5-10 夜の少年たち
暗くなってからも、大通りには結構な人が行き交っている。
好き勝手に進む人の間を縫って歩くのは確かに得意ではないと、エストはマントの合わせの辺りを握りしめた。
(だ、誰も見てない。暗いし。髪の色も目立たない、はず)
常に追われる身だったエストは、人に囲まれているとどうにも落ち着かない。人の流れにうまく乗れず、あるいは流されるままにしか動けなかったりする。
王都ではだいぶ慣れたと思っていたのだけど、それは人々がゆったりと歩いていたからかもしれない。
レンドールの背中が割り込んできた人物の背中で見えなくなって、エストは思わず足を止めた。
後ろからすぐ脇を通り抜ける男が小さく舌打ちをしていく。
俯いて、小さく息をついたエストの目の前に、小豆色の袖から伸びる手が差し出された。
「掴まれよ」
「え。だ、大丈夫」
「嫌かもしんねーけど、路地からガキ覗いてるし、格好の餌食にされるぞ。ベルトでもいいや。掴まっとけ。『士』の連れ合いだとアピールすんだよ」
建物と建物の間は闇が濃くなっている。そこから覗く子供と目が合うと、彼らはふいと目を逸らして闇に溶けていった。
彼らは逞しく生きているのだろうけど、今騒動に巻き込まれたくもない。
エストはレンドールのベルトに手を伸ばそうとして、そうしてレンドールの後ろをよちよち歩く自分の姿を想像してしまった。
(こ、子供じゃないんだから!)
迷った手は、思ったよりも勢いよくレンドールの手のひらに当たって、音を立てた。
あ、と思っても言い訳するほどのことでもなくて、何よりレンドールは気にした様子もなく、すぐにその手を軽く握った。
酒のせいか、その手が熱を持っている。治療のために何度も触れた場所なのに、エストはなんだか落ち着かない気分になった。
踵を返したレンドールに手を引かれ、少し後ろをついていく。割り込む人がいなくなって、前から来た人は自然に二人を避けている。それだけで格段に歩きやすい。ただ黙って足を進めているだけなのに、手のひらの熱がエストの苦手意識も溶かしてくれるような気がした。
周囲を見回しながら歩く余裕も出てきたエストは、揚げ菓子の屋台の前まで来て、ふと大事なことに気が付いた。
「…………! レ、レン! 包帯はどうしたの?」
「は? 今?」
中央を出る時には巻いていたはずの包帯がなくなっている。直接伝わる熱と傷の感触にどうして気付かなかったのか。
「シエルバ止めた時に、ほどけちまったから取った。おじさん、そっちの小さいの詰めて」
一口サイズの球状の生地を揚げたものに砂糖がまぶされているものを頼んで、紙袋を受け取ると、レンドールはすぐに歩き出す。
「取ったって……」
「片手じゃ巻きにくいし、めんどくせぇ。揚げたての方が旨いから、さっさと宿に戻るぞ」
エストは引かれるがままついて行くが、一度気付いてしまったら気になって仕方がない。
「宿に着いたら直すから! ねえ、もう離して」
エストが手を離そうとしても、レンドールの方がしっかり握っているので、無理に引き抜けば傷に障りそうでそれもできない。
「わかったよ。もう少しだからそんなに嫌がらんでも……」
そうじゃなくて、と喉まで出かかった言葉をエストは飲み込んだ。レンドールも足を止める。
二人の前に、数人の子供たちが道を塞ぐようにして立っていた。屋台がなくなり、いくつかの通りが交差する場所だ。
レンドールは、エストを自分の真後ろに隠すように繋いだ手に力を込めて引く。「後ろも気をつけとけよ」と、囁き声で注意を促すのも忘れない。
「どうした? なんかあったのか?」
レンドールはひとまず『士』として子供たちと対する。子供たちは目配せしあって、真ん中の一番背の高い少年が口を開いた。
「アンタ、この町の『士』じゃないよな」
「そうだな。ここにはちょっと寄っただけだ」
「じゃあ、すぐ出て行くのか?」
「まあ、明日には出ようと思ってるけど?」
子供たちの意図が掴めなくて、レンドールは少し首を傾げつつも素直に答える。
「どこに泊まってんの」
「……なんでそんなこと聞くんだよ」
さすがに警戒の色を濃くして、レンドールは口元だけで笑った。
少年はレンドールの後ろのエストに指をさす。
「その人も『士』なの?」
「いや。彼女は俺の依頼人。悪戯するんじゃねーぞ? 町の『士』に突き出されたくなきゃな」
少年はフッと鼻で笑った。
その様子に、レンドールはもう一段警戒を強める。少年だけじゃなく、少女もいる。武器を持ってもいない。全員で飛び掛かられてもどうにでもできる。けれど。
「おねーさんに用はないから、大丈夫だよ」
もう一度、全員で目配せしあうと、少年たちはレンドールに飛びついた。
一人は腰に取りつき、二人ずつで両腕を掴まれる。
「はぁ? おい、何を」
「……きゃ……」
子供たちにエストの手を離され、小さく聞こえた声にレンドールは首をひねって振り返った。
「エス……ト?」
エストにも、数人の子供がまとわりついていた。彼女にはご丁寧に少女だけ。くすくす笑っている子供たちは、危害を加えたり荷物に手を伸ばす様子はなく、動きを封じているだけだ。子供の悪ふざけの範疇を越えていなくて、それでもそうする理由が解らなくて、レンドールは困惑する。
「アンタ、レンドールだろ」
「……は?」
気付けば、レンドールに話しかけていた少年が皮の小袋の中を覗いていた。
「あっ。それ!」
自分の腰を確かめて、そこに吊るしていた小袋が無くなっているのを確認すると、レンドールは眉を吊り上げた。両腕を抑え込んでいる子供たちを振り払おうとして、少年の次の行動に意表を突かれる。
「盗らねーよ。確認しただけだ」
力を入れようとした手に小袋を返されて、レンドールはだいぶ間抜けな顔をしたらしい。少年は楽しそうに笑った。
「ちょっとうちに来てくれよ。水の一杯も出せねーけど」
両腕をぐいぐいと引っ張られて、訳もわからぬまま、レンドールとエストは子供たちに連れ去られることになったのだった。




