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白の神、黒の魔物  作者: ながる
傀儡の章

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6-10 普通

 熱冷ましのレシピは、南部に生息する樹木の皮を削って入れたものが珍しかったようで、どこで学んだのか等の質問が飛んだ。旅をしながら現地療法を取り入れて行ったのだと、エストがたどたどしく説明すれば大いに感心され「これからも頑張って」などと励まされて解放された。

 巫女の話も、特別な熱冷ましの話も、役人たちは口にすることもなく、目の当たりにしたことがふわふわとした夢だったような気がして、エストは手にした薬草取扱者の資格証を指先でずっと撫でていた。


 エストは彫像のようになった役人たちには驚いたけれど、机の上に突然現れた紙とペンにはそれほど動揺しなかった。()()()()()()()()()()()()とすんなり受け入れてしまっていた。

 疲れているのか、エストに合わせているだけなのか、前を行くレンドールもいつもより歩みが遅い。その袖をエストは控えめに引いた。


「ん?」

「レン、私たちがいた『外』のこと知ってるの?」

「いや。知らねぇ」

「でも、さっき私が口走ったこと、すぐに目を取り換えた人だって」

「そりゃ、傷も残さず完璧な移植手術できる医者、そうそういないだろ。エラリオは頭良かったけど、薬や医術に詳しかったわけじゃない。三年いた間に覚えたんだ。たぶん、エストと一緒に。エストたちがいたのは少なくともそういう勉強ができる落ち着いた場所だったんだろ。それはたぶん()()()()()()。あいつみたいなヤツがいたとしてもおかしくないってこった」


 普通じゃない。口の中でその言葉を転がして、エストはもう一度レンドールの袖を引く。


「どうして? 行ったこともないところのことが分かるの? それは普通かもしれないじゃない」


 ちら、と振り返ったレンドールは足を止めてエストの髪に手を伸ばした。エストの心臓は音を立てたけれど、身体が逃げることはなかった。

 指先で掬い上げたひと房をレンドールはじっと見つめる。紺からオレンジ、そして明るい黄色へと変わる毛先まで、指はゆっくりと滑っていく。

 エストはレンドールが髪を梳く感覚を思い出してひどく恥ずかしいのに、身動ぎひとつ出来ずに心臓が胸を叩く音を聞いていた。


「俺には黒に見えねぇ」


 僅かに不機嫌が滲む声音は何に対してのものかわからない。ふい、とまた前を向いて歩き出すレンドールの背中に、エストは詰まっていた喉をこじ開ける。


「……私にもっ、見えないけど……」


 変に上ずった声にレンドールは前を向いたまま片手を上げてひらりと振った。


「勝手に触って悪かった。あいつが……黒だなんて言うから。このくらいの明かりでもそう見えやしねぇってことは、それだけ普通じゃないことになってんだろ。あとは、『外』に戻りたいってやつの話を聞いたことがないからだよ。そんな素晴らしい所なら、憶えてなくとも帰りたくなるだろ」


 エストはそうとも違うとも言えなかった。

 エラリオがいれば、そこが自分のいる場所だと思ってきたから。

 中央都市は辺境に比べると明かりが多い。少し離れたくらいでは人を見失わない。エストは前を行く背中と、手の中の資格証をなんとなく見比べた。


「……普通じゃなくても、やっていけるかな」


 それはレンドールに聞かせるために出た言葉ではなかった。

 自分で生計を立て、目標のためにも規律と立場を守って毎日を生きている大人の背中に、自分もいつかなれるのだろうかという不安がこぼさせたものだ。

 それでもレンドールはそれを聞きつけて、驚いたように振り返った。


「あっ……いや、エストが普通じゃないとか、そう言ってんじゃないぞ? おかしいのはアイツらだろ! 普通じゃないことに巻き込まれた方は、んなこと気にしなくていいんだよ!」


 巻き込まれた、のだろうか。判然としないことではあるけれど、そういうことを心配したのではなかったのに。どこか必死に言い訳するレンドールは少し滑稽で、エストの頬は緩みそうになった。


「それに、えーと、あれだ。『普通』は人の数だけあると……思うし、エストはその資格も取れたんだから()()()()以上に誰かの役に立てるだろ」

「……そうね。ありがとう」


 するりと出た感謝の言葉に、レンドールは先ほどの役人たちのように動きを止めて、次の瞬間にはまたくるりと前を向いた。


「べ、べつに、礼を言われるような話はしてねぇ!」


 どうしてか早くなった歩みをエストは追いかける。

 明かりと明かりの間の暗がりに吸い込まれそうな背中を見失いたくないと思わず伸ばした手は、レンドールに届く前にためらいがちに握られた。

 だからといってエストがレンドールを見失ったということはなく、宿へも何事もなく辿り着く。レンドールの部屋の前まで来たとき、エストも一緒に足を止めた。

 鍵を開けてノブに手をかけたレンドールが訝しげに振り返る。


「……迎えに来るんでしょ? 一緒にいた方がよくない?」

「え? あ、そうか。そう、だな」


 レンドールのわずかな躊躇いをエストはもう気にしないことにした。プライベートな空間は誰しも安全に保ちたいものだ。それ以外のときの彼は、エストを()()()扱ってくれるのだから。

 促され、エストは先に部屋に足を踏み入れる。ひとつだけある小さな椅子を指差され「座っていい」とレンドールが言うので、エストはベッドの方に向くように移動させたのだが、レンドールはドアの横に立って壁に背を付けてしまった。


「……座らないの?」


 役人たちと話している間もレンドールはずっと立っていた。疲れているはずなのに。


「あいつ、ノックもしやしねえから、ここで待っとく」


 呆れ顔でドアを指差すレンドールに他意は見えない。

 それでも微妙な距離を感じて、エストは椅子に添えた手に力が入った。

 気にしないと、決めたばかりなのに。

 『普通』を強調するのも逆に思う気持ちを誤魔化すためじゃないかとか、資格取得を勧めたのはやっぱり厄介払いしたいんじゃないかとか、悪い方へ考えそうになる。最初の頃の協力を拒もうとした自分のことなど高い棚の上だった。

 エストがすとんと勢いをつけて椅子に座り、余計な考えを振り払おうとすれば、レンドールがぼそりと口を開いた。


「……薬の件、受けちまってよかったのかよ」


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