5-8 噂
次の日の朝、二人は王都の北側にある門へと向かった。
騎獣となるシエルバは王都への乗り入れが禁止されているため、北門の外側に貸騎獣の出張所が設けられているのだ。北東に少し行ったところに町もあるのだが、その先は湖で船での移動が主なため、当然、騎獣の飼育は盛んではない。ここで選べるのは、王都の西にある牧場で飼育されたシエルバがほとんどだった。
ちなみに、北以外は隣接した町があるため、町の貸騎獣屋を利用することになる。
レンドールは北西のマナンティアに向かおうか、それとも北のプラデラに向かおうか少し迷っていた。
エストの話だと、エラリオは渓谷沿いに北へ向かうという話だったけれど、徒歩で急ぐでもなく進むなら、そう距離は稼げないだろう。シエルバで起伏の少ない土地を駆け抜けて先回りし、南下していく方が追うより楽かもしれない。
並んだシエルバを選ぶのに困惑気味にしているエストを見て、やっぱりそうしようとレンドールは決めた。
「何迷ってるんだよ。乗れるんだろ?」
「練習はしたけど……エラリオと一緒だと使うことはなかったから、何を基準に選べばいいのか判らなくて……」
「……そうか。盲目を装ってるなら、一人では乗れないのか。二人乗りにしてたのか?」
「と、いうか、シエルバが怯えて歩かなくなったりするから……」
「怯えて?」
エストは小さく肩を竦めてみせる。
「一見ただ大人しくなる感じなんだけど、反応が遅くなったり、硬くなったりするらしいの……ストレスかけるの可哀想だし、そこまで急ぐ必要はなかったのもあって、使う機会が、ね」
レンドールが、なんとなくアロと彼に対峙した動物たちのことを思い出している間に、エストは手近にいたシエルバに決めて鞍を乗せていた。
練習したというだけあって、慎重ではあるけれど迷いはない。身軽に背にまたがる姿は様になっていた。
「おまたせ……何?」
「ああ……いや、エラリオはやっぱ細かいことまで教えてんだなって……」
うっかりじっと見ていたことに気付いて、レンドールは自分の乗るシエルバも手早く用意する。不自然ではなかっただろうかと少し心拍数が上がっていたが、顔には出さないように気をつけた。
(初心者が背に乗るまで見守ってるのは……おかしくない、よな?)
「しばらくゆっくり行こう。慣れてきたらスピードを上げればいい」
人の歩く速度くらいでゆっくりと先行すれば、エストも程なくして並んだ。特に問題は無いようなのでそのまま進んでいく。王都の大きな門が見えなくなった頃、二人は小型の獣車とすれ違った。やや急ぎ気味の客室の窓からクリーム色の法衣と白い面が見えた。
ふと思い出したように、エストがレンドールを振り返る。
「ねえ。聞いた噂って何? あの『司』と関係あるの?」
通り過ぎた獣車を振り返っていたレンドールは「ああ」と、訓練場で耳にした話を思い出す。
「巫女が、倒れたって。ほら、飴屋で亡くなった婆ちゃんの話をしてただろ? あれ、巫女老の婆ちゃんでさ。次の人選とかもちょっと難航してるらしくて」
「巫女老!?」
それが、この国にとって重要な人たちだというのはエストでも知っていた。
レンドールのあまりにも気安い態度に、エストは小さく息を吐き出す。得体のしれない『司』は怖いが、その人や巫女の世話役を近所の住人のように話すレンドールも大概ではないか。と。
呆れた雰囲気を察して、レンドールは声のトーンを落とす。
「……えっと、そう。まだ三人いるはずだから……すぐにどうこうはないはずだけど、今の巫女は少し体が弱いらしくて。大きな預言の後には、しばらく寝込んだりしてたんだそうだ」
当時も、ラーロが体調を気遣うようなことを言っていた気もする。エラリオを早く追いたくて、レンドールはあまり気に留めていなかったのだけれど。
「俺はさ、元々あんまり信心深い方でもねーし、政治にも興味ねえけど、ラーロは巫女老や王と下っ端を繋いでるなんて言われてたし、大変なんじゃねーかなって。そんな時だから、エラリオのことも俺に預ける気になったのかもしんねーって」
「忙しくて手が回らないから、いいように使おうってことね」
「そういう言い方すんなよ。そうかもしんねーけど、頼んだのは俺だし」
話している間にエストの騎獣が少し前に出た。レンドールは遅れないようにと並ばせる。
「だいたい、エラリオを退治しちゃおうとしてる人でしょ? なんでそんな庇うようなこと言うのよ」
「別に庇ってるわけじゃねーって。忘れたのか? 俺は護国士だ。アイツは国を動かしてるお偉いさんで、直接じゃなくても俺の上司なの。国に危険が迫ってるなら、対応取るのは当たり前だろ」
「それで、斬れと言われたら斬るの?」
前を睨みつけるようにしているエストの騎獣は、レンドールから逃げるようにまたスピードを上げる。
「斬らなきゃいけなくなったら、斬るさ。でも、その前にやれることはやる」
レンドールもまた追い上げるように脚を速めると、並ばれるのを拒否するようにエストの騎獣は駆けた。
「エスト! 個人的な好き嫌いと、仕事とは別のものだろ! 少なくともアイツの個人的な要求は断ったぞ? 並びたくないなら離れるから、もう少しゆっくり……」
どんどん速くなる背中を追いながら叫ぶと、エストは困惑したように振り返った。
「……がう」
「なに?」
「違う! 私、走りたいわけじゃ……!」
エストの騎獣が少しだけ振り返って目を細めた。
ピンと来て、レンドールはひとつ息をつく。声の届く範囲でエストの斜め後ろにピタリと付けて、頭の中で地図を開いた。
「エスト、止められるか?」
エストは手綱を引いて騎獣を止めようとするものの、ややスピードが落ちたくらいで止まる様子はない。
「だ、だめ、かも」
「もう少し速くなっても大丈夫か? ちょっと試したい」
「それは、大丈夫。だけど……」
レンドールはシエルバの腹を蹴ってスピードを上げた。エストのシエルバを追い越そうとしたところで、また先に行かれる。
少し下がってまた先ほどと同じ位置につければ、それ以上スピードは上がらない。
「……どうやら、負けず嫌いで初心者を舐め切ってるヤツに当たったらしい。振り落とすほどの悪意はないようだが……こっちの意思で止まってくれないのは困る。しばらく走ってる分には問題ないよな?」
「うん……この道まっすぐ、だよね? このまま先に行けばいい?」
「もう少し行ったら、俺は離れる」
「え!?」
「離れたら、止まれるなら止まれ。たぶん、止まってはくれないだろうから、そうしたら落とせるところまでスピードを落として行け」
「レ、レンは?」
「先で合流する」
「先?」
「ちゃんと合流するから心配すんな」
しばらくそうして様子を見ていたレンドールは、宣言通りエストから離れ、横道へと逸れて行った。




