6-15 自覚と別れ
「ぐっ」と呻いたレンドールは、巫女の勢いを止めようとして踏ん張れず、そのまま仰向けに倒れ込んだ。しかしその腕は巫女の身体にしっかりと回されたままで、離す気配はない。
何が起こったのか、エストは状況がよく飲み込めていなかった。
レンドールの背から床に広がっていく血だまりを見て、ようやく理解が追い付いてくる。
「なんでっ……!」
起き上がろうともがく巫女にレンドールが顔を歪めたところで、ラーロが傍に屈み込んでレンドールの手に触れた。
「ああ、もう……あなたって人は……力を抜いて。彼女はちゃんと引き受けますから」
「くそったれ……せっかく落ち着いてんだから……眠らせて、やれよ」
「わかりました。そうします。ですから、手を離して」
がっちりと組まれた手をほどこうとしたラーロの指を、レンドールは震える手で掴む。
「おまえもだぞ」
わずかに動きを止めて、ラーロはほぅ、と息を吐いた。
「……ええ。ここを片付けたら」
巫女を抱え起こし、どこからか取り出した白い錠剤を与えると、ラーロは彼女を抱き上げて何処かへと行ってしまう。
残されたエストは、動くこともできずにレンドールを見下ろしていた。
刻一刻と広がり続ける赤色は傷の深さを示している。止血しなければという冷静な思いと、どうして巫女を庇ったのかという余計な感情が、エストの中で絡まりあって彼女を縛り付けていた。
レンドールよりも血の気の引いたエストを見上げて、レンドールは苦笑する。
「スッキリしただろ?」
「え?」
「これであいこ、な」
ざわりとエストの中で冷えていた血が騒いだ。
全然同じじゃない。レンドールはエストを斬らなかった。
急激に高ぶった感情は幸いにもエストの身体の硬直を解いてくれた。剣を投げ捨て、レンドールの傷を確認しようと血だまりの中に膝をつく。
「バカなこと言わないで!」
「え……足りねぇってか……あっ痛ぅ……!」
一番酷いはずの脇腹を見るために横向きにさせれば、痛みにレンドールの体が跳ねて丸まる。
(……ひどい)
いつも使っている剣だったら、もう少し浅い傷で済んだかもしれない。勢いがついたために深くまで入り込んでしまっている。内臓が傷ついていたりしたら……と焦りが湧いてきた。
(何か……)
先ほどまでいた薬室を思い出して、エストは振り返った。
立ち上がろうとしたその手をレンドールは掴む。その指先が冷たく震えていて、エストは眉を寄せた。
「薬室に止血剤あるはずだから、取ってくる」
「いいよ。あいつが戻ってからで……ここに居ろよ」
「何言ってるの? そんな余裕……」
脂汗を浮かべながら、ひたりとエストを見上げるお日様色の瞳が真剣で、エストの背中に嫌な予感が這い上がる。レンドールの手を振り払うと、思ったよりも簡単に自由になった。喉の奥にこみ上げるものをぐっとこらえて、エストは上着を脱ぎ、丸めてレンドールの脇腹に思いきり押し付ける。
「ぐぁっ……! ああっ! ま……っ」
「我慢しなさい!」
「ごう、も……ん、か、よ」
無茶だと判っていても、ここにいるのならばそれしかできない。痛みで意識を保たせることができれば上々。ラーロが戻ってくればどうにかなるのかもわからないけれど、エストは震えそうになる自身の手を叱咤した。
声を掛け続けなければ。心臓は徐々に打つ強さを増していても、どこかで冷静に思考が回る。
「どうして。どうして巫女を庇ったりしたの。彼女は罪人で、あなただって「眠らせてやる」って言ってたじゃない」
ふっとレンドールの強張った口許が緩む。
「庇ったんじゃ……ねぇ、よ」
荒い息を整えるように、レンドールは何度か深く息を吸い込んだ。
「資格証、もらっただろ。エストはもう、国にも認められた薬師で、誰かを」
痛みをこらえるようにレンドールの眉が寄る。小さくなる声を拾おうとエストはレンドールの顔を覗き込むように少し身を乗り出した。
「……助けるための、手で、しかたなくとも、人に剣を向けて……欲しくなかった、だけ」
「そ、それなら、レンだって……レンが斬られたって同じでしょう?」
レンドールが、エラリオに誰も傷つけさせたくないと言っていたことと同じだと悟り、エストの胸の奥がきゅっと絞めつけられる。
「俺……には、恨みを晴らせる、だろ……足りなかった、みたい、だけど……」
反論する前にレンドールがもう一度大きく息を吸い込んだので、エストは眉を寄せたまま彼の言葉の続きを待った。
「……もし、ラーロが、罪悪感に付け込んで、代理巫女の話をぶり返しても、断れよ。せいせいした……って、言ってやれ」
スッとレンドールの目が少し逸れた。震える手が持ち上がり、エストの髪に触れる。視界に入り込んでいる毛先の色はいまだ黒で、エストの心臓は別の不安を思い出してリズムを崩した。
嫌われているかもしれなくても、レンドールの口からそうだと聞きたくはない。
聞きたくないのだと自覚して、エストはレンドールから目を逸らした。
(エラリオ……私……)
レンドールの指先で黒い髪が絡められ、力なく梳かれていく。
「……本当だ……綺麗な黒。どっちも、似合ってる……」
エストが思わず視線を戻せば、柔らかな微笑みが彼女を迎える。胸の奥と喉の奥で詰まっていた思いが、混じって弾けて痛いくらいだった。
「レ、ン……」
ようやくこぼれた声に、けれどレンドールはもうエストを見ていなかった。お日様色の瞳は、青い瞳の向こうを見ている。
「エラリオ、悪ぃ……」
髪に触れていた手が重力に負ける。瞼もお日様色を隠していく。
「レン! ダメ! やだ……」
ぎゅっと手に力を込めても、レンドールから反応が返ってこない。弾けた感情は涙となって溢れて、溢れてしまえば止まらなかった。
「やだ……いかないで……嘘つき……! エラリオを、助けるって言ったのに……! きらい……大嫌い……!」
仰向けにしたレンドールの胸をエストは思いきり叩きつけた。
もう一度。
「目を開けないと、許さないから! ……ねえ、おね、がい……」
三度振り上げたエストのこぶしを、誰かが掴んで止めた。




