6-3 前祝い
夕食で待ち合わせていた食堂に現れたエストを手を振って迎えたレンドールは、妙に浮かない顔をしている彼女に笑顔を固まらせた。
「な、なんだよ。思わしくなかったのか? 結果出るまでわかんねーし、試験は年二回やってんだから、急いだ今回落ちても別にどうってことはねーし」
彼なりの気づかいなのか、珍しく椅子をひいてエストを労わる様子に、エストは一瞥を向けてそれを受け入れた。
「落ちたらどうするかも考えてたの?」
「言っただろ? できないことはないって。ちょっときついだけで」
きょとんと首を傾げるレンドールに、エストは少し目を瞠ってから、肩の力を抜いた。
「……受かる、と思う」
今度はレンドールが目を見開いて、すぐに笑顔になった。
「なんだよ。脅かすなよ。だよな! オヤジー、エール! と、発泡葡萄酒でいいか? 飲めるよな?」
まだ受かったわけじゃないのに、と思いながら、エストは頷いた。
「どうして、受かると思ったの?」
「え? うーん……なんとなく? そっちこそ、手ごたえあったんなら、なんでそんな顔してんだよ。また変な奴に変なこと言われたのか?」
エストはゆるりと首を振ってから、少し身構えて話し始めた。
「……私、勉強らしい勉強はした記憶がないの。だから、実技試験はともかく、筆記試験はあんまり自信がなかったんだけど……問題を見たら、こうだった、書いてあったって頭に浮かんで、ほとんど苦労なく解けてしまって……」
自分で自分が気味悪くなってしまったのだと。
「もちろん、全部気のせいで間違ってる可能性もあるけど」
余った時間にふとエラリオの視界を覗いてみれば、『回答欄』と書かれた文字が見えた。何のことかと答案を見返してみれば、途中で欄がひとつずつずれていた。慌てて直したけれど、これも厳密にはカンニングだろうかと、自分の心にとどめておくことにする。エラリオが教えてくれたのだから、ずれていなければ正解だったのだと思いたい。
エストはそんなことを思い返して、ちょっと肩をすくめた。
運ばれてきたお酒を手にして勝手にカップ同士を合わせると、レンドールはニッと笑う。
「『外』でエラリオが教えてたんだろ。そのくらいアイツはやるよ」
『外』でそんな環境に身を置けていたのか、だいぶ疑問ではあるのだけれど、エストはそれについては口を閉じた。何も思い出せないのだから。
相変わらずのエラリオへの過剰な信頼を目にして、少々呆れの感情も沸いたエストだったものの、自分でも気味悪く思う事象をさらりと受け入れるその性質にホッとしたのも事実だった。
「それで……受かったらどこを拠点にするつもりなの?」
「そうだな……こないだまでいたプライアも悪くはねーと思うんだけど、冬は意外と雪が多いんだってさ。山間の盆地で、湖も近いし。中央から南の方が平地も多くて移動は楽かもしれねーなって」
「そうね。冬場はエラリオも南の方にいるだろうし……」
「だよな。まあ、下見しに行って、よさそうなら決めればいいかなって」
「……それで、月一回はちゃんと連絡してくれるんでしょうね?」
二人の戦う姿など見たいわけではないけれど、自分の視界の外で何もかも終わってしまうのは耐え難い。そこは譲れないと、エストはレンドールを睨みつけるようにした。
レンドールはまたきょとんと間抜けな顔をする。
「何言ってんだよ。あいつの行き先把握するのも俺だけじゃ無理だし、エストを守る約束は継続中だろ。町のごろつき程度、心配はしてないから、近所に住むつもりはないってだけで、七日か十日に一度くらいは顔出しにいくつもりだぞ……まあ、そっちが嫌なら半月に一度くらいは我慢してもらって……」
「えっ……そうなの……」
どうも認識にずれがあると気づいて、二人はしばらくお互いを見つめ合った。
気まずそうに先に目を逸らしたのはレンドールだ。
「あの、でも、それだとレンが大変じゃない?」
「別に。移動は慣れてるし、ひとりなら野宿でもいいから。大変ならまた考えるってだけだろ」
「そう……ね」
また考える。その一言は、突き放されたと思っていたエストにきちんと届いた。
店を出して、それが軌道に乗れば、また違う方法が見えてくるかもしれない。帰る家があれば、エラリオは立ち寄ってくれるかもしれない。
後ろ向きだった思考が少し前を向く。
エストはようやく小さな気泡を立ち昇らせている葡萄酒に手を伸ばして、それに口をつけた。
◇ ◇ ◇
試験の結果が出るまでには三日から五日かかる。
合格者は庁舎前の掲示板に番号で張り出されるし、受験票を役所に提出すれば資格証を発行してくれる。中央に留まれない者も『司』のいる町でなら発行可能だ。期間は半年。次の試験までの間なので、意外と自由が利く。
試験から三日目に、まだ掲示板に張り出しがないのを確認して、レンドールは宿に戻った。訓練場からの帰りだったので、エストとは別行動だ。
相変わらず人混みが苦手なエストは、それでも貸本屋を見つけたと何冊かの本を借りて来たようだった。よほど面白かったのか、食事時にも持ち出して読んでいたので、今日は部屋で食べられるものを持ち帰ることにした。
(文字ばっかの何が面白いんだろうな)
睡眠薬にしかならないレンドールは首を傾げるけれど、時間を楽しく潰せているのならそれでいいかと思い直した。
部屋をノックしても反応がなく、もう一度ノックして声をかければ、ようやく慌てた声が返事をした。
「ご、ごめんなさい。もう晩御飯?」
顔をのぞかせたエストに苦笑しながら買ってきたパンと総菜の入った袋を渡す。
「たまには部屋で食ってもいいかって。発表はまだだった」
「あ。えっと、そう。あの、明日は……食べに行ける、から」
「どっちでもいいって。エラリオは、変わりなさそう?」
「えっと……うん。野営の準備してる」
軽く目を伏せて言うエストに頷いて、レンドールは隣の自分の部屋へと足を向ける。ひとつ伸びをして、たまには早く寝るかと首を回すのだった。
腹を満たして汗を流した後、そのまま布団にもぐりこんでいたレンドールのベッドがきしんだ。
細い指がレンドールの首筋をつと撫で、そのまま手のひらで首を覆う。
レンドールが反射的にその手首をつかんで目を開ければ、白い刺繍の入った面が目に飛び込んできた。
「……!!」
「ひどい人ですね。呼びつけておいて眠りこけているだなんて。殺意が湧きそうでしたよ」
ベッドに腰かけた状態でレンドールの首に片手をかけ、くすくすと笑う様は冗談のつもりなのだろうけれど、あまり冗談にはなっていなかった。
「無茶言うなよ! いつ現れるのか判らないのに!」
「おや。毎晩心待ちにしていたのではないのですか。あんな誘い方をするのだから、てっきり」
「変な誤解されそうなこと言うな!」
「誰も聞いてませんよ」
レンドールの首から手を放して、ラーロは「それで?」と首を傾げた。




