6-11 迎え
「え? 何か問題ある? 本当にあの薬が効くのなら、出来得る最善だと思ったんだけど……」
「そうなんだよな……政府に薬を卸してるっていうのは新しく商売する上で信用が桁違いになるってのもあるし……悪くねーんだけど……」
エストは小さく息を呑んだ。そこまで考えていたわけではなかった。
「あ、あの、でも、あんまり大っぴらな契約ってわけじゃないし、看板に掲げるわけにもいかないだろうし」
「それでも、役人が定期的に出入りすれば周りは察するからな。本人が来るとは思わねーけど、代理をよこすだろうし、エラリオのこともあるから、あんまりアイツと関りを持ってほしくはねーんだけど」
「そんなの、レンだってそうじゃない」
あー、と声を漏らしてレンドールはガリガリと頭を掻く。
「だからっていうか、俺だけでもリスクなのにって……アイツ、何考えてるかわかんねーとこあるから、なんか妙だと思ったらいつでも断れな。処方箋渡せばあっちでできるはずだし」
リスク。そう聞いてエストはレンドールが「俺の部屋に入るな」と言っていたことを思い出した。今回は来るのをわかっていて待つのだから問題はないのだけれど、気分的には少し気まずいかもしれない。そして、エストに自立を促して物理的な距離を取ろうというのも、そこに根拠があるのかもしれないと思い至る。
レンドールの「守る」という誓いが、ずいぶん広範囲で考えられているのかもしれなくて、エストは目から鱗が落ちる思いだった。
エストはふと思い出して、赤のペンであれこれ書かれたメモを取り出してみる。
茶のインクの隙間にいくつか書かれた単語。エストの知らないものがあった。二重線で消されているものは知っているものもあるけれど、あまり薬として使用するものではない。
「毒草でも入ってるか」
エストはゆるりと首を振った。
「知らないものがあるだけ。全然聞いたことがないもの。後で調べてみる。でも、材料としてレシピに入っているわけじゃないから不審とかでは……」
「エラリオが飲んでたってのは本当なのか?」
エストはこっくりと頷いた。
「戻ってきてからは、ほとんど欠かさず。効いてるのか私にはわからなかったけど」
「そうか……」
途切れた会話は、そのまま沈黙になって二人の間に横たわった。
レンドールはエストが話しづらい相手というわけではない。気やすい態度に飾らない言葉、疑問はその場で解消するというのも好ましい。ただ、二人の間で雑談はあまり交わされてこなかった。食事の時も情報交換と確認くらいで、あとは黙って食べている。
エストはそういうものだと思っていたけれど、エラリオと三人で過ごした一夜は違った。もちろん、六年ぶりならば積もる話もあるだろう。けれど、聞こえていたのはほとんど意味のないくだらないものだ。エストが眠ってしまってから大事な話もしたのだろうとは彼女も思っているが……
酒場での情報収集の時も、そういえばよく話していた。仕事の一環だからというわけではなく、元々話すのが苦手でも嫌いでもないのかもしれない。
エストがそう気づいてしまってからは、この沈黙が少々居心地が悪かった。レンドールの態度は誰に対してもあまり変わることはないけれど、エストに対してはどこか遠慮がある。
その理由もエストはよく解っているつもりではあるが。
(さんざん嫌いって避けてたのは、私だし……)
今更、何をどう話しても不自然になるだろう。
レンドールの視線は窓の外に向いたり、足元に落ちたりするけれど、エストに向くことは少ない。目が合えば話し出すきっかけにもなるのかもしれないが、そうしたタイミングもないままに時間だけが過ぎていく。
ランプの明かりが何かの拍子に瞬いて、エストはそちらに気を取られた。
と、ドアの開く音がした。
レンドールの言う通りノックの音もなく、一瞬レンドールが開けたのかと思うほど自然に。
「おや。レンは……」
一歩入りこんだラーロの目の前に横から腕を差し出し、レンドールは「ここだ」と返事をした。
ラーロはその腕を邪魔そうに掴む。
「何度言えばわかるんだよ。勝手に入んな」
「今回は迎えに行くと言ったじゃないですか」
「ノックも呼び鈴もなく人んちに入り込むのは不審者だろ」
「そう言われればそうですが……私とあなたの仲じゃないですか」
「どんな仲でもねーし、たとえそういう仲でも必要な線引きはあるんだよ」
「ふふ。線引きをすれば、そういう仲になれるんですかねぇ。貴女、レンとそういう《》仲ですか?」
「そういう《》って、どんなだよ!? 思わせぶりに言ってんじゃねー!」
「あなたが言い出したんですよ……ねぇ?」
同意を求められても、エストは困惑するばかりだ。
開いたドアの向こうは別の部屋のようで、宿の廊下でないことにまず驚いた。
それから、そんな普通でない訪問をする人物に、普通に苦言を呈して軽口を叩きあうレンドールにも。呼び出された場では必要以上の口を開かなかったのに、この怪しい『司』相手にもその口はよく回る。
ある意味での気安さを感じて、エストは胸の片隅にもやもやしたものが湧くのを自覚した。
白い面の向こうで、『司』が口の端を持ち上げた気がする。
エストは、見えないものを想像で断定するのは危ないことだと、本来の予定を思い出して椅子から立ち上がった。
「どこへ、行くんですか」
ラーロはレンドールの腕をぐいと押し付けて半身になると、ドアの向こうの部屋へと手を差し向けた。
「なに、すぐそこですよ。ほんの、隣の部屋だと思っていただければ」
舌打ちをひとつ打って、レンドールはさっさとドアの向こうへ踏み込む。その背を目で追ってラーロは小さく笑った。




