5-16 手合わせ
こつんと棒同士がぶつかって、次の瞬間にはもうレンドールは後ろへ飛び退いていた。ただの棒切れが起こす風がレンドールの顔を撫でて、開いたはずの距離はすでにない。ひとつふたつと受け止めて、みっつめが来るタイミングより少し早く反撃する。
ふっと消えるようにして、レンドールの目の前からエラリオがいなくなった。視線で追ったりせずに突き出した棒の軌道を下へと変える。
エラリオは当然受け止めて、さらに絡めとろうと捻りを加え、逃げるレンドールに合わせて踏み込んでくる。
レンドールは引くと見せかけた身体を横へと滑らせた。このタイミングなら、だいたいは後ろを取れる。だが、エラリオはそんなに甘くない。というか、レンドールがエラリオの動きを読めるように、エラリオもレンドールの動きを知り尽くしている。
左のこぶしが横をすり抜けようとしているレンドールの頭に振り下ろされ、レンドールも左腕でそれを受ける。接触の時間は短い。
お互い地を抉る急制動をかけて、まともに切り結んでいく。
エラリオが足を払おうとすれば、レンドールはステップを踏むようにして逆に踏み込み、一撃を狙う。
いなされ、今度はエラリオの突きを紙一重で避けることになる。
お互い、決定打はなかなか出ない。
それは、エストの思うような『軽い手合わせ』ではなかった。
握っているのが剣でないとはいえ、まともに受ければ骨も折れるし、内臓も潰れるかもしれない。並の『士』ならば反射的に受けてしまうであろう角度の攻撃を、避けた上に反撃する軌道まで計算するレンドールは、本当に厄介だとエラリオの口元が緩む。
本人はたぶん、そんなこと考えてもいないのだろうけど。
辺りに薄闇が下りてきて、お互いの動きが見えにくくなる。それでも、黒の瞳はレンドールよりもよく見えているはずだった。
距離を見誤ったのか、疲れからタイミングがずれたのか、レンドールの頬に浅い傷ができる。
続けて薙がれた攻撃を身体を沈めて避けたレンドールに、エラリオはすかさず蹴りを入れようとした。
レンドールはにやりと笑って、片手でそれを受け止める。
「ほんっと、お前、足癖悪いよなぁ!」
そのまま足を持ち上げ突き放す。エラリオの上体が後ろにやや傾いたところへ追撃をかけた。
エラリオの右脇腹を下から突き上げるようにして狙う。左手のガードは少し遅かった。
「……っぐ……!」
クリーンヒットにはならなかったものの、顔を歪めてわずかに前かがみになったエラリオに、レンドールは勢いよく身を起こし、その頭で顎を打った。
ぐらりと崩れ落ちそうになるエラリオを手を伸ばして引き寄せる。
「前回のお返しだ。ばかやろう」
しっかりと抱きとめたレンドールの声がわずかに震えていたのを、梢の上の青鴉だけが聞いていた。
エラリオはすぐに意識を取り戻した。
闇は少し濃くなっていたけれど、レンドールはエラリオを受け止めた姿勢のままだったので、エラリオが意識を失っていたのは本当に少しの間だけだった。
「手加減ないじゃん」
「どっちがだよ」
支えているレンドールを押しやろうとして、エラリオの足元がふらついた。
「肩貸そうか?」
「あー……」
レンドールの腕を掴んだまま少し思案して、エラリオは「それがいいかな」と、レンドールの肩に自ら腕を回す。
歩き始めると、エラリオは小さく笑った。
「ってて……なんか、すごい悔しい気がする」
「なんだよ。負けたの久しぶりか?」
「うん。負けられなかったから」
「くそ。軽く言いやがって……それにも負けんなよ」
レンドールに視線を向けたエラリオは、しばらくじっとレンドールと目を合わせて(この時はレンドールもそうだと感じていた)柔らかく笑った。
「……そうだね」
「マジお上品な顔してるくせに、やることは意外とえげつないんだよなぁ。それで? 話は?」
「あとで。もう少し確認したいことがある」
「確認?」
エラリオはただ頷いた。
小屋に着くころには星も瞬きだし、漏れる明かりにひらひらと集まる虫もいる。
エラリオを抱えたままでは上手く扉を開けられなくて、レンドールは足でノックした。
「エスト、開けてくれ」
怪訝そうな顔でガタガタとドアを開けたエストは、レンドールが抱えたエラリオを見て顔色を変えた。
「エラリオ!? ……なんで!?」
反射的にか、レンドールを見上げるエストの瞳に恨みがこもる。
と、がくりとエラリオの膝から力が抜けた。レンドールもバランスを崩しそうになって、慌ててしっかりと力を入れる。
「エ……スト」
囁くように呼ばれて、エストはハッとしたようにエラリオに手を貸した。
「少し休めば……大丈夫だから。前回、レンが意識を失ったほどでは、ないよ」
その言葉に、エストはもう一度レンドールに目を向ける。今度は少し困ったような顔をしていた。
毛布の敷かれた場所にエラリオを座らせると、彼は壁に背を預けて一息ついた。
「どこか痛む? 見せて」
「大丈夫だって。でも、そうだな。そこの荷物に薬が入ってるから、取ってくれる?」
部屋の隅にある鞄を指差してから、エラリオはレンドールへと視線を向けた。
「……どちらかというと、手当てがいるのはレンだと思うけど」
「……あ?」
鞄に手をかけたまま振り返ったエストは、そこでようやくレンの頬の傷に気が付いた。
「いらねーよ。もう血も止まってる」
ぐいと手の甲で固まった血の跡を拭って、小さく聞こえた遠吠えに反応して踵を返した。
「ちょっと辺りを見てくる」
エストが止める間もなく、レンドールは外へ出てしまう。エラリオは小さく笑っていた。
取り出した薬の包みを開いて、水筒と一緒にエラリオに差し出す。それはエラリオの調子が悪い時にいつも飲んでいた薬だった。熱さましのような効能があるらしいけれど、他人に処方したことはない。
「調子、悪いの?」
エラリオはやんわりと首を振った。
「ほとんど気休めだよ。でも、飲んだら効く気がするだろ」
「倒れるまでやらなくても。本気じゃないようなこと言っておいて……!」
「ちゃんと話せる程度だよ」
「……それは……そう、かも、だけど」
前回も今回も、血を流しているのはレンドールだ。一方的にやられたわけではないと、エストだってわかっているつもりだった。
「エスト。レンは彼が自分で思っているより強いんだ。ちゃんと集中してごちゃごちゃ考えなければ、俺よりずっと。視えてたって互角止まりで、だから手は抜けない。レンが手加減してたら、そのうちケガじゃすまなくなる。でも彼は優しいから、今回だって一瞬意識を失った俺を倒れないように抱きとめてた。余計なケガを負わせないように。まったく。俺が魔物に飲まれていたら、格好の餌食だよ?」
小さく肩をすくめるエラリオを見て、エストはきゅっと口を引き結んだ。
言われた光景が彼女の目に浮かぶ。確かに、レンドールはそうするだろうと思えた。思えてしまうのが意外で、眉間に力が入っていた。
「……だから、あまり心配しないで。これは俺が望んでることでもあるから」
エラリオは手を伸ばして、しかめ面になっているエストの頭にぽんと乗せる。
「お腹空いただろ? 盛ってくれないか。先に食べてしまおう」
だからエストは、そういたずらっぽく笑ったエラリオに頷いて、鍋のそばに置いてある荒削りの木の器を手に取った。




