5-4 本心
「国を護る気があるのなら、さっさと魔物を退治してくださいね」
はぁ、と溜息をこぼすラーロに、レンドールは緩く首を振る。
「俺はそんなに大それた人間じゃないから、国を構成する『人』をできるだけ守ってやるだけだ。無駄な犠牲は出さない。魔物に浸食されるのを止める。俺が親友を取り返すことが、結果的に国を護ることにも繋がるだろうから、そこは頑張る。まあ、最悪、一緒に渓谷に飛び込めば何とかなりそうだから? それ以外のことはあんたに任せるよ。なんか出来るんだろ?」
ラーロは嫌そうに表情を歪めた。
「そこそこ大層なことを言ってますよ? 直接的な力はあちらが上なので、ねじ伏せるのは難しいです。が、あの力はどうにかして利用したいですから、安易に飛び降りるのはやめてくれませんか」
「なんだよ。危険とか言っといて、自分は利用する気満々なのかよ」
ムッとしたレンドールにラーロは冷ややかに笑う。
「こちらにも、いろいろありますのでね。あなたが上手くやれば良し。そのために待ってあげるんです。その首を切って届けてもらえれば一番楽なんですけどね」
「嫌だね」
「言うと思いました。彼がまがりなりにも正気を保っているらしい理由も気になりますし、しばらくはあなたに預けます。飛び降りる前には相談してください」
そのままドアへ向かうラーロの背中をレンドールは視線で追っていく。
「ラーロ」
その手がドアノブにかかったところで、呼び止めた。
ラーロは足を止めて僅かに振り返る。
「『魔物』のこと、よく知ってるんだな」
「ええ。因縁の相手ですから」
「神様の?」
スッと吸い込まれた息は、しばらく吐き出されなかった。
「……当然です。変なことを聞かないでください」
速やかにドアを開いて、ラーロはその向こうに消えた。
レンドールは天井を見上げてみる。怒りに震えたラーロは、何を見上げたのだろう。
彼は普通の『司』とは違う。その異様な力をレンドールには隠そうとせずに見せつけるのも、いつでも口を封じられるという脅しなのかもしれないけれど。
先ほどのあれは近しかったものに向けられた怒りだ。得体のしれない何かが発するよくわからない力ではなく、自分や、その辺を歩いている通行人も知っている、ごくごく『普通』の感情。
だからだろうか。未知の能力は恐ろしいけれど、ラーロ自身を恐ろしいと感じることはあまりない。拗ねて、怒って、褒められたがる子供のような……
(でも、ガキじゃねーんだろうな……)
六年経っても変わらぬ姿は、それより前も変わらなかったのだろう。
いったい、どのくらい?
しばらく考えてみたものの、結局、見たままの少年ラーロしか想像できなくて、レンドールはそのままベッドに倒れ込んだ。
ラーロが何歳であろうと、彼は政府の役人で、レンドールは一介の護国士という立場に変わりはない。レンドールがやりたいことも出来ることも、何一つ。
国の行く末を決めるのは王と政府なのだから、自分が何を知ろうと……と、眠ろうとしたものの、揺れる銀の瞳がちらついて、結局空が白み始めてからようやく意識を閉じたのだった。
◇ ◇ ◇
いつもの時間に、エストは目覚めた。
少々寝足りなくて寝返りを打ってみて、そういえば、と、跳ね起きた。
部屋の中は静かで、他に気配はない。当たり前のことがエストを不安にさせる。
「……レン……?」
遠慮がちな呼び声に応える者はなく、昨夜彼が座り込んでいた場所にも誰もいない。ドアは閉まっていて、寝惚けたエストを笑っていそうだった。もしやと思った書置きも無く、そわそわと支度を整える。何事もなかったので部屋に戻っている可能性も高いと思うものの、レンドールならエストが目覚めるまで待っていそうな気もした。
何事かあったのなら、と指先が冷える。
昨日会った『司』は怖かった。どこか体の奥底が凍えるような心地がした。レンドールはずいぶん気安く声をかけていたけれど、それが、彼の興味をエストから引き離すためだったとしたら……いや。そうなのだろう。自らの体で、すぐに視線も遮ってくれた。法衣からもだいぶ上の役職だろうに、ある意味とてもレンドールらしい。
ついでにその『司』がレンドールの左手首の傷をなぞる手つきを思い出して、エストはきゅっと口を結んだ。
権威と力を持つ上級職の縛りに、逆らえる者などいない。助けようと伸ばした手だから、撃たれたのだ。
物事がきちんと見えていれば、こんなに単純なことなのに。黒の瞳でもそれを視ようとはしなかった。あの時、エストの世界にはエラリオだけだったから。
(ちゃんと説明しないレンもレンだけど!)
まだどこか認めたくなくて、エストは心の中で悪態をつく。
レンドールが言った通り、知っていたからといって、現状が何か変わるわけでもないのだから。
いつもレンドールが朝食に誘いに来る時間になっても静かなままで、エストはそれ以上待ちきれずにレンドールの部屋のドアをノックした。
……返事はない。またどこかへ出かけているのかとドアの内側を窺って、そんなはずはないともう一度ノックする。
「レン! いないの?」
低く呻くような声がした気がして、エストはドアノブに手をかけた。鍵はかかっておらず、簡単にそれは開いた。迷わず部屋に入り込めば、ベッドの上に倒れ込んでいるレンドールが見える。
「レン!?」
駆け寄って、怪我がないかざっと確かめる。それでもまだ開かぬ瞳に肩を揺すった。
「何かあったの? しっかり……」
肩に触れたエストの手をレンドールが掴む。思っていたよりはしっかりとした力に、エストは少しだけほっとした。
「……朝……?」
「そう。朝。ねえ、昨夜……」
「……ゆうべ……?」
薄く開いた瞼に、口元をほころばせて、レンドールはエストの顔に手を伸ばした。反射的に離れようとしたエストは、けれど反対の手を掴まれたままで離れられない。幼い頃、実母に目を抉られようとしたトラウマは、今でも顔に伸ばされる手を怖いと思わせていた。ぎゅっと瞑った目の横を指先が掠めて、こぼれ落ちる髪を掬うように梳いていく。何度か優しく繰り返され、怖いのとは違う動悸がし始めた。やがて深くまで差し込まれた手は、エストの後頭部を撫でるようにしながら引き寄せる。
「えっ……あの……」
慌てて開いた瞳は、間近でレンドールの明るいオレンジの瞳を覗き込むことになった。ぼんやりと焦点の合っていない目は、それでも陽の光のような彼の明るい性格を表すように、まっすぐとエストの瞳を見つめて、ふと引き寄せる力を緩める。
「……えら、りお?」
疑問に呟かれたレンドールの吐息が感じられる距離に、エストは固まって動けない。僅かに苛立った声が続いた。
「……なんで取り換えたんだよ」
その瞬間、どこからそんな力が出たのか、エストはレンドールを引き剥がすようにして身を引き、その拘束から逃れた。ベッドから転がり落ちるレンドールが怪我をしているかも、とはもう考えもしなかった。
レンドールはおそらく寝惚けていたのだろう。でも、だからこそ、その言葉は本心だと解る。幼かったとはいえ、エラリオが黒の瞳の力に蝕まれる日を憂えたことがなかったわけではない。解っているからこそ、胸の奥が痛んだ。
エストがレンドールを恨んでいたように、レンドールもエストのことを恨んでいるのだ。と。




