4-13 カミナリ
レンドールが取り出したのは、手のひらより少し大きいYの字をした道具だった。二股の先に紐のようなものが渡してある。いわゆる、パチンコと呼ばれるものだ。
「……おもちゃ?」
エストも村で子供が遊んでいるのを見たことがあった。
「弓はかさばるから、獣なんかの気を逸らすとか、木の実を落とすとかするのに使ってる。ガキの頃から使い慣れてるから、ちょっとしたもんなんだぞ」
「……そう」
得意気に言ったレンドールに、エストは胡散臭そうな眼差しを向けるだけだったので、レンドールは肩をすくめて、元のようにベルトに差し込むと先を行く。村や集落に比べて人が多く、普通に歩いていてもエストは遅れがちだった。
「はぐれんなよ?」
「だ、大丈夫」
振り返る回数を増やしつつ、香辛料を手に入れ、次は薬草だと店を出る。ふと陽が陰ったので見上げれば、黒雲が空を覆い始めていた。
「一雨来るかな。ちょっと急ぐか。薬草を選んでもらえば、あとは俺一人でも大丈夫そうだし」
同じように空を見上げたエストは曖昧に頷いた。
レンドールが少し急ぎ足で人を縫って薬草屋の前に辿り着き、振り返ってみればエストの姿が見えなかった。あれ、と、視線を巡らせて、でかい図体の男が三人、壁のように立っているのに気付く。そこまで戻って行くと、案の定エストが足止めをくらわされていた。
「おい。そいつは俺の連れだ。何か問題が?」
「あぁん?」
振り向いた男はレンドールの制服に一瞬だけ声を失ったけれど、すぐにいかつい顔を寄せてきた。
「荷物を掏られたんだよ。フード被ったヤツにな」
「そりゃ災難だったな。だが、俺たちじゃないぞ。他人の物に手を出すほど困っちゃいないんでな」
「どうだかなぁ? 顔を見せろって言ってんだよ!」
フードに手を伸ばされて、エストはびくりと身体をこわばらせた。
レンドールは素早くその手を掴んで、淡々と告げる。
「乱暴しなくても顔くらい見せてやれる。なあ?」
そのまま、人混みの中を見渡した。
エストは、ゆっくりとフードを外す。男たちは身構えながらも睨みつける少女の顔を見て、少し拍子抜けしたようだった。
「ほら、あそこで様子を伺ってる奴がいる。あいつじゃないのか」
レンドールが顎で指した方を見て、「あ!」と一人が走り出した。慌てて路地に飛び込んでいくフードの人物。レンドールが腕を掴んでいた男も、舌打ちをしてその手を振り払い、後を追って行った。
「人混みではそれ、被らない方がいいんじゃないのか」
「うるさいわね! 目立ちたくないの!」
フードを被り直すエストに、レンドールは首を傾げる。
「まあ、目立つ顔かもしれないが、怪しく思われるより良くないか?」
「え? 顔?」
「その瞳の青は綺麗だしな」
にかっと笑ったレンドールと同時に、辺りもまばゆい光に包まれた。エストは小さく悲鳴を上げて飛び上がる。少しして、ゴロゴロと低い音が空気を震わせた。
「おっと、とりあえず店に入るか」
「あ、ちょっと……」
踵を返して駆けだしたレンドールの後をエストは慌てて追いかける。店に駆け込んだところで、雨が降り出した。
店内はかなり暗かった。光に弱い商品が多く、元々薄暗いところにこの雨だ。店の主人はランプを取り出したところだった。
「いらっしゃい。ちょっと待ってな。足元に気をつけて」
レンドールは少し横にずれてエストに先を譲った。棚に並ぶ瓶を見ても、痛み止めに使われるものの名前くらいしかわからない。カウンターの上に置いたランプに灯が入ると、壁に掛けてあるリースや蔓状の植物の影が濃くなって、若干おどろおどろしい雰囲気になった。
フードを被ったままのエストが店主に薬草の名をいくつか告げ、店主は暗い中でもほとんど迷わずに目当てのものを取り出していく。窓の外が一瞬明るくなり、エストが肩を震わせるのが見えた。鳴り響く雷鳴は先ほどより近くなっている。レンドールが窓の外を覗いてみれば、通りにいた人の姿はほとんどなくなっていた。
「通り雨だといいんだがね。時間あるなら、少し休んでいくといい」
店主は種類ごとに袋に詰めながら、そう勧めてくれた。指差された方に目を凝らせば、ベンチが置いてあるようだ。
「甘えさせてもらおう。支払いは俺がするよ。エストは座って――」
レンドールがカウンターに近づいた時、空が光ると同時にドン、と音がして店が揺れた。「きゃあ!」と叫びながらエストがレンドールの腕にしがみつく。
「エラリオ……!」
続けて地響きのような音が窓をビリビリと振るわせていった。
相棒の名で呼ばれて、レンドールは固まってしまった。小刻みに震えている指先は、わかっていて言い間違えたのか、本気で勘違いしているのか判らない。エラリオの言いそうなことを言ってやるべきなのか瞬間だけ迷って、結局いつもの調子になった。
「……残念だが違うぞ」
「え……あっ!」
ぱっとレンドールを見上げて、エストはその手を離しかけた。そこにタイミングを合わせたようにまた空が光る。
「~~~~~~!!」
ぎゅっと目をつぶって、エストの手はまたレンドールの腕を掴み直した。
どうしたものかと、視線を巡らせれば、店主が口元に手を当てて笑いをこらえている。
「雷が通り過ぎるまで座ってな。お茶を淹れてあげよう」
「だってさ」
エストは涙目で、それでもレンドールを睨み上げるようにしながらベンチまでついてきた。店主が湯を沸かすのに席を外していく。雷の音は離れて行っているけれど断続的に光るので、エストはなかなかレンドールの腕を離せないでいた。
「そんなに苦手なんだ。今まではエラリオに?」
「い、家ではクッションとか、枕とか、布団とか、掴める物はいっぱいあるから……!」
「なるほど?」
とは言うものの、だいたいはエラリオにしがみついていたんだろうなとレンドールは推測する。
「……なによ」
「いや。天候によっては無理に進めねぇなと思って」
ぐっと言葉に詰まったエストだが、その通りなので反論もしない。窓から入り込む閃光に、離れようとしていた手にはまた力が入る。その指先がレンドールの稲妻のような傷痕に触れた。
「……あっ。痛……かった……?」
「ん? 何?」
天気を読むのはあまり得意じゃないんだよな、などと考えていたレンドールは、掴んだ指の位置をずらしたエストの手を見下ろす。ギザギザのその痕が目に入っても、まだエストが何を心配したのか解らなかった。
「痛い? ……ああ。その痕が、か? いや。全然。触れても、そこが痛かったことはねぇから心配無用だ」
「え? どういうこと?」
「なんつーか……肩のところから入って、そこから抜けてく感じの」
訝し気に眉を寄せるエストを見て、レンドールは言葉を探す。
「んー。切られたとか、刺されたとかじゃないんだよな。たぶん、雷がそうやって走り抜けたみたいな、そういうものの名残」
「雷が……」
白い光が天から伸びてきて、木々を割り、燃やす。そんな光景をエストは何度か目撃している。それが、腕を走り抜けたら。
レンドールが伸ばした腕を突然引いて抱え込んだ映像も、エストの脳裏に浮かんでいた。
(エラリオの言っていたことが、正しいの?)
「いつ? いつ、そんなことが」
怖さではなく、長年の疑問への答えが得られそうな緊張から、レンドールの腕を掴むエストの手にはまた力が入っていた。
けれど、レンドールはエストからぷいと顔を背けてしまう。
「いつでもいいだろ。話したくねぇ」
レンドールにとっては、真っ黒に塗りつぶしておきたい記憶だった。たかが痛みに屈した自分を情けないと。




