6-8 交渉
約束の時間、人気の無くなった省庁入り口には警備員が立っていた。
話は通っているのか、封書と通行証を見せただけで通してくれる。
レンドールは六年前を思い出しながら、ゲートの石に通行証をかざした。さざ波が立つように、ゲートの向こうが滲んで揺れる。強張るエストの横顔をちらりと見てから、レンドールはその先へ足を踏み出した。
通り抜けた先は会議室のようだった。以前入り込んだ対策室よりだいぶ小さく、中央に地図の浮かぶスペースもない。
上座には中央にラーロと、青い役人の制服を着た男女がその両隣に座し、他に数人のスタッフが立ち歩いていた。
気配にラーロが顔を上げたので、レンドールはかかとを揃えてこぶしを胸の前に寄せる。敬礼に一拍置いてから名乗りを上げた。
「士、レンドール、エスト嬢を伴い参上いたしました」
座っている面々が左胸に手のひらを添える答礼を返す。
レンドールの後ろでエストがわずかに身じろいだ。
公の場で『士』らしく振る舞うレンドールが可笑しくて、笑いをこらえたわけじゃないだろうなと妙なことが頭をよぎった。レンドールだって場を弁えることくらいできる。得意ではないけれど。
レンドールの胸中など知ったことなく、ラーロの隣に座っている女官が前の席を指した。
「お座りください」
レンドールが敬礼から姿勢を戻し、エストを席へと誘導する。自分は壁側へと下がって直立した。部屋が小さいのでエストまで数歩しかない。充分だった。
「あなたもどうぞお掛けになって」
「いえ。ここで」
固辞すれば「では」とラーロの声が場を仕切った。
何かあったとき、座っているより立っていた方が動きやすい。レンドールのことなど彼はお見通しなのだろう。
エストだけが少し不安そうにレンドールに視線を向けた。
その視線を受け取ることなく、レンドールはラーロと役人たちを見据えている。ラーロは交渉と言ったので、本当にそうならレンドールの出番はないはずだ。
「突然のお呼び出し、不安に思ったことでしょう。まずは足を運んでいただきお礼申し上げます。資格試験の結果もかなり良かったです。せっかくなので、この場で資格証をお渡ししておきますね」
ラーロが合図すると、背後に立っていた役人が回り込んできてエストの前に資格証を置く。四角の金属板には三角に葉の形が重なる意匠が施されていて、裏には登録番号と名前が彫り込まれているはずだ。
「ありがとうございます……」
礼をいうエストの声はまだ緊張している。
「それで、本題なんですが。実は、あまり大きな声では言えないのですが……噂はお耳に届いているかもしれませんね。『白の巫女』が少し体調を崩しておりまして。体調管理を任せていた巫女老も半年ほど前に亡くなっており、色々試してはいるのですが芳しくなく」
面の向こうからレンドールに向けられた視線を感じて、レンドールはむっと口を引き結んだ。
(言わねーよ。いたずらに混乱を引き起こすようなこと!)
ラーロは小さく頷くと、続けた。
「実技試験の時に熱冷ましを調合したでしょう? 貴女のが一番よくできていました。試験ではこちらで用意した材料と道具で調合してもらいますが、そこにオリジナルで手を加えても良いことになっています。何を入れたか、覚えていますか?」
エストははっきりと頷いた。
役人がエストに注目する。
「チュニアとマンサニージャそれから」
パァン、と手を打つ音が響き渡った。
話の途中でエストはびくりと肩を跳ね上げ、言葉も止まる。困惑の顔をしているのはレンドールとエストだけで、手を打った張本人は涼しい顔で立ち上がった。
レンドールは反射的に剣に手を添えたけれど、それをやんわりとラーロが制する。
「心置きなく話せる場にしただけですよ」
隣の男性役人の頭に軽くげんこつを落とし、机を回り込んでくる。
男性役人はげんこつを落とされたというのに何の反応も見せず、ハッとしてよく見れば部屋に居る役人たちはぼんやりと宙を見つめたまま彫像のように固まっていた。
レンドールとエストに見せつけるように、ラーロが女性役人の目の前で手をひらつかせる。
「見えてないし、聞こえてません。失言も暴言も気にしなくていいですよ」
ラーロはレンドールが座るはずだった場所のテーブルに腰かけ、少し体を捻ってエストの方を向く。
「本当の、本題です。レンが見たもののことを聞きましたか?」
エストは強張った顔のまま、首を横に振る。
「そうですか。口が固いのか、面倒を避けたのか……あるいは……」
ふっと笑って言葉を切ったラーロにエストは眉をしかめた。
「まあ、余計なことですね。単刀直入に聞きます。貴女、巫女になりませんか」
「え?」
ますます眉をひそめて、エストは首を傾げた。
「巫女? そういう役職が?」
「巫女の役職は現在ひとつきりですね。『白の巫女』です」
エストは目を見開いて、レンドールに視線を向けた。どういうことなのかと青い瞳がレンドールを責め立てる。
「レンの首の痣は見ましたか?」
ラーロに視線を戻して、エストは嫌な予感に身を固くした。
「見ましたね? あれは巫女がつけたものです」
「……なっ……」
「時々、破壊衝動に駆られては、あらゆるものを壊すのです。目に入ったものすべて憎いというように。最近は発作が頻繁で、外に出せたものではありません。次の巫女を整えるまでの一、二年でもかまいませんからご協力いただけませんか」
しばし絶句していたエストは、それでもどうにか自分を取り戻したようだった。
「どうして、私? 私は、色が抜けるどころか……こ、この髪だって別に抜けかけってわけじゃなくて」
「ええ。綺麗な黒だ」
髪をひと房掴んだ格好のまま、エストは役人たちのように動きを止めて青ざめた。
「でも、だからですよ。その身体にあの力はだいぶ馴染みのものでしょう? 色を抜くくらい《》大した手間でもないですし」
反射的にエストは立ち上がる。椅子が音を立てて倒れた。
「私は! 色が抜ければいいなんて、思ったことないわ! だいたい、馴染みってなに? 巫女とあの力に何の関係が……」
自分の言葉にハッとして、エストはひたりと目の前の人物に視線を落とす。
「破壊衝動って言った? 巫女は……まさか、黒化が出てるわけじゃ……」
否定のないだんまりにエストの顔が引きつる。
「貴女の保護者を助けられるか、同じような症状の彼女で試してみるというのもありですよ? ああ、失敗しても彼女は元々罪人です。心を痛める必要はありません。貴女が巫女の代理を演じてくれるというのなら、どうぞお好きに」
「ふざけないで!」
エストはテーブルに叩き付けるようにして手をついた。テーブルの上に置かれた資格証が小さく跳ねる。
「私を何だと思ってるの? 資格を取ったのは誰かを助けるためよ。罪人を実験台にするためじゃないわ!」
「いたって真剣なのですが。今ある薬だって、誰かが効き目を試しながら調整してきたものですよ。ぶっつけ本番より、他で試せた方がいいでしょう」
エストは小さく息をついてゆるりと頭を振った。
「あなたたちがどうしようもないものを、私がすぐどうにかできるなんて思わない。だから、ここで巫女を演じてる暇があったら、あちこち行ってエラリオを助ける方法を探したい」
「『たち』?」
少し笑みを含んだラーロの問いに、エストははたと考え込む。国の役人たちのことを思い描いて出た言葉ではなかった。
「……あなた……たち? え……どうして。私……他に、誰を……」
瞬きひとつしない役人たちをぐるりと見回して、エストは最後に助けを求めるようにレンドールに視線を止めた。




