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白の神、黒の魔物  作者: ながる
傀儡の章

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6-4 深夜の密会

 レンドールは薄い布団から抜け出してベッドの上に胡坐をかき、頭を掻きながら一息つく。


「……なんだっけ。ああ、そう。エラリオに会ってきたから」

「……それだけですか? もう手に負えなくなっていたとか?」


 明らかに不満げな声になって、ラーロの雰囲気が冷える。


「いや。全然。全然普通のあいつだった」

「そうですか。聞く価値のある話ではありませんでしたね」


 立ち上がって去ろうとする背中に、レンドールは続ける。


「でも、動物たちは異変を感じてるみたいだった。小さな、弱いものほど怯えて、いっとき逃げ出す」


 ラーロが足を止めたので、レンドールはさらに続けた。


「近くに集落があると、少し騒ぎになったり不安がる人も出るだろうけど、あいつが移動してしまえば元に戻る。同じ集落で連続して起こることはないだろうから、そういう報告が続いても心配ないって言っておきたかったんだ」

「……それで、普通?」


 振り返ったラーロは片手を顎に寄せる。


「その段階まで進んでいるのに、本当に以前の彼と変わらないと?」

「か、変わらねーよ。ちゃんと、他人に気遣いもできるし、自制も効いてる。できるだけ人里に近づかないようにもしてるんだ」


 僅かな時間考え込んで、ラーロはふっと息を吐きだした。


「まあ、どのみち、もうほとんど時間はないですね。彼を苦しませたくないのなら、早めに引導を渡してあげた方がいいですよ」

「……なっ……」


 言いながら、ラーロは踵を返してドアを開ける。もう話すことはないという態度に、レンドールは裸足のままラーロを追いかけた。


「じじいになるまで大丈夫だって、俺が――!」


 ラーロは振り返りもせず鼻で笑う。


「おめでたい」


 ドアの向こうに去り行くラーロの、かろうじてこちら側に残された腕を、どうにかレンドールは掴んだ。勢いのまま、ドアをくぐる。

 ぐにゃりと一瞬だけ視界が歪んで世界が波打ったのを、歯を食いしばって耐えれば、目の前に現れたのは宿の廊下ではなく――


「……本当に。面倒くさい人ですね。あなたは」


 低い声と共にレンドールが掴んでいない方の手が彼に伸ばされる。その手を先んじて捉えて、レンドールはラーロに詰め寄った。


「なんでわかった風なこと言うんだよ! 何を知ってるんだよ? 巫女がまた何か預言したのか? だから、体調が?」


 レンドールの勢いに、両手を拘束されたままラーロは少しの間ぽかんとしていた。

 すぐに我に返ると、苦笑と呆れの中間くらいの声を出す。


「レン、今のは危機を感じるところですよ。手を放して、身を引くべきところです。()()()しすぎましたかねぇ……」


 軽くレンドールの拘束をほどいて、ラーロはレンドールの肩を押し返す。優雅な動きは力など入っていないようなのに、レンドールは二歩ほど下がることになった。

 体が起きて()()の様子が目に入る。よく整頓された執務室で、重厚な机が資料の並んだ棚を背に存在を主張していた。右手の大きな窓の外は闇が広がっていて、眼下に頼りない明かりがぽつぽつと見えている。

 赤い絨毯の上に立つ法衣をまとったラーロは、部屋の主としての威厳に満ちていて、よれたシャツとだぶついた下衣に裸足という姿のレンドールが、気軽に名を呼べるような存在ではないと理解させられる。

 それでも、レンドールはここで引き下がる気はなかった。

 奥歯を噛み締め、また一歩を踏み出す。


「教えろよ。何がどうなるのか、知ってんなら! 俺は、それを――」


 止めてみせる。

 切るはずだった啖呵は、何者かの叫び声に遮られた。

 執務室の奥、隣の部屋に続く扉の向こう。獣のような唸り声と、ドアを引っ掻く爪の音。

 反射的にラーロを庇う立ち位置に入ってから、レンドールは困惑してラーロを振り返った。

 面で隠された表情は見えないが、特に焦った様子もない。聞こえていないのか、これが日常なのか……さすがにあり得ないだろうと思うけれど、ラーロはいつでもレンドールの常識の外にいる。


「ペット……じゃ、ねぇよな……?」


 中には、人の叫び声のような鳴き声の鳥も確かにいるけれど。

 ドン、ドン、と何かがドアにぶつかる音がするたびに、重そうなドアが震えている。

 ラーロは、ふぅと息をついて何者かが暴れている部屋とは反対の、レンドールたちが入ってきた方のドアを指差した。


「レン、帰りませんか? 私なら、大丈夫ですから」


 それは、懇願にも思えたし、諦めにも思えた。

 もちろん、レンドールにそんな気はない。頭を一つ振って奥の部屋に視線を戻す。


「知らなくていいことも、あるんですよ? その先は、あなたを自由にしておけなくなるかもしれない。親友に会えなくなってもいいのですか?」


 その言葉は少しだけレンドールを迷わせた。

 けれど、すぐに彼は笑う。


「会いたいと思ったら、俺は会いに行く。だから、問題ねーよ」


 一際激しい衝突音がしてドアがひしゃげ、一部が崩れて落ちた。ギィ、と音を立て、ドアがわずかに開く。ガリ、と今度は控えめな引っ掻き音に重なるように、すすり泣く声が聞こえてきた。

 人もいるのかと、やや焦り気味にレンドールは壊れたドアへと近づいていく。

 ラーロはため息をつきながらゆるりと頭を振った。


「……どうしてそんなにばかなんですか」


 壊れたドアの隙間からレンドールは声をかける。


「誰かいるんですか? 大丈夫ですか?」


 ピタリとすすり泣きは止んだ。窺うような息遣いに変わる。

 隙間に目を凝らせば、白いものが見えた気がした。

 トン、と軽いノックのような音。


「ケガはありませんか? ええと。開く、かな」


 レバー式の取っ手に手を添えて押し引きしてみても、ドアは動かない。剣があれば叩き壊すのだけど、とラーロを振り返ってみても、彼は動く気が無いようだった。

 トンともう一度鳴った音は、次の瞬間ドンと重い音と振動に変わる。


「うああああ、あああ!!」


 雄叫びのようなそれに続いて、メキメキとドアが音を立てる。レンドールが思わず一歩引いた瞬間に、ドアの上半分が壊れて飛んできた。頭を庇って上げた両手の隙間から、ドアの向こうを窺う。

 フーフーと荒い息遣いに、大型の獣か屈強な男を想像していたレンドールは、そこに立つ細身の女性にしばし釘付けとなるのだった。


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