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白の神、黒の魔物  作者: ながる
傀儡の章

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6-16 魔物に魂を売ってでも

「落ち着いて」

「はな……離し……」


 振りほどこうとするエストの抵抗はほとんど意味をなさなかった。少年のように見える華奢な体から、どこにそんな力があるのか、掴まれた腕はびくともしない。


「話を聞きなさい。レンを助けたいですか」


 ハッとして、涙に濡れた顔をラーロに向け、エストは確かに頷いた。


「貴女の保護者を彼が同じように斬ることになるとしても? あるいは、貴女の保護者がレンをそうするかも。それでも?」


 現状より辛い未来が待っているかも。

 この『(ツカサ)』は何度もそれを指摘する。

 それでもエストは気づいてしまった。自分の奥深くにまで入り込でいたレンドールという人間を、今この場で覚悟もなく失くしたくない。


「巫女をやればいいの?」


 レンドールに言われた忠告を無視してでも、魔物に魂を売ってでも――ふと、この場合魔物とは誰のことだろうと過ぎったけれど――とエストが訊けば、ラーロはにこりと笑った。


「レンが助けてしまったからね。貴女の薬も効くことがわかった。これで彼を助けて貴女が巫女になれば、彼は怒るでしょう? 覚悟は解りました。ひとまず部屋を出ましょう」

「えっ」


 掴まれた腕を引かれ、エストは無理やり立ち上がらせられる。二、三歩引きずられるようにしながらレンドールの傍を離されて、エストは抗議の声を上げた。


「ねぇ、レンは? 助けてくれるんじゃないの!?」


 腕を振りほどこうと抵抗するエストに軽くため息を吐くと、ラーロは彼女を抱え上げた。


「え……ちょっ……」

「説明する時間がないんですよ。確立を上げたいならおとなしくしててください。私は貴女の師ほど人体に詳しくないのでね」

「……師……?」


 話しながら部屋を出たラーロは、エストを降ろすと部屋の入り口にピタリと両手をつけた。ドアは開いたままだったけれど、ちょうど巫女がしていたように見えない壁があるかのようだった。


「少し集中するので、話は後で」


 その声と同時に、ドアの向こうが波打った気がした。レンドールしかいないはずの部屋に人影がちらつく。さざ波の立つ水面のように、はっきりとした像は結ばないが、立ち位置からは先ほどまでの自分たちのようだと思えた。

 やがてはっきりしていたレンドールの姿も波に浸食されていく。エストは汗の浮かぶラーロの真剣な横顔を窺おうとして、真白の髪と瞳にぎょっとした。それから、彼も姿を偽っていたのだとあれこれを腑に落として、また部屋の中へと視線を戻す。ゆらゆらとした人影は数を増やしていた。

 そうして黙ってラーロはタイミングを計っていた。それはひどく繊細な作業で、けれど彼の得意な、好きな瞬間の一つでもあった。

 ここぞ、というところでラーロは部屋の中に手を突っ込んだ。目的のものを掴むと、迷わず引き抜く。


「きゃっ……?」


 さざ波の壁を抜け、エストの足元に転がった塊は、まだゆらゆらとさざ波に揺れていて、ノイズの走る映像がそこに置かれたかのようだった。


「これを飲ませて」


 声を掛けられ、エストがラーロに視線を移せば、コルクで蓋をした小さな試験管が滑るようにエストの手の中に入ってきた。

 試験管の中には確かに透明な液体が入っている。でも、飲ませる? とエストが先ほどの塊をもう一度見やれば、徐々にさざ波は落ち着いて、見慣れた小豆色の制服が輪郭を取り始めていた。


「レン?」


 まだはっきりしない頭部を覗き込み、エストは緊張しながら名を呼ぶ。

 返事はないが、制服には切り裂かれた跡も血のこびりつきも無いように見えた。それでも微動だにしないことに不安になってラーロを振り返れば、ドアの向こうで廃墟のようだった部屋が少しずつ修復されているのが見えた。ベッドの破片は集まってベッドになり、本棚は立ち上がって飛んでくる本を受け取っている。花瓶に花が生けられ、破れていた絵画も額に収まった。


「飲んだ?」


 ハッとして見下ろせば、苦しそうに顔を歪めているレンドールの顔が見えた。慌てて体を起こして支え、歯でコルクを抜いたまではよかったのだが、そこでエストは動きを止めてしまった。

 片手で飲ませられるだろうかと。さらに、ラーロが巫女にどのように飲ませていたかを思い出して、頬が熱くなる。


「れ、レン、薬、飲める? 飲んで」


 口元に試験管を押し当ててみても、レンドールの反応は薄かった。

 くすりと笑う声がする。


「見本、見せてあげたのに。まあいいや。ふざけてる場合でもないし……こっちで」


 その言いようにムッとしたものの、エストの目の前にはふわふわと注射器が浮かんでいた。


「静脈にね。できるでしょ」


 今度は手早く処置をして、レンドールの眉間の皺がとれるのと呼吸と脈を確認する。どちらも弱々しかったけれど、あるだけマシだとエストは息を吐いた。


「ちゃんと生きてる?」


 いつの間にか入り口横の壁に背を預けて座り込んでいたラーロに、エストは頷いた。


「そう。よかった。恩を売れるね。言っておくけど、ここだからできたことだからね。次にも同じことができると思わないで」

「何をしたの? 傷を治しただけじゃないの?」

「死人の傷を治したって生き返らないでしょ。僕は外の傷は治せても内臓のことはさっぱりだし。あいつは暇に任せて勉強したみたいだけど」

「あいつ……」

「思い出せないんだから、気にしなくていいよ。ここには色々施してるって言ったじゃない。簡単に言えば、壊されたものが元通りになる仕掛けがあるの。まあ、人間も対象になるかはわかんなかったけど」

「そんな……!」

「完全に活動を停止しちゃってから時間が過ぎると無理だとは思うんだよね。だから、やってみるしかなかった。あとは僕の才能に感謝してね。君の剣が届く直前で回収したんだから」


 どこがすごいのかわからないという風に眉を寄せたエストに、ラーロはやれやれと肩をすくめて見せた。


「ここまで戻ってしまったら、巫女が部屋を荒らす前の時間軸だ。あっちもこっちも不都合だらけになるでしょ」


 ラーロが示す室内は、巫女の部屋に相応しい清廉で厳かな雰囲気に整っていた。


「だから、レンの記憶も巫女に飛びついた後のことは覚えてないと思うよ。なかったことになったから。そこから僕たちの時間軸に引っ張り出したから、結構ダメージ大きいんじゃないかな。目覚めてもしばらく無理させない方がいいかも」

「どういうこと? レンは、レンじゃなくなっちゃったってこと?」

「レンだよ。ただ、あるはずの時間が欠けてるだけ。それを選んだのは貴女ってだけ。ようこそ身勝手な選択の先の世界へ。僕は嫌いじゃないよ。そういうの。恩はいつか返してもらうから、今は……さすがに、少し休もう」


 あくびをしながらラーロが手を差し出すと、それぞれに毛布がふわりと降りてきた。レンドールには枕、エストには着替えもついて。


「もうひとつ奥の部屋に巫女が寝てる。もし、中で暴れている音がしたら起こして」


 巫女の部屋の重厚な扉が静かに閉じて、ラーロも目を瞑った。


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