6-5 巫女の秘密
「え……」
真白の法衣には金銀の糸で刺繍が施されている。同じく刺繍の施された面は傾き、いつ外れてもおかしくない。曇りない白さの髪は、けれど乱れもつれて、背を丸めた彼女の顔を覆っている。
さすがのレンドールも、どう動けばいいのかわからなかった。
ゆらり、持ち上がる手が残されたドアにかかり、花でも手折るかのように厚い板を割る。
呆然とその光景を眺めていて、やがてレンドールは気づいてしまった。
刺繍の施された美しい長手袋の指先、黒ずんで見えるそれは、汚れや彼女自身の血が滲んだものだけではない。
ある程度ドアを破壊すると、女性は――白の巫女は、それを越えてレンドールの方へ踏み出した。
伸ばされた手袋の先は擦れて破れ、黒い指先がレンドールに向けられる。
すがるように伸ばされた指は、けれど次の瞬間に殺気を纏った。ずるずると緩慢だった動きは、瞬きの間に飛びつく獣のように変わる。
「あ……ああ……あは……ぐる……ぐるぁ……」
笑い声のような、獣が喉を鳴らすような、奇妙な声を発しながら、その手はレンドールの首を捕まえた。偶然にもラーロが先ほどレンドールにしたのと同じように。
レンドールもまたその手を掴んで引き離そうとしたのだが、彼の想像より遥かに彼女の動きは速く、強く、宙に浮いた体は強かに床に打ち付けられた。
レンドールは詰まる息を冷静に受け止めて、反射的に蹴りの態勢に入った体を止める。
これが本当に白の巫女なら、乱暴するわけにはいかないと思ってしまった。
「……死にますよ」
冷ややかな声と共に、レンドールに覆い被さっていたものが蹴り飛ばされた。壁や棚にぶつかり、そこにあるものをなぎ倒して巫女は伏す。
「なん……けほっ……」
「覚悟があるのかと思えば。何も考えていないだけですか。ソレは手加減なんて知りませんよ。まあ、別に、あなたがここで退場しても、私は困らないですが」
「……いや、だって……巫女……」
伏していた巫女が、跳び起きて向かってくる。先ほどの衝撃で外れてしまった面の下から覗くのは黒い瞳だった。長く白い髪の向こうに昏く淀んだ穴のようにしか見えない。
ラーロが払いのけるように手を振った。
それは宙を撫でただけだったのに、巫女は大きなもので殴られたかのように床に叩き付けられる。小さくうずくまるように体を丸めて、巫女はすすり泣き始めた。
「巫女、ねぇ……」
ラーロは鼻で笑う。一歩、二歩と彼女に近づけば、巫女は怯えたように後退った。
「彼女を押さえ込めないようでは、あなたの親友を止めるのは無理ですよ。これと違って、供給は途切れませんから」
「供……給……?」
レンドールはまだ上手く頭が回らない。
怯えているはずの巫女が、怯えながらもラーロに手を伸ばす。甘えるように、媚びるように。
「望んで手に入れたのだろうに、お前は本当に面白くも役にも立たない」
伸ばされた巫女の手を引き寄せ、ラーロは彼女を抱き上げる。かけられた言葉に反応したのかどうか、巫女は乱暴にラーロの顔に爪を立てようとした。
冷静に頭を引いたラーロの面が引き剝がされる。
正面から巫女を冷ややかに見つめるラーロの瞳は、銀を通り越して白かった。
ぶるっと震えたのはレンドールだけではなかった。抱き上げられている巫女は一度大きく震えたあと怯えたように身をすくませた。ラーロの横に白い錠剤のようなものが浮いて、彼はそれをぱくりと口に含む。再び暴れだす前に両手を拘束し、彼女に口づける姿は舞台でも見ている気になったけれど、薬を口移ししただけなのだろう。巫女の喉が上下して、やがてがくりと気を失った。
「ど、どういうことだよ? 巫女がなんで黒化してんだよ……」
「一から説明しないと解りませんか?」
巫女を抱いたまま振り返ったラーロは居丈高に笑う。
「そもそも、力の根源は同じなんですよ。薬で考えてごらんなさい。摂りすぎれば毒になる」
「…………」
わかるような、わからないような。そんなレンドールの顔に、ラーロは冷ややかな表情で踵を返した。彼が一歩を出すたびに、崩れた棚や壊れた備品が元に戻っていく。酷い有様のドアも、ラーロが部屋の中に入るとパズルのように欠片が集まり、何事もなかったように元の堅牢なドアができあがった。
彼の姿が見えない間に、レンドールは立ち上がってひとつ深呼吸する。これだけ騒いでも誰もやって来ない。おそらく、外に音は漏れていないのだろう。
あんな発作が……発作と言っていいのか、レンドールにはわからないけれど、たびたび起こるのであれば、ラーロの言う「忙しい」の意味が少し変わってくる。そして、黒化の理由を問うたレンドールへの答えが「摂りすぎ」ということなら……どこから摂取しているというのか。
思い起こされるのは、魔化獣の死体の処理の仕方だった。あの時、アロは黒い液体のようなものが入った瓶をどうすると言った?
まさか、と呟くレンドールの握られたこぶしが、小さく震えていた。
何故を問うてもまだ理解できない。奥のドアからラーロが戻ってくるのを待って、レンドールは次の疑問をぶつけるつもりだった。
静かに重厚なドアを開いて戻ってきたラーロは、レンドールを見て驚いたように足を止めた。面をしていないので今ならしっかりとその表情も読める。
「何故まだいるのです」
「なんでって。まだよくわかんねぇから。どうして巫女に黒い……力? が、必要なんだよ」
眉を寄せ、わずかに困惑をにじませたものの、ラーロはすぐに馬鹿にしたような笑顔を作った。
「力のないものが力を行使するには、外から取り入れるしかないでしょう?」
「……だから、どうして。巫女はその資質を量られて選ばれるはずじゃないか。負担が大きいのかあまり長命な話は聞かないけど、それにしたって今の巫女はまだ選ばれて十年経ってないだろ?」
「彼女に関してなら、あれは選ばれた巫女ではないからですよ」
「なんっ……!」
ラーロはレンドールに歩み寄って、彼の肩を掴み、少し背伸びをするようにしてその顔を下から覗き込んだ。
「レン、あなた、どこに踏み込もうとしているのか解ってますか? 私が目を離していた間に逃げるべきでしたよ? 彼女のように、もうここから出られないとは思わないのですか?」
目の前で、よく知るラーロから色が抜ける。真っ白な髪と瞳は神々しくもあり、禍々しくもあった。
それは今までで最大級の脅しで、けれど間近で見るラーロの顔には確かな疲れが刻まれている。
レンドールはそっと手を持ち上げ、ラーロの目の下に居座る隈を親指でなぞった。
「……寝ろよ。寝不足だと、碌なこと考えねーぞ」
触れた頬がカッと色を乗せた。でもそれは怒りではないはずだとレンドールは思う。
「私は! 病気にもならない、ケガもしない。死ぬこともない! あなたを無理やり従わせることだってできるんですから……っ!」
レンドールは添えた手で、そのままラーロの頬を思いきりつまんでやった。
「いひゃっ……にゃにを……」
「ケガをしなくても、死ななくても、痛みを感じないわけじゃねーんだろ? 疲れもストレスも溜まる。じゃなきゃあの朝寝坊はなんなんだよ。しっかり顔にも出てんぞ。さっきから矛盾したこと言ってるの気づいてないのか? わざとなのか?」
ラーロが黙ったので、少なくとも自覚はあったのだとレンドールは思うことにした。
「たとえ逃げ出しても、あんたはいつでも俺のところに来れるじゃないか。ほら、抵抗もしないぞ。捕まえれば? その代わり、答えろよ。『選ばれてない』って、どういうことだ?」
「……何も聞かずに帰れと言ってるんですよ」
「いやだ。教えろって言ってるだろ」
ラーロは苛立たし気に舌打ちをする。
「……本当にっ! バカには話が通じない!!」




