7-1 新生活
ラーロからの依頼を受けているため、エストの店は一般への販売をあまり気にしなくてよくなった。老舗の薬草店にも配慮して、大店の休日とその前後数日だけ開くことにする。
小さな二階建ての一軒家の一階部分を店舗と作業場に、二階を居住スペースにして荷物を運びこむ。階段は裏口の方にあるので、レンドールが店を通り抜けたりしなくてもエストを訪ねることができる造りだ。
とはいえ、妙な噂になっても困るので、荷運びや買い出しの手伝いを終えれば、表から訪ねることにはなるだろうけれど。
乾燥させた薬草の束を木箱に積んで、レンドールは軽く手を払った。
エストは調合しやすいように、さらに粉にしたり煮だしたりと細かい作業に入っていた。
ラソンに来て数日は食事も共にしていたけれど、エストにラーロからの預かり金を渡してからは、レンドールひとりで食べに行くことも増えている。
『士』の寮に空き部屋があったので、しばらく借りることができたのだ。そこの食堂を使うこともあるし、誘われて飲みに出ることもある。が、一番大きな理由は一人暮らしの女性宅で頻繁に食事をする、という行為があまり外聞よろしくないためだ。
稼ぎのある男なら見栄を張ってでも食わせてやれ、という不文律がある。
レンドールは、エストがそんな俗世間のあれこれを知っているかは知らないが、せっかくの門出に、ふらふらしてる『士』が入り浸っているなどという噂を立ててほしくはないだろうと、明るいうちには手伝いを切り上げて帰るようにしていた。
だからそれは久しぶりの誘いだった。
ラーロに呼び出されたあの日から、エストの様子が少し変わった。
あまり噛みつかれなくなって、たまたま目が合ってもエストの方から逸らすことも増えた。多くは語らないが、あの日、レンドールが何かやらかしたのだろうということは判る。
嫌いと正面から憤られるより、逆に距離を感じて寂しい気もするけれど、こちらの方が自然な反応かもしれないとレンドールも感じていた。
「エスト、よかったら飯食いに行かないか?」
さりげなく、何でもないように。
レンドールがそう気を付けたつもりでも、どこか取って付けたように感じたのだろうか。エストは怪訝そうな顔をして振り返った。
「……ご飯って言った? 聞き間違い?」
「いや、言った。もう用意してたか?」
「え……あ、う、ううん。まだ……」
ふい、とまた前を向いて、エストは手にした試験管を台の上でしばしさ迷わせた後、試験管立てに立てかけた。
「そろそろエラリオがどの辺りにいるか確認しておきたくて。正式に店を開く前に会いに行っといた方がいいだろ」
「……あ……」
小さく声を上げて、しばし固まったエストにレンドールは少し歩み寄る。
「どうした? なんかこぼしたか?」
「だ、大丈夫! なんでもない。っていうか、そんなに経ってたんだな……って」
今度は手早く台の上を片付けて、エストは立ち上がった。
「……ゆっくり話すなら、何か作るけど」
「いや。片付けも面倒だろ。それはまた別の機会に」
別の機会があるのかレンドールにもわからなかったけれど、無いとも言い切れないだろうと口にする。
「……そう」
「あ。俺が出すから、心配すんな」
僅かに不満そうな顔をしたエストにそう付け足せば、エストは眉を吊り上げた。
「そんな心配してない!」
そのままレンドールの横を通り抜けて出口へと向かう。
レンドールはその後をゆっくりと追った。
「なんか食いたいもんあるか?」
「なんでもいい……けど、エラリオに会いに行くなら肉料理がいいかな。ここしばらく山歩きとは無縁だったし……体力落ちてるかも」
「中央でも結構足止めされたしな。そうだな。串焼きの旨い店もあるけど、ちょっと話すには騒々しすぎるから……煮込み系が売りって方に行ってみるか」
エストが戸締りしている間にレンドールは先に歩き出す。
休みの日の市は人混みですごいが、普段は歩いていて肩をぶつけるほどの混み具合にはならない。エストも苦手意識を持たないですむはずだった。
「結構あちこちで食べてるの?」
「いや。寮の食堂で安く済ませることが多いかな。たまには飲みに出るけど、そういう時はつまみ程度しか食わないし」
「……それにしては詳しそうだけど」
「話は聞いてるからな。要注意な店とか、どうしてもあるし」
「そうなの……」
エストの家は繁華街よりだいぶ外側にある。家々も密集しているというほどではなく、少し歩けば畑の方が近いくらいだ。
まだ明るいが、時間的にはそろそろ夕食の買い出しに出ていた人々も家路につくくらいの時刻。人が行き交うのを眺めつつ店の方向を確かめていたレンドールを呼ぶ声がした。
「あれ? レンじゃない? レンドール! こんなところで会うなんて!」
自分を正しく呼ぶ女性の声に、誰だ、と視線を巡らせれば、まだ幼い子供を抱いた女性が手を振って近づいてくる。
レンドールはこの辺りに知り合いなどいただろうかと考えてみるけれど、思い当たる人間はいなかった。
足を止めたレンドールに追いついて、エストも何事かと視線を向けている。
「あれ。やだなー。そんな顔して。忘れられてる? まあ、ちょっと太ったかもだけど、ほら、鉱山で常駐してたぺルラだよ」
淡い紫の瞳が可笑しそうに細められる。束ねられた銅色の髪も記憶にあるもので、ただ『士』の制服を着ていないので印象がだいぶ違う。
「ぺルラさん? わ。そうだ。え。なんでこんなところに?」
どちらかというと北寄りにある鉱山と、この町ではだいぶ距離もある。レンドールの目は自然に抱かれている小さな男の子に向いた。
「子供ができたら、鉱山の仕事はちょっと危険が多いから小さいうちはやめてくれって言われてさ、今ちょっと休職してて、旦那の実家の手伝いに来てるんだ」
「結婚したのも知らなかった! 最後に会ったのいつだっけ……」
「結婚は三年前だから、四年くらいになるかな」
「えぇ……そんなになるか? 子供は、いくつ?」
ぺルラが男の子に視線で促せば、男の子は険しい顔をしながら両手で一本ずつ指を立てた。
「二歳になる。片手でうまくできなくてさ。おかしいったら!」
実はぺルラとは何度か仕事をしている。坑道で行方不明になった人夫を探したり、坑道に出没する害獣を狩るのを手伝ったり。手当てがつくので実入りがよかったのだ。そういえばここ数年は要請が来なくなっていたが、そういうことだったのかとレンドールは心の中で手を打った。
さばさばした気質のぺルラとは付き合いやすかったから、レンドールの数少ない女友達と言って差し支えないだろう。年上なのでどちらかといえば弟扱いされていたかもしれないが。
「友人は見つかった? 夕食くらいご馳走してあげたいとこだけど……」
ぺルラはレンドールの隣に佇むエストに視線を向けて「んふふ」と含み笑いをした。




