4-14 別れた男
「減るもんじゃないでしょ! 言いなさいよ」
「なんでそんなことにこだわるんだよ」
「それは……」
そこに店主が戻ってきた。洒落っ気もないカップに、なみなみとハーブティーが注がれている。
「ほら、マンサニージャだ。雷もだいぶ遠くなったし、こぼさず飲めるだろう」
エストは少し恥ずかしそうにそれを受け取った。
「『マンサニージャ』って?」
「……鎮静効果のある薬草茶よ」
「薬臭くないやつに蜂蜜も入れといた。飲みやすいから安心しろ」
まとめた荷物もレンドールに渡して、店主はカウンターの向こうへ戻っていく。
一口、二口と飲んで、両手でカップを包み込んだまま、エストは声を落とした。
「私、あなたがエラリオを突き落としたと思ってる」
「……あぁ、そう」
「でも、エラリオは違うって」
ふっとレンドールは笑った。
「……そう」
「どうして出した手を引っ込めたの? あの手が届いていたら……」
窓の外がまた光って、エストは身をすくめる。
「届いていたら、結局俺が斬ることになってたよ。だからって、そんな一か八かを狙ったわけなんかじゃねーけど」
エストは鋭い目でレンドールを睨みつける。
「……じゃあ、やっぱりわざと?」
「だったら、こんな痕残しておくかよ」
「え……? 残して?」
「つまらねーこと気にしてんじゃねーよ。それの意味なんて、どうでもいいだろ。俺の手は届かなかった。それ以上もそれ以下もねーの! 届いてたって、あんたは俺を許さないだろうよ」
「それは……そう、だけど……」
レンドールは袖を引いて傷が見えないよう隠してしまう。
「だろ。それに、俺の言うこと素直に信じられるのかよ? どうせエラリオに追いつくまでなんだ。余計なことに気を回さなくてもいい。落ち着いたんなら行くぞ。宿で枕でも抱いてろ」
「……言い方! 人が歩み寄ろうとしてるのに……!」
レンドールは立ち上がる。
「頼んでねぇ。俺は謝らねえって言ってるだろ。謝って許してもらえることをしたなんて思っちゃいねーからな。その代わり、エラリオに追いつくまではしっかりあんたを守る。そっちが信じようが信じまいが、関係ねぇ」
「だから、もし、私がまた崖から落ちそうになった時に、今度は掴んでもらえると信じたいじゃない」
「崖によるなよ」
「そうじゃなくて!!」
ひとつ息をついて、レンドールはぬるくなった茶を飲み干した。
「終わった話はしねーけど、次があるなら、二度と同じ轍は踏まねぇ。掴もうと思ったら、掴んでみせる」
空になったカップを睨みつけるような真剣な眼差しに、エストはまだ不満もあったのだけれど、それ以上の追及はしなかった。
◇ ◇ ◇
何か抱えてた方がいいだろうと、レンドールはエストに荷物を持たせた。小雨の中、宿に向かえば、その途中で正面から見知った緑色の髪の人物がやってくることに気が付く。その人物もレンドールに気付いた。
「レン? こっちに来るなら、一緒すればよかったな――と。そっちは……?」
小雨など気にする風でもなく、前髪から水滴を滴らせているリンセは足を止めた。
「ああ……いや、あの時は東の方に行くつもりだったんだ。そうしたら、ちょっと、色々あって……」
「いろいろ、ねぇ……」
リンセは、ちょっと身をかがめてエストの顔を覗き込むようにしてから、にやりと笑った。
「こないだのお嬢さんじゃないか。へぇ。若者はいいねぇ」
「そんなんじゃないぞ。護衛の仕事を受けたんだ。ちょうどいい。リンセ、この辺りの情報仕入れたか? 教えてほしいんだが」
「いくつかな。まだちょっと回るところあるから、晩飯でも食いながらならいいぞ」
「ああ、助かる」
「んじゃ、後で、そこの酒場で」
リンセはそう言って、すぐ傍の酒場の看板を指差すと手をひらひらさせながら行ってしまった。
「よし。少し手間が省けるな。というわけだが、どうする? エストは宿でゆっくりしててもいいが」
エストはフードの奥からレンドールを睨み上げた。
「情報はその場で共有するわ。その頃には雷も収まっているだろうし」
「ん。じゃあ、呼びに戻る」
そう決めてエストを宿に置いてから、レンドールはまた買い出しに出て行くのだった。
宿に荷物を置きに戻る頃には雨もやみ、空には夕焼けが広がっていた。この分だと明日の移動には支障がなさそうだと、レンドールは密かに胸を撫で下ろす。
エストを伴って酒場を訪れれば、リンセはすでに杯を傾けていた。
「早いな」
リンセはへへっと笑って、エストに視線を向けた。
「お嬢さんも来たのか。仲がいいねぇ」
「そんなんじゃないわ」
すとんと腰を下ろして、エストが不機嫌に言うので、リンセはおや?という顔をしてレンドールに目で確認する。
「なんつーか……昔のちょっとした知り合いだったみたいで」
「へぇ? なんかまずいことしたのか? レンは年寄りにゃあモテるみたいだが、そういえば若い子からの評判はあんまり聞かねえなぁ」
「そんなとこ。信用無いから、一緒に聞くって」
リンセはカカと笑った。
「んじゃ、酔っぱらってさらに呆れられる前に用事を済ましちまうか。何を聞きたいんだ?」
「周辺の山の様子を。変わったこととか、気になるようなことないか? なんだか少し騒がしい気がしたんだが」
「特に大きな変化は聞いてないが……山に入っていたヤツは、鳥が賑やかだったって言ってたかな。リスをよく見て可愛かった、とか……そういえば?」
「そうか。あと、チュニアの群生地で余所者の噂とかないか」
「万能草? 群生地はいくつかあるが……今のところ不穏な話は聞いてねぇな。なんだ。薬草採取にでも行くのか?」
「いや。ちょっと人探しも兼ねてて……」
「ふぅん? 特徴は?」
レンドールがエストを見れば、彼女はフードを取って手元に視線を落とした。
「……明るい金髪の男性。目には包帯を巻いてる。このマントと同じもの着てるはず」
「見えてねぇのか? そんなんで山の中に?」
「いろいろあるらしい」
口を閉じたエストの後をレンドールが引き継いだ。
「なるほどね。心配ってワケか」
リンセはさらりと流して、通りがかった店員を捕まえた。適当な注文をしてから付け足す。
「手がいるなら、貸すけど」
レンドールはエストと顔を見合わせて、それから首を振った。
「いや。大丈夫だ。ありがとう」
「そうか?」
にやりと笑って、リンセは手元のジョッキを傾けるのだった。
食事の間は男二人がたわいもない話をしていたので、エストは黙って料理を口に運んでいた。酒が進むとリンセの軽口が増える。
「なんだよ、レン。今日は酒進んでないぞ」
「仕事中だって。それに、この間馬鹿みたいに飲んだ後、ごろつきに狙われたからな」
「お。『士』に喧嘩売るバカいたか~。まあ、レンはパッと見、イキったガキに見えるもんな」
「んだと?」
「お嬢さんとはどこの知り合いだよ。こんなかわいい子忘れてたとか、贅沢だぞ、オイ」
エストはわずかに眉を寄せたが、リンセは気付かなかった。レンドールはそれを横目で見つつ、髪をぐしゃりとかき上げる。
「……まだそいつがガキの頃だよ。話したわけでもねーし、気付けって方が無理だろ」
「ん? そうなのか。じゃあ、どうしてわか……ああ、その髪か? 確かに特徴的だもんな。今日の夕焼けの色みてえだ」
「その頃は違う色だったぞ」
「そうなのか?」
リンセにまじまじと眺められて、エストはレンドールを睨みつけた。余計なことは言うなと。
「それに、夕焼けじゃねーよ。それは朝焼けの色だ」
エストとリンセは、少しのあいだ同じようにポカンと口を開けていた。
「は? 変わらねーだろ」
「違うって。これから暗くなるんじゃなくて、明るくなっていく朝の光の色だろ。リンセは朝遅くまで寝てるからよく知らないだけだ」
がたりと、エストは勢いよく立ち上がる。そのままトイレへと大股で向かって行った。
突然の行動に、残された男二人は少しバツの悪い顔を見合わせる。
「怒らせたか?」
「わかんねぇ」
「まあ、うん。お互い女に縁がないのは……こういうとこだな」
反省反省、とリンセは酒のおかわりを追加した。




