7-6 一夜の宿
辺りを見回してから、エラリオとエストは顔を見合わせる。
「この辺りは有毒ガスが発生することがあるんだ。どのみち離れなきゃならないし、一番近い集落まで俺が背負っていくから一晩泊めてもらって様子を見よう」
「う、うん」
できるだけ怪しまれないためにと、エラリオとレンドールを括り付けておく。ベルトや衣服を繋ぎ合わせた紐はいかにも急ごしらえで、エストがエラリオの手を引けば、目の見えない人物が『士』を背負って歩いていてもそれほどおかしく見えないだろう。途中誰かとすれ違うことがあれば伝言を託すなり、レンドールを託すなりするはずだったのだが、結局誰にも行き会わなかった。
集落では初め、いい顔はされなかった。エストが資格証を見せて悪い病ではないと説明すれば、ようやく「空き家なら」と承諾してくれる。共同の井戸の場所も教わり、毛布と軽い食事も提供してくれたので、エストは資格試験を受けてよかったと心から思うのだった。
どうせレンドールは起きやしないからとエラリオに言われ、宿泊費代わりに集落の医師(資格持ちではないようだったけれど)を手伝えば、また少し人々の目が和らいだ。
エストが空き家に戻るころには陽も落ちて、息を潜めたような暗がりがそこかしこに溜まっていた。
「ただいま……」
「おかえり。喜んでもらえた?」
「うん。少しレシピも置いてきた」
エラリオはレンドールを抱え起こして服を脱がせていた。意識のない人間は扱いが大変だ。エストも手を貸す。
「着替え?」
「解熱剤効いてきて汗だくだから、一度拭いてやろうかと」
汲み置きしてきた水に布地を浸して固く絞る。触れたレンドールの体は薬が効いているというのにまだ熱かった。
黒の瞳で確認しているので命の危険が無いことは判るけれど、意識のない状態はやはりまだ怖い。
「……雨で濡れたのがやっぱり悪かったのかな」
自分のことだけではなくて無理にでも引き留めるべきだったと、エストは肩を落とす。
「え……どうかな。あれは……仕方なかったと、思うけど」
苦笑するエラリオに「そうかな」とエストは首を傾げる。
「普段ならあのくらい平気なんだよ。だから、やっぱり何らかのダメージがあったんだろうね」
手早く服を被せてまたレンドールを横たえると、エラリオは一息ついた。
「心配しないわけじゃないけど、レンの目が覚めたら俺は行くね。解熱剤と栄養剤で動けると思うから、帰って寮に寝かせておくといいよ。あそこなら誰か彼かいるから」
「え。来てくれないの?」
「店もちゃんと見ておきたかったけど、弱ったレンに変な影響出たら嫌だし。本当、頼りの綱だって、自覚してほしいよね……」
自覚が無いわけじゃないのだろうけど、と、エラリオはもうひとつ息を吐き出した。合理的に考えて行動するような人物ならば、そもそも彼はレンドールに惹かれていない。エラリオはどこか悔しい思いで眠るレンドールの頭にこぶしを落とした。
「エ、エラリオ?」
「エストも今のうちに一発殴っとくといいよ。どうせ覚えてないから」
「え! そんな……」
エラリオは、おろおろとエラリオとレンドールを見比べて、ちらとこぶしを握るけれど、ぷるぷると頭を振って我に返るエストを傍から見ていて、いい子に育ったなと自画自賛するのだった。
明朝、空が明るくなってきた頃レンドールは目を開けた。
しばしぼぅっと蜘蛛の巣のかかる天井を見上げる。顔を横に向ければ額に乗せてあった布がずり落ちて、なんでこんなものがと拾い上げるために手を動かそうとした。
手元にはエストが木枠に寄りかかって眠っていてドキリとする。
なんで同じ部屋で――と思いかけて、エラリオに会いに行ったのだと思い出す。急速に記憶は戻ったのだけど、それでも不可解でレンドールはエストを起こさないように、できるだけそっと体を起こした。
体中に重りを付けたかのような感覚に首を傾げていると、少し離れた場所でむくりと誰かが起き上がった。
「エラリオ?」
「自分の体調管理はしっかりしなよ。それだけ熱があるのにどうして気づかないのさ」
「熱?」
レンドールは自分の額に手を当てたけれど、その手も熱いものだからさっぱりわからない。しみじみと呆れたため息を落とすエラリオに、それでも子供の頃のことを思い出した。
「え。俺また倒れたの?」
「面倒を増やさないように。動けそう? なら、さっさと帰ってしっかり治せよ」
曖昧に頷くレンドールを横目に、エラリオはエストを起こす。
いくつかの薬をレンドールに飲ませて、畑に出ていた住民たちに礼を言うと、三人は集落を後にした。
エラリオもすぐに別の道に逸れて行き、レンドールは口を尖らせる。
「薄情なヤツ」
「……レンに変な影響出たら嫌だって言ってたけど。心配だから目を覚ますまでついていてくれたんだし」
窘めるようなエストの口調に、レンドールは肩をすくめて頭を掻いた。
「……まあ、鈍いのはそうだから悪かったとは思ってる」
そういう様子ももういつもと変わりなくて、わずかに頬が赤いかなというくらいだ。とはいえ、まだ額も手も熱くて脈も速い。動けるのはいいけれど、気を付けていないとまた意識を失うかもしれない。
「ゆっくり行きましょ。山を下りたら乗り合いにして、町でもう一泊かな……」
そういう時に限って途中で岩猪に遭遇してひと悶着あったりして、エストの心労は溜まる一方だった。元気そうな病人がこれほど厄介とは。
それでも乗り合い獣車でうとうとと眠るレンドールを見れば、やはり調子が悪いのだと判る。
ガタンと揺れた拍子にレンドールは隣のエストにもたれかかった。エストはレンドールが安定するように少し身体をずらして、その熱い体を受け止めるのだった。




