6-13 対面
「は!? ダメだろ」
「何のためにですか」
重なる声は不協和音になって、それぞれの言葉は聞き取れなかった。それでもエストは二人の言いたいことを想像できた。
「その薬がちゃんと効くのか確かめたいというのもあるし、巫女の症状がエラリオの辿るものと同じだというのなら、見ておきたい……」
「症状をゆっくり確認できるほどおとなしくしてねぇんだよ。効いてるようなら二、三日してから会わせてもらえよ」
「レンはどうにかできるって思ってるんでしょ。危ないのは、解ってる」
レンドールの喉元で服に隠れるようにしている痣に視線を向けて、エストは唇を結んだ。
ちら、とラーロがレンドールを窺う。
「……色々場に施してますからね。不安定になれば、目くらまし《》は効かなくなることもありますけど」
「目くらまし?」
レンドールはよくわからないというように眉を顰めたけれど、エストには通じた。エストは明るい黄色の毛先を震えそうになる指先で撫でる。
「それでも構わないというのであれば、どうぞ」
「おい!?」
即答できないエストに、ラーロはふ、と鼻で笑う。
「お疲れでしょう? おとなしくお帰りなさい。せっかくの希望を見失いたくなければ」
「何の話だよ? 薬は効かないって言いたいのか?」
「あなたは黙って。これは彼女が決めることなので」
口の前に人差し指を突き付けられて、レンドールは小さく舌打ちした。
エストは髪色が元に戻ったとき、レンドールがどう反応するのか少し怖かった。
黒い髪を見て、やはり魔物だとまた剣を向けられやしないかと。
そんなことで迷うくらいなら帰れとラーロは言っているのだろう。他人の気持ちまで見透かすような物言いは気分のいいものではなかった。
「……残るわ」
「意地を張らなくてもいいのに。巫女の状態は、おそらく貴女にはだいぶショックだと思いますけど」
そう言いつつドアの方へ手を向ければ、もうそこは宿の廊下ではなく、ラーロの執務室だった。
驚いて固まっているエストをもう一度鼻で笑い、ラーロは先に部屋へと入っていく。レンドールもその後に続いたけれど、ドアをくぐる前に腰の剣を鞘ごと外してエストへ押し付けた。
「危なそうならそれ使え」
「えっ。でも、レンは……」
「俺は元々使う気はなかったから、べつに。エストのより重いだろうから気をつけろよ」
エストの返事を待たずに、レンドールは不機嫌そうな顔のまま行ってしまう。
その背中を追いながら、エストは両腕で抱え込んだ剣をぎゅっと抱きしめて、わずかばかりほっとしていた。少し前のエストなら「カッコつけるんじゃないわよ!」と突き返していただろう。今そうしないのは「使う気が無い」というレンドールの言葉がそのままの意味であると解ってしまうからだ。
(レンが危なそうなら、私が助けに入れるってこと)
レンドールがそれを期待しているわけではないことも、エストはよく解っている。
山に一人で採集しに行くのでもなければ、薬師が帯剣することはほとんどない。当然エストも、呼び出しにもこの部屋にも自分の剣は持ち込んでいなかった。それはレンドールに対する信頼の表れでもあるかもしれなかったけれど、エストの自覚は薄いものだ。
その剣が自分の手の中にある限り、彼女がレンドールに剣を向けられることはひとまずない。安堵した理由が生命の危機を感じなくてもいいというものかどうか、それさえも曖昧なことにエストは気づかなかった。
資料棚を背に置かれた執務机の周りには赤い絨毯が敷かれていて、部屋の中はどこかの資料館のように整然と片付いている。
そこに一歩踏み込めば、エストの背後で静かにドアは閉じた。
先を行く二人が奥の仰々しいドアに手をかけたとき、追いついたエストを阻むように手を出してレンドールが言う。
「エストはそこにいろ。落ち着いてから入ってこい」
何が落ち着くのか、わずかに眉を顰めたエストの目の前で重そうな扉が開く。まず見えたのは、何者かに引き裂かれた布のようなものとその陰から覗く床に走る幾筋もの傷跡。
「ああ。今日は完全に閉じ込めていたので、ずいぶんご立腹ですね」
ラーロののんきともいえる声は、目の前の光景にはひどく似合わなかった。
部屋の中で嵐が吹き荒れたかのような……いや。そこにあるのは完全な廃墟だった。窓は割れ、天井は崩れ、ベッドの残骸と倒れて一部が粉砕されている本棚。本はバラバラに引き裂かれ、紙くずが吹き込む風に巻き上げられている。
風の侵入口のはずの窓の外は暗く、景色も、見えるはずの街の明かりもない。ただ暗い色だけがのっぺりと広がっているようだった。
肩で息をして、その部屋の中央に立つ白い人影がゆっくりと振り返る。
息を呑んで動きを止めたエストを残して、レンドールは部屋の中へと足を進めた。
白い人影は警戒するように身を低くしたかと思うと、消えた。
まばたきするエストにラーロが軽く振り向いて笑う。
「もし貴女が身の危険を感じて彼女を斬っても、誰も文句は言いませんのでご遠慮なく。あの様子だと、大丈夫そうではありますけど」
そう言ってラーロは足元に転がる本の残骸を蹴って足の踏み場をつくり、部屋の中へ入って行った。
ガツガツと何かがぶつかり合う音が響いていて、レンドールが白いものと近づいては離れを繰り返している。
「ぐるる……」
獣の唸り声がして、エストは部屋の中を慎重に見回すけれど、どこにもそれらしい気配はない。
レンドールがさっと頭を避けた場所に白い腕が伸びている。その腕を捕らえようとしたレンドールの手は空を掴み、次の瞬間には斜め後方へ飛び退る。間髪入れずに今度は白いものに組み付こうと前に出た。
白いものは獣のような脚力でひらりとベッドの残骸へと飛び乗り、吠えた。
「ぐららろぉぉぉ……!」
「くっそ、おとなしく捕まれ、よ!」
レンドールの伸ばしかけた手が途中で止まり、身体を捻ってのけ反った顎のあたりからパッと赤が散る。
白い法衣だったもので爪についた赤を乱雑に拭う姿は、到底『白の巫女』には見えなかった。




