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白の神、黒の魔物  作者: ながる
傀儡の章

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6-14 投薬

 ラーロは、レンドールと巫女が紙一重の()()()()()()をしているのを黙って見ていた。時に立ち位置を変えるくらいで手を出そうとはしない。

 初めのうちは空を掴んでいたレンドールの手が、時間と共に腕や服を掠るようになっている。

 ふっと浮かべた笑みは、面の下で隠されていた。

 やがて、レンドールは巫女の袖(破れて短くなっている)をしっかり捉まえた。

 その顔に、にやりと笑みが浮かぶ。


「観念、しろっ」


 袖を引き、バランスを崩させた巫女の後ろに回り込んで、レンドールは腕を背に捻り上げる。

 その時ばかりは女性らしい悲鳴がその口からこぼれ出て、レンドールは思わず力を緩めようとした。次の瞬間、拘束から逃れようとする巫女に、慌ててもう一方の手も捕らえてラーロを目で探す。


「おら、捕まえたぞ」

「お見事ですねぇ。口だけではなくて何よりです」

「いいから、薬飲ませろよ」


 巫女は拘束から抜けだそうとして、レンドールが全力で押さえていてもまだ体を捩る。ゆるりとしたラーロの動きにレンドールは舌を打ちたくなった。


「レン、もう少しこちらに来られますか?」

「はぁ?」


 イラっとしたものの、数歩ばかり移動して体の向きを変えれば、ラーロの方から近づいてきたのでそれ以上は文句を口に出さなかった。

 ラーロが差し出す薬を巫女はぷいと顔を背けて嫌がる。さらに追いかけて口元に押し付ければ唸りながら歯を剥いた。

 レンドールがどうするのかとラーロを見やれば、ラーロは小さく肩をすくめてから、ちら、とエストに視線をやった。


「仕方ないですね……」


 あまりそうは聞こえない調子だったけれど、ラーロは面を外して薬を自分の口に放り込んだ。そうしていつの間にか手にしたカップの水を呷る。今さっきまで歯を剥いて唸っていた巫女の様子から噛みつかれやしないかとレンドールは多少の心配をしたのだが、巫女の身体から力が抜けたのを感じて彼女の顔を覗き込んだ。

 頬に手を添えられた彼女は、先ほどとは違う媚びた表情をラーロに向けていた。あんなに顔を背けていたのに、今は待ちわびるようにうっすらと唇を開いている。


 焦らすようにゆっくりと近づくラーロに、レンドールは呆れた目を向けていた。

 明らかに前回薬を飲ませた時よりも長く触れあい、角度を変えては場に不似合いな音を響かせる二人に、レンドールはどこでストップをかけたものかと視線をさ迷わせ、横目にエストの姿を捉える。

 耳まで赤くして硬直している彼女を見て、レンドールはわざわざ自分の向きを変えさせたラーロの思惑を知った。


「ラーロ!」


 一喝すれば、ラーロは巫女から離れ、笑いながら自分の口許を指で拭う。巫女は名残惜しそうにその姿を目で追って、甘い時間を邪魔した男を鋭い目で振り返った。


「巫女」


 ラーロに呼ばれ、視線を戻した巫女は目の前に差し出されたもう一粒の同じ薬を、今度はおとなしく口を開けて受け入れる姿勢を見せた。


「やはりあの味は覚えているのですかね。お孫さんの飴ではここまで顕著ではなかったのですけど。他の材料との相性も悪くないようなので、糖衣にすれば自ら進んで飲んでくれるかもしれません」

「トーイ?」

「薬の周りを飴で覆う感じです。口に入れたときに甘いので子供なども飲みやすくなります……が、錠剤はあまり出回ってないので一般的ではないですね。蜂蜜を練り込んで丸剤にする方が手軽ですし」


 巫女の呼吸も落ち着いてきて、まだ嫌がるように腕を動かすけれど、先ほどまでの力強さはない。レンドールも慎重に力加減を変えていく。

 と、足音も荒くエストが部屋の中へ入ってきた。まだ頬は紅潮していて怒ったような表情だが、おそらく照れ隠しだろう。

 ラーロがわざとらしい笑顔で迎え入れる。


「まだ早いですよ」

「あ、あなたが噛みつかれないなら大丈夫でしょう?」

「いいえ。薬がきちんと効くまでにはもう少しかかるはずです。貴女ならおわかりのはずでは?」


 はたと足を止めたエストにうつろな巫女の目が向く。距離的には二メートほど。


「破壊衝動に出るのは、内の力を外に出したいがため。他の強い欲望があればそれにも引きずられる。彼女は巫女らしからぬ俗な欲が強いのですよ。どんな薬も私がそうすれば受け入れてくれますが、正直面倒で。他人の前で披露できることでもないですし」

「……元々そういう関係ではないの?」

「まさか。罪人だろうと巫女ですよ? それ以上のことはありません。あの投薬の仕方も仕方なくです」


 レンドールとエストは同じような表情でラーロを見据えた。


「ふふ。信用ないなぁ。本当だってば。畑で実った食べ物に美味しそうってキスするのと変わりないよ。そうしてその実が大きくなるならするってだけの話」


 ラーロは二歩ほどエストに近づき、巫女が黙ってエストを見ているのを確認するとレンドールに言う。


「ゆっくり彼女を離してみてください」


 身を捩ることもしなくなった巫女の様子を窺いながら、レンドールは言われた通りにそっと拘束を緩めていった。自由になった腕をだらりと垂らしたまま、巫女はぼうっとその場に立っている。急に動き出しても対処できるように、レンドールは横の方へと回り込んだ。

 しばらくそうして立ち尽くしていた巫女の瞳が、わずかに光を取り戻してラーロを捉える。


「ラー……ロ、さ……」


 ふらり、ふらりと、危ういバランスで足を出し、掠れた声でラーロの名を口にする。伸ばされようとした手に反応するように、ラーロの手が何かを掬い上げるような動きをした。巫女の手は見えない壁に遮られたかのように、ぺたりと宙に張り付く。困惑に小さく首を傾げる様子が、とても人間らしく見えた。


「さあ、どの程度抑えられるかな」


 ラーロは無造作にエストに近寄り、その髪に手を伸ばす。


「……なっ……」


 掬い上げた朝焼け色の髪に唇を寄せて、ラーロは口角を上げた。

 巫女はピタリと動きを止め、レンドールは思わずそちらに踏み出そうとして足を止める。エストは頭を振ってラーロから距離を取ろうとして……揺れた髪から色が溶けていくのを見た。


「え……」


 絵の具が溶けるように、鮮やかだった髪が黒に変わる。エストの心臓はいやに高く鳴り響いて、目を丸くしているレンドールの姿を捉えると速度を上げた。


「……ま……も、の……」


 低く憎々し気に地を這う囁きは、煩い心臓の音にかき消されそうだったのに、エストの耳に入り込んでいつまでも居座った。ビシリとガラスに罅が入るような音がして、エストはレンドールの剣に手をかけ、視線を巫女に移す。

 こんなところで命の危険を感じるわけにはいかなかった。エストは余計なことを考えないようにして、息を深く吸い込む。


(遠慮しなくていいって、言ったもの)


 巫女の手の辺り、宙に亀裂が入っていた。真っ黒いのに燃えるような巫女の瞳を見据えて腰を落とす。


「……もの、の……く……せにぃ……!」


 ガシャン、と何かが割れる音が響き渡り、巫女は飛び出した。エストが身を引きながらタイミングを合わせて剣を抜いた勢いのまま真横に振る。


「……っレン!」


 ラーロの声がしたときには、もう遅かった。

 エストが振り抜いた剣は、横ざまから飛び込んで巫女を抱え込むようにしたレンドールの脇腹に深く食い込んで――勢いのままパッと鮮やかな赤を散らした。


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