6-12 調合
レンドールが先に行ったので、エストは緊張しながらもラーロの前を通り抜ける。
そこはやはり廊下ではなく、消毒のアルコール臭の残る小さな部屋だった。中央の金属製のテーブルには試験菅や乳鉢、天秤にアルコールランプなど実験用の器具がそろっている。テーブルの隣には火を起こせる台に鍋ややかんなどもあって、棚の中にはおそらく薬品を収めた瓶が並んでいた。
棚の他にはエストのよく知らない四角い箱がいくつかあったりして興味を引いたが、口に出すのはやめておくことにした。
部屋の隅の方を覗き込んでから、レンドールが振り返る。
「知らねぇもんがたくさんあるな」
「あなたはそうでしょうね。エストさんがわかれば問題ないので。劇薬もありますけど、そう警戒しなくても大丈夫ですよ。信用がありませんね」
ラーロは軽く肩をすくめてドアを閉めた。
「好きに使ってください。材料はこちらに。下処理はしてありますので」
エストはメモを立ててあるコルク板に留めて手を洗い、作業を開始した。
自分たちのあまり使わないガラスの器具もどこか手に馴染んだものがあって、戸惑う前に身体が動く。
乾燥した植物を粉砕するのにすり鉢を目で探せば、ラーロがスッと手を出した。
その手に材料を乗せると、背後の四角い箱の一部を開いて入れている。箱は駆動音を響かせて少し震え、音が静かになると音とランプが点滅した。また別の場所を開いて粉になったものを取り出し、ラーロはエストに手渡した。
エストは驚きはしたものの、頭の片隅で自分やラーロの動きを知っているということも感じていた。覚えていないのに知っている。とても違和感のある事だった。
ラーロのおかげで作業はするすると進む。
ほどなくして三日分の薬ができた。
「ひとまず固めて錠剤にしておきますか……状態が落ち着いてくれればそのままでも飲んでくれると思いますが」
また違う箱に粉を入れてスイッチを入れるのをエストは眺める。これで終わりだと一息ついて気が緩んだところで、彼女はレンドールの視線を感じた。
レンドールはエストを見ていたわけではなく、ラーロの手で動かされる何某かの装置をじっと観察していた。
エストはとたんにスッと背筋が冷えた。
テーブルの上の実験器具はまだいい。けれど、見たこともない装置を扱う者との無駄のないやり取りはレンドールの目にどう映ったのか。エストが装置に触れたわけではない。けれど、それが何の役割を果たすのかは知っていることになりはしないか。せっかくレンドールが「普通でないこと」に巻き込まれただけと言ってくれたのに、これではエストもまた「普通でない」側に属するのだと自ら掲げたことにはならないだろうか。
「普通でない」人の筆頭ラーロは、カラカラと転がり落ちる薄茶色の錠剤を一粒つまんで満足そうに頷いていた。
「いいですね。この薬室はしばらく使っていなかったのですけど、貴女ならすぐ使いこなせそうだ。どうです? 色を抜いてここで働きませんか?」
エストは言葉が終わる前に勢いよく頭を振った。
「言ったわ! 拘束されるのは嫌!」
「そうですか。残念です」
くすくすと笑う声に悪意は含まれているのか、エストにはわからない。
レンドールがどう思ったのかも。
「もういいならエストを帰せよ」
そのレンドールの声がして、エストは肩を跳ね上げた。
「まったく、せっかちですねぇ。よろしいですよ」
ラーロは渋ることなくドアを開けた。そこは宿の廊下で、エストは少しほっとして歩み寄る。手前で一度足を止めると、何気なさを装ってレンドールを振り返った。
レンドールは部屋の奥で腕を組んで突っ立ったままだった。
「おや。あなたは戻らないので?」
ラーロがエストの代弁をしてくれる。ちら、とエストを窺ったレンドールは不機嫌そうに眉を寄せた。
「どうせこれから試すつもりなんだろう? 即効性のある薬じゃないみたいだし、飲ませるのも大変そうだし、飲ませた後様子見るのにいてやるから、あんたは少し寝ろよ」
「……は?」
「エストは帰ってていい。明日の朝戻るから心配……は、しねーか……」
レンドールの言葉が意外だったのは、エストだけではなかったようだ。ラーロもすましている声音を忘れて半音高い音を漏らしている。
「どういうつもり!? 昨夜懲りたんじゃなかったの!?」
「昨日は驚いただけだ。心構えができてればちゃんと動ける。どうせこんなこと他の『司』に言えるはずもないし、巫女に飲ませていた薬も効きが悪いんじゃないのか? だから、エストの薬を欲しがったんだろ。なら、昨夜も眠れてないんじゃねーか?」
「ご心配なく。ちゃんと仮眠取りましたし問題は――」
「本当かよ」
ずかずかと近寄るレンドールに、ラーロは二、三歩後退る。それが、エストには村の子供が見えすいた嘘をついて親から逃げ出そうとする動きと重なって見えた。
ぱっと振り上げられたレンドールの手で面が跳ね上げられ、ラーロのその顔を両手で挟み込んだかと思うとぐっと顔を近づける。
「嘘つき」
かぁっとラーロの白い肌が首元まで紅潮していく。
「な、なんなのさ。僕が寝不足だろうが体調悪かろうがレンには関係ないよね!? むしろ嬉しいんじゃない?」
「何言ってんだよ。正直、言いたいこともあるけど、今あんたにここを降りられたら困るんだよ。俺は器用じゃないし、あっちもこっちもなんてできねえ。エラリオを助けようと思ったら、巫女のことはあんたにひとまず任せるしかねえだろ」
「なるほど。バカなりに考えたと」
「そうだよ。少なくとも、ラーロは今、国を潰す気はないんだろ? 俺は国とエラリオとエストを守りたい」
「贅沢ですよ」
「うるせぇ。だからつまり、目的は相反しないだろって言いたいんだよ! ひと眠りして、その賢いオツムを働かせたら何かいい案を授けてくれるかもだろ」
「はっ! そう簡単に僕が手を貸すとでも?」
レンドールの手から逃れて、ラーロはぷいと横を向く。
「貸してくれるだろ。俺に手伝わせた方が色々面倒がないだろうし」
「へぇ。つまり僕の手足になってくれると」
「そうじゃねぇけど、被害が最小限になる手伝いなら、してもいい」
「……! レン!!」
黙って聞いていたエストは、思わずと言ったように声を上げた。そんな約束をして、エラリオを助けられなくなりはしないかと。
ラーロはレンに向き直り、少しのけぞるようにして顎を上げる。
「ふぅん。じゃあ、レンドール」
正しく名を呼ばれて、レンドールの身体はびくりと小さく跳ねた。
けれど、次の瞬間、レンドールは自ら一歩ラーロに近づいて左腕を差し出す。
「縛りたきゃ縛れよ。俺はどれも諦めねぇ」
じっとラーロから目を逸らさずに、真剣なお日様色の眼差しがラーロの面の向こうを見据える。
ラーロは一拍の間を開けてから、ゆっくりとレンドールの左腕に手を添えた。
張りつめた空気は三人の身体に絡みついて息苦しさを覚えるほどだったけれど、最初にそれを吐き出したのはラーロだった。レンドールの腕を押しやり、エストに顔を向ける。
「……バカは残るそうです。朝にはお返しすると約束しましょう」
押し返された左腕の傷跡を見ていたレンドールが、少々間抜けな顔でぱちぱちと瞬いたのを見て、エストもラーロにしっかりと向き合った。
「わ……私も、残ります!」




