4-18 エストの選択
地面に伏して動かなくなったレンドールを、エラリオは少しの間肩で息をしながら見ていた。
それから振り返ってエストの前までやってくる。
エストは動けなかった。
先ほどと同じように、エラリオが手を差し出してくる。
「エスト。一緒に行くかい」
「い、行き、たい」
でも、エストはエラリオの手を握る気になれなかった。動かないレンドールに視線を移せば、エラリオも一度振り返った。
黒の瞳に映るレンドールは、ちゃんと呼吸していた。死んでいるわけではないとわかってホッとする。
「レンは丈夫だから、あの程度なんともないよ。それとも、とどめを刺しておくかい?」
「え!? い、いい」
エストがぶんぶんと首を振れば、エラリオは少しおかしそうに笑った。
「ずいぶん仲良くなったんだね。あんなに嫌ってたのに」
「今も嫌い……だけど……」
「エストを護るんだろ」とエラリオを叱ってくれたレンドールの背中は、剣を握っていてももう怖くなかった。
「もう少し知りたくなった?」
「そんなことも、ないけど……」
エラリオは「そう」、と笑いながら差し出した手を引っ込めた。
「エラリオ……どうして。どうしてレンと……」
「先に包帯はあるかな? この模様、落ち着かないだろ?」
エストが包帯を渡せば、エラリオは手慣れた様子でそれを目元に巻いていく。
「レンが来てくれて本当に助かったんだ。だいぶ落ち着いた。無理をして待ってて良かった」
「でも、だって」
「レンはめげないから大丈夫。わかるだろう? 彼はひとりでも俺を追ってくれるし、こうして何度かぶつかれば、動物たちを手にかける数も減りそうだ。だけど……火がつく前には戻りそうにない。それは、遅いか早いかだけの違いで、やがて俺は飲み込まれてしまうのだろう。だから、エスト。君は選ばないと」
何を、と問わなくても本当は解っているはずだった。
いつかこういう日が来ることも。こういう日が来た時に選べる道が少ないということも。
「俺と来て、俺が飲み込まれる前に俺の心臓を止めるか、俺を忘れて、静かに暮らしていくか」
どちらも、選びたくない選択だった。
そして、それを提示されてエストは気付く。レンドールがエラリオを追いかける選択をしたわけを。
「……私にはできない」
「そうだろうね」
エラリオはからりと笑った。
「レンを許さなくてもいいよ。でも、頼まれたら協力してやって。俺のために。少しでも長く、俺の正気が保たれるように」
ほろりと、エストの頬を涙が伝う。エラリオは少し困った顔をしながら、彼女を抱きしめた。
「レンが俺を追ってくれるうちは、まだしばらく大丈夫だよ。だから、彼に伝えて。もっと強くなってって」
温かい抱擁が解かれると、エラリオは踵を返した。山の奥へと向かう歩みはレンドールの傍でも立ち止まらなかった。
「エラリオ……!」
エストは思わず後を追ったものの、倒れているレンドールに意識が向いた。その左手からはまだ出血が続いているのか、血だまりができかけている。小さな迷いはエラリオとの距離を開かせ、結局、その背中を見送ることになったのだった。
◇ ◇ ◇
口の中に異様な青臭さを感じて、レンドールは思わずむせた。
いくらかを飲み込んでしまい、まだ口に残る液体を身を起こして吐き出す。急激な動きに頭が痛んで、自分が吐き出したものの上に倒れ込むところだった。
それを半ば力ずくで引き戻す手があった。
弾力のある感触が後頭部に触れ、視界に入り込んでいた草むらとのイメージの違いに少しばかり混乱する。しっかりと意識を引き戻して見上げれば、胸のふくらみの向こうに仏頂面をしたエストの顔があった。
「う、わあ!」
レンドールは飛び起きて、またズキンと頭が痛んでうずくまる。エラリオの蹴りをまともにくらったんだったと、記憶の方も戻ってきた。
エラリオ、と振り返って辺りを見渡す。
そこはもうただの静かな草原で、エストが正座しながら何かを握っていた。
レンドールは口の周りを拭おうとして、左手に包帯が巻かれていることに気付く。反対の手で拭えば、濃い緑色の液体が手についた。
「……失礼ね。それだけ動けるなら大丈夫そうだけど、もう少し休んでた方がいいと思う」
「な、なに飲ませたんだよ」
「万能草の汁。煎じた方がいいんだけど、応急処置としては問題ないから」
エストが握っているのはチュニアの詰まった布だったようだ。その手も緑色に染まっていた。
左手に視線を落として、レンドールは気まずそうに言う。
「行かなかったんだな……」
「ケガ人を放っておけなかっただけ。エラリオは待っててくれなかったから……」
「……そうか」
陰ったエストの瞳を見れば、本当は一緒に行きたかったのだとわかる。
ふがいない、とレンドールは息を吐いた。
エラリオが去ったであろう山の奥の方を向いて、エストに訊く。
「まだ追いつける。行くなら――」
じっとレンドールを見上げて、エストも小さく息を吐いた。
「……もっと強くなれって」
「え?」
「レンが来てくれたから、しばらくもつって。だから、体調は万全にして。どうしてそっちだと思ったの?」
「まだ人間を襲わないだけの理性は残ってるようだったから、里の方へは足を向けないだろうって」
エストはほっと頷いた。
「あなたもそう感じたのなら、嘘じゃないのね……私、エラリオに剣を教わったけど、あんな姿は初めて見たから……手加減してなんて言えなくなった。だから、手加減できるくらい強くなって欲しいし、できるなら……エラリオを助けて……そのためなら、私も協力するから……!」
必死な青い瞳がレンドールを見つめる。
言うほど簡単なことではないし、助ける方法などあるのかレンドールにはわからない。けれど、それはレンドールの中に初めからあるものだったので、答えには迷わなかった。
「俺はずっとそのつもりだ」
エストの中にあった崖の上で手を差し出すレンドールの姿は、もう突き落とすものではなくなった。助けるために伸ばしたのだと信じられる。そして、レンドールが二度とエストに剣を向けないということも、どうしてかストンと腑に落ちた。
黒い瞳に映った、エストを庇うように立ち塞がったレンドールが、あまりにも真直ぐだったからなのか……エストにもよくわからないのだけれど。




