7-7 一方その頃
ラソンに着くとレンドールは寮に引きこもってしまった。
薬を渡すからというエストに、「寝てれば治る」と言ってそれから音沙汰がない。戻ったら店を開ける予定だったので、エストも気にしつつも見舞いに行くタイミングを逃していた。
店のドアを開け放ち、木の板を立てて『薬』『開店!』と書いたものを貼る。畑から戻る人々の目に留まってくれればいい、くらいの気持ちでのんびりとお茶を飲みながらカウンターの中で座っていた。
興味本位で覗いて、目が合うと慌てていってしまう人や、物怖じしない子供に水をあげたり、この三日で客という客は暑さで倒れたという一人くらいだった。
そんなものだと、まだ明るいうちに看板代わりの木の板をしまいにかかったとき、あずき色の制服が目の端に飛び込んできた。
レンドールかと板を持ったまま向き直ったけれど、それは町の常駐の『士』のひとりだった。白髪混じりの熟練らしく、落ち着いた雰囲気がある。隣にはぺルラがいて、エストを見るとぱっと笑顔になった。
「やーっと行きつけた! うちの畑反対側だから全然気づかなかったよ」
「あ……気にしててくださったんですね。ありがとうございます」
エストが頭を下げれば、ぺルラは手を振って笑った。
「かしこまらなくてもいいよ。どう? 忙しい?」
「え? えっと……」
手の中の板を見下ろせば、ぺルラはまた笑う。
「まあ、あんまり繁盛しない方がいい店だしね」
「不定期だと聞いたが」
壮年の『士』が、軽く店の中を覗き込みながら口を開いた。
「よかったらどうぞ。狭いので見るものもそうないですけど。お茶淹れますから」
頷いて二人を誘えば、快くエストの後に続いた。
水出しの茶を渡して、エストは空いた盆を抱える。
「少し特殊な注文をいただいてるので、月の半分くらいしか開けられないんですよね。他のお店のお休みの時なんかに開けていこうかなって」
「ほう。じゃあ、今寝込んでる彼はその注文のための仕入れに手を貸してる感じなのかな」
「そんな感じですけど……まだ寝込んでるんですか?」
「一見元気そうなんだけどねー。触ったらまだ熱いし。食欲はあるから大丈夫だと思うんだけど」
エストが思わずぺルラの顔をまじまじと見つめてしまうと、ぺルラは「ああ」と隣の『士』を指差した。
「アダンさんは常長なんだけど、旦那の従兄なんだ。レンが寝込んでるって聞いたから、見舞いがてら差し入れしてね。店も開く予定だったから見てきてくれって」
「そう、ですか。……薬、飲んでました?」
「え。どうかな。私の前では飲んでなかったけど」
「届けに行ってもいいですか?」
エストがアダンと呼ばれた『士』に確認するように視線を向ければ、彼は迷うように少し首を傾げた。
「駄目、ではないんだが」
ぺルラが笑って後を引き継ぐ。
「「エストは来させるな」って言われててさ。手続きが多少面倒くさいのもあるんだけど、むさくるしい独身男ばかりだからね。気持ちはわかるよ。薬はアダンさんに預ければいい」
「そうですか……あの、じゃあお願いします。準備しますね」
薬棚に向き合って、エストはそっと胸の中のもやを吐き出した。
ぺルラが親切でしてくれていることは理解しているのに。
(……バカ)
引き出しを開けて、エストは一番苦い薬を取り出すのだった。
◇ ◇ ◇
エラリオは二人と別れてからできるだけ急いで移動していた。
はぐれたシエルバを見つけて、これ幸いと従わせる。街道など走れないから、できるだけ人目につかないように渓谷沿いの森の中を移動していた。
東側に抜ける時に、故郷のティサハ村へ続く道を彼は少しだけ眺めた。母には申し訳ないと思っている。顔を見たいとも思ったけれど、知り合いと顔を合わせるのはリスクが高い。その場で一礼して、またシエルバを走らせた。
レンドールが(気づいてなかったとはいえ)体調を押してエラリオの相手をしたことは、無駄ではない。エストから特別な熱冷ましもひと月分近く分けてもらっていた。
エストから新しいレシピを試してみる話も聞いたが、エラリオはそれほど期待していない。自分のことだからか、感覚でわかってしまう。
あの薬は内で暴れる熱を冷ますだけで、治すものではないのだと。
(この辺に温泉湧いてるとこありそうなんだけどな……)
エラリオは汗を流したくなって記憶の奥を探る。国の南東側はティサハ村があるので避けてきた地域だ。さすがのエラリオもすべての地形を記憶しているわけではないし、数年で変わる場所もある。
もう少し北上するまで我慢するか……考えて、一つ息をつく。よく知られた温泉地帯は山奥の露天でも人がいたりする。夏場だし、小川でも水があれば贅沢は言えないのだけれど。
硫黄が採れると聞いたのは、どっちだったか。
勘に任せて、エラリオは山奥へと進路を変えた。
あてもなく山の中を彷徨って、水音に耳を澄ませる。川しかないかと諦め半分でシエルバを向ければゴロゴロとした岩の間を水が流れていた。岩には赤茶色に変色しているところがある。
(これを遡って探せばもしかして)
そうしてうっすら上がった湯気のようなものを見つけた時、エラリオは自分の運の強さを喜んだ。シエルバをうまく操り、段差も超えていく。少し窪地になった場所に天然の岩風呂があって、シエルバを降りて近づいた。
温度を見ようと手を伸ばしたところで、エラリオは視線に気づく。少し向こうの岩陰から覗いている者がいる。緑色の髪に朱色の瞳。その特徴ある姿はエラリオの記憶にもはっきりと残っていた。
「……よぉ。こんなところで、道に迷ったんか?」
動きを止めたエラリオにその人物は声を掛ける。
「いい湯だが、飲むつもりなら勧めないぜ。俺のダシが出てる」
「……あな、たは」
「俺もちぃと迷ったクチだが、上に出ればわかるだろうと一服してるとこ。んな警戒すんなよ。これでも一応『士』だぞ」
湯の中を泳ぐようにしてエラリオに近づくと、リンセは首から下げていた資格証をエラリオの手を取って触れさせた。それから少し身体を傾け、待たせてあるシエルバに視線を向ける。
「……騎獣任せで来た、のか? 見えないと不便だろう? どこに行くんだ? 近くの町まで送ってやるよ」
「いえ、お構いなく……」
「ふぅん?」
じっと観察するような目で見られて、エラリオの背には冷たい汗が流れていた。
「持ち合わせが、ないので。人のいなそうな場所で薬草を探していたのです。シエルバも、おりますし、そう苦労は……」
この手の人間は不自然さに敏感だ。長く一緒にいたくないとそれらしい言い訳をエラリオは考える。
「見えなくて見つけられるのかい」
「匂いや手触りで。独特な香りのものは多いですよ。ふだん採っている方にご迷惑にならないようにと、見過ごされそうな場所を選んでいるのです」
「なんでそんな面倒な……と。そういや……」
リンセは顎に手を当てて、何か思い出したように口にする。
「あんた、もしかして夕暮れみたいな髪をした嬢ちゃんの知り合いか?」
「え……」
僅かに選択を迷ったエラリオを見て、リンセは確信したようだった。
「嬢ちゃん探してるぞ。なんで逃げてるんだよ」
「なんの、ことですか」
「とぼけんなよ。レンはどこにいるかな……」
リンセは湯から上がり、岩陰にあったらしい着替えに手を伸ばすのに背を向けた。エラリオはその隙に斜面を登ろうとする。
「おいおい、そう急ぐなよ」
少し楽し気に聞こえた声と鞘走りの音に、エラリオはつい剣を抜いて反応してしまった。かるく振るわれた剣を受け止めて、飛んでくる斬撃ではなくてよかったと思いつつ顔を顰める。
「……そちらこそ、何か着てからにしてくれませんか」
「んー? 俺の思ってる通りだったら、それじゃ逃げられちまうからな」
笑うリンセは合わせた剣を一度引いて、力強く踏み込んだ。




