ぶのか、それとも俺を選んでくれるのかって。それで、その……。これからも俺が父親で良いのかと聞けなくて」
トウルがそう聞いてしまうと、リーファは自分の意志を曲げてしまうのではないかと思って、躊躇してしまう。
リーファが選ぶ時までその台詞は言ってはいけないのではないかと、トウルは悩んでいた。
「がっはっは。トウル様は真面目ですなー。リーファが真っ直ぐ育つ訳です」
村長は豪快に笑い飛ばすと、感心したように頷いていた。
「村長?」
「言ってしまって良いと思いますよ」
「そんなあっさり!?」
「えぇ、その気持ちを含めて、トウル様を選ぶかどうかですよ。良いですかトウル様。口にしなくても伝わる気持ちもありますけど、口にしてもらった方が嬉しい気持ちもあります。そして、口にしないと伝わらない気持ちもあります。伝えたい気持ちなら、伝えてしまった方が後悔しませんよ。聞くまでも無いでしょうけど、トウル様はどう思っていらっしゃるのですか?」
村長の言葉でトウルは一度息を飲み込んだ。
トウル自身の気持ちは揺らいでいない。だから、不安で仕方無くて、リーファについ聞いてしまったんだ。
俺はお父さんが出来ているかと、リーファが選んでくれるという確証が欲しくて聞いたのだった。
「リーファのお父さんであり続けたいです」
「なら、それを素直に言ってあげてくだされ。親が子に望みを言ってはいけないとは、誰も決めてはおりませんよ。ただ、望みを押しつけて、子供の意志をねじ曲げるようなことがあれば、子供が可愛そうですけどな。でも、トウル様はそういうことをしないでしょう? あなたはいつだってリーファの自由を望んで、色々なことをやってきた」
「望みを言うのと、押しつけの違いって何なんでしょう?」
「トウル様は、一度でも俺のように国家錬金術師になれ。と言いましたか? 錬金術の勉強以外はする必要がないと言いましたか? 錬金術の勉強時間を減らしたことで腹を立てましたか? あなたの望む理想のリーファとは違う姿をリーファが見せたら、あなたは怒りましたか?」
村長の続けざまの質問にトウルは首を横に振り続けた。
それに村長の聞いたことは、マリヤからリーファと一緒に託された想いと本質は変わらない。
「やっていないでしょう? リーファ達から聞かされるトウル様も、一度もそんなことを言っていませんよ。あなたとリーファは血が繋がっていないけれど、立派な父親だトウル様。村の誰に聞いてもリーファの父親はあなたと言うでしょう」
「ありがとうございます。村長」
「何を言っているんですかトウル様。これは全てあなたがリーファと一緒に暮らして、自分で積み重ねた信頼じゃないですか。信じてあげて下さい。リーファのことも、トウル様自身のことも」
「そうですね。伝えてみます。リーファに俺の気持ちを」
「それが良いですよ。では、ワシは仕事に戻ります。あの二人に会ったら来るよう伝えておきますよ」
そういってジライルは笑顔を残して、錬金工房を後にした。
彼はトウルのおかげでリーファが真っ直ぐ育ったと言ってくれたが、トウルの方もジライルがリーファの面倒を見てくれたから、今のリーファがいると感謝した。
元気なところはクーデリアに似ているし、お姉さんのように面倒見の良いところはミスティラに似ているし、良く笑うのはジライル村長譲りだ。
そして、優しさと感情を外に出すようになったのは、トウルのおかげだ。
子供は親を選べないと言うけれど、選べたとしても、リーファはトウルを選んでくれるはずだ。
そうトウルは思っていたからこそ、リーファを海の見える村へと誘ったのだ。
答えも気持ちも全て最初から自分の中にあった。
結局のところ、トウルはリーファと一緒にいたかっただけだった。
そんな想いを抱きながら、トウルは一通の手紙を書いた。




