5-17 憧れの団らん
エストが食べ終わるころ、レンドールが戻ってきた。
山の夜の涼しい風がいっとき吹き込んで、エストは心地よさに軽く目を閉じる。
「そう心配もねーと思うけど、食いもんの匂いに釣られて来るやつもいるかもだから、獣除けの香をいくつか置いてきた」
レンドールはひょいと胡坐をかいて、置いてあったスプーンを鍋に突っ込んでそのまま口に運ぶ。
椀を手にしようともしない様子にエストは眉を寄せた。
「行儀悪くない?」
「もう食い終わったんだろ? 汚さなきゃまた使えるだろ。水場も近くないようだし。で? 聞きたいことは聞けたのか?」
「レンが戻ってくるの待ってたの!」
睨まれて、レンドールは肩をすくめる。
エストは王都で会った『司』と政務官の話をエラリオに話し始めた。黙って聞いていたエラリオは、少し首を傾げてレンドールを見た。
「レンと一緒に俺たちを追っていたのは、政務官の方だよな?」
「そうだけど、俺はあの『司』と同一人物だと思ってる」
「なるほど。なら、おかしくないな。どっちもこの瞳に映しちゃまずい。どうしてって訊かれると、困るんだけど」
レンドールは口に入れたものを飲み込んで、肉の塊に次の狙いを定めると、軽い調子で返した。
「ああ。二人とも『外』にいたんだろ。じゃあ、その時のことは思い出せねーし、話せねーはずだ」
エラリオとエストが驚いた顔でレンドールを見つめる。
「レンが、なんでそんなこと……あの『司』に聞いたのか?」
「それは違うやつにヒントをもらった」
「違う……ああ、緑の髪の。彼も『外者』だったな……」
「あ、あの……」
エストがおずおずと口を挟む。
「街で会った政務官が「記憶を取り出せないのは自分がやったこと」みたいなこと言ってて……その時は意味が分からなくて聞き間違いかとも思ったんだけど、まさか……」
レンドールはスプーンを咥えたまま、しばし腕を組んだ。
「んー……本人が言うなら、そうなのかもな。アイツに関しては何でもアリな気がする」
「どうして……」
「なんか不都合があるんだろ。国は渓谷周りのことには驚くほど不寛容だ。調査要請出しても、以前に調べた資料を渡されて終わりだった」
「あの『司』、名前は確か……」
「ラーロ」
レンドールの答えにエラリオはひとつ頷く。
「前に『司』の家と法衣を借りたとき、彼の蔵書も見せてもらった――まあ、勝手にだけど――とき、『白の巫女』のルーツについてのものもあってさ。教義なんかよりよっぽど資料が豊富で。面白いなって思って」
「なんか、アロもそんなこと言ってたな。「神よりも巫女の方にすがる」のが面白いって」
「アロ?」
「あ。ラーロの政務官の時の名前」
「なるほど。で、だ。神の声を最初に人に伝える役を負ったのは、神話では〝巫女〟じゃないんだ」
訝し気な顔をしたエストと首を傾げたレンドールが口を挟む前にエラリオは先を続ける。
「女性じゃないってことね。最初に神の詞を聴いたのは男性で、次の代から女性になる。この、最初の司祭とも言える男性の名が『クラーロ』っていうんだ。似てると思わない? まあ、名前だけで、だからどうということは言えないけど」
「国の資料にはそいつは出てこないな。巫女が人々の心を纏めて、集った人間が国を興した。そうなってる」
「巫女は人を纏められるが、政治はできない。だから、王が立った。手を携えてやっていこうと。普通は親だったり常駐の『士』だったりに聞かされて育つんだろうけど、俺は試験の時に少し調べて知ったことだ」
「本当にアイツがそうしてるんなら、その理由はアイツに聞かなきゃわかんねぇな。そういう事実があるってだけで、どうしようもねぇし、今の俺たちにゃあんまり関係ねぇ」
エストがむっとした顔をした。
「私とエラリオは思い出せないことがあるんだから、関係あるでしょ」
「思い出せないだけで、消えたわけじゃない。現に、大事なことはちゃんとわかってるだろ? ラーロを黒の瞳に映しちゃいけない。今重要なのはそれだ」
「そうだね。それで……レンと一緒に来なかったってことは、彼自身は動く気はないんだね?」
レンドールは、なぜだか少し驚いたような顔をしてエストを見た。
「それもまだ言ってねーのか? ラーロに少し猶予をもらったんだよ」
「だって、よくわからなかったんだもの。部屋に居させてくれとか言ったのに、勝手にいなくなって報告もないし……」
「あれはアイツに連れ出されて……! 寝坊したんだから、仕方ねーだろ……」
尻すぼみの声になったのは、レンドールがその朝のことを思い出したからだ。
にこにこと生温かい雰囲気をまとってレンドールとエストを見ているエラリオの視線が、居心地の悪さを増幅させていた。
妙な空気はエストにも伝染したのか、少し下がって膝を抱えるように座り直し、口を閉じた。
「ま、まあ、つまり、今のまま大きな事件や騒ぎが起きなければ、国の動きは無いと見ていい。ただ、巫女が倒れたって噂が広まってて。そのせいで魔化獣が出ると魔物が戻ったんじゃないかって不安になる人もいるみたいで……そういう声が増えれば『士』を動かさざるを得ないかもしれない」
「……そうか。あの時流した噂もあって、魔化獣もだいぶ狩られていたから」
「そうなんだ。別に黒の瞳のせいじゃなくても、そろそろ数は増えてくる頃なんだ。国は噂の時も思ったより冷静に数を見てたから、今回もそうだとは思うけど」
じっとエラリオを見つめたレンドールに、エラリオは肩をすくめて見せる。
「今くらいなら、魔化獣になるには、俺と毎日添い寝してもひと月はかかるんじゃないかな。前回レンとやりあったときくらいでも、数日じゃ無理だ。移動は続けるつもりだし、もちろん魔化獣を見つけたら狩るし、レンも手合わせしに来てくれるんだろう?」
何か言いかけて、結局膝に顔を押し付けたエストを横目で見ながら、レンドールは頷いた。
「もちろん。毎日でもいいぜ」
「聞いてなかった? 毎日傍にいちゃダメだって。月イチくらいで大丈夫だよ」
「めんどくせーなぁ。一緒に住んで毎日鍛錬した方が効率いいだろ」
「だから、聞いてなかった!? 移動は続けるの!」
「エストは連れて行ってもいいって言うのに、なんで俺はダメなんだよ」
鍋をつつきながら口をとがらせる姿に、エラリオは口元だけ笑みの形にした。
「お前さ、わかっててガキみたいなこと言うなよ」
「うるせー。俺がどんだけ頑張ったと思ってるんだよ。渓谷に落ちそうになっても、危うく拾い上げてもらえないかもしれなくて、お偉いさんには叱られるし、給料は減らされるし」
「は? どうしてそう……やると思ったことをしでかしてるのかな? こっちは信頼して綱渡りの日々を過ごしてたっていうのに」
「戻ってきたなら早く知らせろってんだ」
「そうもいかなかったんだよ」
「わかってるけど、わかりたくねー!」
「駄々っ子か!!」
ぎゃいぎゃいと下らない応酬をする二人の声をエストは不思議な心地で聴いていた。あんなに頼りになる大人だと思っていたエラリオが、レンドール相手だと普通の少年のような雰囲気になる。
お腹がいっぱいで、温かくて、もうこの時間がずっと続くような……そんな気分になっていた。
うるさいなと思いながら、口元がほころんでいる。
やがて膝の前で組んでいたエストの手が、外れて落ちた。
気づいたエラリオが、エストをそっと横たえて毛布を掛けてやる。
レンドールは立ち上がり、なるべく静かにドアを開けた。
「疲れてるよな。あそこ、俺でもだいぶ消耗したぞ。よく仕込んだよ」
「来なきゃ来ないでもよかったんだけどね」
そうして二人はそっと闇の中へと出ていくのだった。




