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白の神、黒の魔物  作者: ながる
再会の章

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4-15 揺れる想い

 音を立てて個室に籠もり、エストはそのままドアに背をもたせかけた。

 とてもその場にいられないほど、動揺している自分が不思議だった。

 「夕焼け色」とは、よく言われていたし、「色の抜けかけ」と言われるよりは、褒め言葉として捉えることにしている。だから、リンセの発言を不快に思ったわけではない。


『朝焼けの色だろ』


 レンドールの声をもう一度再現して、エストは顔が熱くなるのを感じた。思わず顔を覆う。

 昔、エラリオがそう評してくれたのがとても嬉しかった。これから明るくなる。エラリオとの生活が新しくここから始まるのだと、そういう前向きな意味も含まれているようで。

 出会う人々に「夕焼け色」と言われるようになると、エラリオの言葉は唯一無二の宝物のようにも感じた。

 それを、どうして。

 どうしてそんなに当たり前のことのように。


 レンドールはエストの事情など知るわけがない。エストがレンドールの傷痕の理由を知れないように、エストの機嫌を取ろうとして言ったのではないことは判ってしまう。

 ……というか、最初の土下座を除けば、彼がエストの機嫌を取ろうなんて態度だったことはない。そうするのは無駄だと思っている節さえある。この短い同行期間でも、レンドールが真直ぐな人間だと認めるには充分だった。しかし、それを認めてしまうには、エストはまだ若く、意固地なところがあって、何よりレンドールはエストに剣を向けた悪者だった。

 背をドアに預けたまま、ずるずると屈みこんで、エストは心の揺らぎを無理やり怒りに変換した。


レン(アンタ)がエラリオと同じことを言わないで……!)


 エストはまだ気付いていない。どうして恨んでいるはずの相手に、これほど心を揺らされるのかを。




 どうにか気持ちを鎮めて席に戻れば、微妙な空気だった。リンセの前に酒瓶が増えていて、レンドールはエストに気付くと立ち上がる。


「もういいか。よければ帰るぞ」

「……勝手に帰るから、飲んでればいいじゃない」

「明日は山の中を移動するし、あの辛そうな玉の作り方も教えてもらいたいし」

「あ……」


 そういえば、そういう話だったと思い出す。


「じゃあな、リンセ。また、そのうち」

「おぅ」


 リンセは片手を上げながら反対の手で酒を注いでいた。


「……あっさりしてるのね」

「それぞれやることがあるんだから、こんなもんだろ。それよか、レシピみたいなのあんのか? 俺一人でも作れそう?」

「作り方のメモはあるわ。でも、ちょっとコツがいるから、一度一緒に作った方がいいかも」

「……そうか。うん。まあ……頼む」


 レンドールらしからぬ、少しそわそわとした殊勝な態度にエストは疑問を感じたけれど、宿に戻ってレンドールの部屋で作業している間は普段通りだった。

 自分の勘違いだったのかと、見本の一つを作り上げ、二つ目も出来上がったところで、もたついているレンドールの指先にもどかしくなった。つい、手が出る。


「やりづらかったら、もう一回り大きくすればいいわ。外を固めるための蜜の量は全体に均等になるようにした方がいいけど、そこまで気にしなくてもいいから」


 触れた指先に驚いたようにレンドールが顔を上げる。


「えっ」

「……え?」


 驚き声にエストも反応して顔を上げれば、レンドールがのけ反るようにして身を引いたところだった。思わずエストは後ろを振り返ったけれど、特に何があるわけでもない。


「……何よ」

「なにって……」


 一瞬、目が泳いだレンドールだったが、次の瞬間には立ち上がってエストの腕を掴んだ。


「もういい。作り方はわかったから、部屋に戻れ」

「え。でも、たくさん作るんじゃないの? 私の方が慣れてて早いし、少し手伝って――」

「いいって! 落ち着かねぇ!」


 言いながらエストは部屋から追い出されてしまう。

 エストはしばらくポカンとしていたが、だんだん腹が立ってきた。

 部屋に戻って枕に八つ当たりする。


(何よあれ。教えろって言ったのはあっちなのに!)


 部屋に入る時も、そういえば少し渋っていたなと思い出して、エストはもやもやしたままベッドにごろりと横たわった。その感覚には覚えがある。

 もう忘れかけていたけれど、エラリオに出会う前、母と暮らした村人たちの反応を思い出していた。エストが思いがけず傍にいたとき、誰かの家に行かなければならなかったとき、彼らは同じような態度だった。

 それを思い出してしまえば、胸の片隅がちくりと痛んだ。レンドールの態度のあれこれに心が波立ったのは、あの頃の自分を知っているはずの彼が、そういう得体のしれないものを相手するような態度ではなかったからだ。青い(エラリオの)瞳になってから出会う人々と同じ、普通の人間として扱ってくれていたから。


 手元を見ながらの細かい作業で、思いがけず距離が近くなっていたのはそうだけれど、レンドールだって、滝のところではもっと距離が近かったのに。

 腹立たしいのか、哀しいのか、諦めの気持ちもあって、どの感情が一番強いのかエストはわからなくなった。だから、とりあえず口にする。


「やっぱり、嫌い……!」


 次の朝、前日と同じ時間に朝食に誘いに来たレンドールは、そんなことなかったかのようだった。エストとしてはさらに面白くない。不機嫌に睨まれて、レンドールは首を傾げながら頭を掻いた。


「……なんか、機嫌悪そうだけど……エラリオがどうしてるのか、それだけでも聞きたいんだけど……」


 雷だの、髪の色の話だの、昨夜の一幕もあって、エストは落ち着いてエラリオの視界を覗けていなかった。彼を追うのに必要なことだと解っているのに、すっかり忘れていたことが恥ずかしくて、エストはますます不機嫌な顔をしてしまった。


「すぐ行くから、先に行ってて」


 そう誤魔化して、ドアを閉めてしまう。

 レンドールの足音が遠ざかってから、エストはエラリオの視界を覗いてみた。

 ――空が見えた。小さな白い花が、天に首を伸ばすようにして周囲から突き出している。

 寝転がっているんだと、わかった。草むらに寝転がっている。

 咲いているのはチュニアで、エラリオは流れていく雲を眺めていた。

 チュニアの群生地を渡り歩いているのか、同じ場所なのか、エストには判らない。けれど、何故か、不安がよぎった。些細なことに腹を立てている場合ではないかもしれないと、食堂へ急ぐ。

 エストの分もテーブルに運んでくれていたレンドールに、見たものを伝えた。

 レンドールは、じっとエストの青い瞳を見つめながら聞いていた。


「何が心配なんだよ? エラリオはその辺の獣にやられるほど弱くねぇよ。目覚めたばかりだったのかもしれないし」


 そんなことはエストも解っている。


「……移動してないかもしれない」


 レンドールは「それが?」という顔をして少し首を傾げた。


「もしも……エラリオの体調不良が私のせいで加速したのなら、彼の周囲への影響も強くなってるはず。それをわかっていて一つ所に留まるのは……」

「周囲への影響?」


 エストは、眉を寄せたレンドールから視線を外して下を向いた。


「あの力は消費されなければ周囲へも広がっていくの。生き物が凶暴になったり、植物に毒が溜まりやすくなったり……だから、私たちは同じところにあまり長く暮らしていなかった。今回も、あの蛇が凶暴性を増してきた気がしたから、そろそろ移ろうと……」


 短い手紙では、細かな説明はなされていなかった。レンドールの反応が少し怖くて、エストは顔を上げられないでいた。


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