4-12 町へ
翌朝エストは起き出して、一応レンドールの部屋をノックしてみる。
朝、話を聞くと言っていたのに返事はない。ドアに向かって半眼になりながら、いつまで飲んでいたのだろうと腰に手を当てた。
もう一度、強めに扉を叩く。
「レン! 寝てるの?」
声を張り上げれば、階下から宿の主人の声がした。
「あ~。おはようございます~。どうぞ下りてきてください~」
のんびりとした声は、ニコニコと常に笑っているような顔に妙にマッチしている。レンの部屋のドアをもう一度見やってから、エストは言葉に従って階段を下りて行った。
階下では窓の方に寄せてあるテーブルに朝食の準備ができていた。主人がポットを手に「こちらへ」と誘う。
「お連れさん、もう戻ってくるはずですので」
「え? 出掛けてるの?」
それとも帰ってないのかと、エストは眉を寄せる。
「遅れたら先に食べててもいいからと言付かってますので。いやぁ。お二人とも時間に正確で助かります」
カップにお茶を注ぐと、主人は下がっていった。
どうしようかと、エストが窓の外へ目を向けると、レンドールが走ってくるのが見えた。今朝はちゃんと『士』の制服を着ている。
「ちょっと、遅れたか?」
「今準備できたところですよ~」
慌ただしく入ってきたレンドールに、主人は笑ってお茶を注ぎに来る。
「よかった。腹減った~」
トーストを持ち上げ、レンドールはさっそく齧りついた。しばらくもぐもぐしてから、ようやくエストに声をかける。
「あれ? 食わないの?」
「食べるわよ……どこ行ってたの?」
「ん……服が微妙に乾いてなかったから、朝の見回りについて行ってきた。風に当たれば渇くかと思って」
「見回りって……常駐の?」
「そう。ついでに話聞けたし、悪くなかったな」
スクランブルエッグをすくってトーストに乗せ、レンドールはもう一口齧りつく。エストはテーブルの真ん中に置いてあったジャムを乗せてみた。
「エラリオは?」
半分くらい食べ進めたところで、レンドールが話を振る。
「それが……エラリオの視界を追いながら眠っちゃったみたいで。途中で夢だったのかわからなくなっちゃったんだけど……森の奥で獣を見つけては狩っていて……今朝は昨日と同じような草原で休んでる」
「寝てんのか?」
「ううん。目は開いてる。黙って、景色を眺めてる感じ」
エストは伏し目がちに、食べる手も止めた。食べているときに聞く話ではなかったかと、レンドールもバツの悪い顔をする。
「……すまん。食い終わってから訊けばよかった」
「いいの。大丈夫。暗かったから、あんまりひどい絵ではなかったし、ただの私の夢かもしれないから」
「今いるところには何か特徴はないのか?」
「そうね……チュニアの群生地かな……やっぱり、昨日もいたところかも」
「チュニア?」
「小さな白い花を咲かせる薬草。万能薬的で、手に入りやすいんだけど、ここは結構な広さがあるな」
「万能薬、か。見当はつくが……昨日も同じところにいたって? 戻ったってことか」
「たぶん……」
レンドールはしばし考え込んだものの、手にしたトーストに意識を戻すと、食べることを再開した。
「ま、後だ。食っちまって、獣車に乗ろう」
◇ ◇ ◇
朝一便、午後一便の北側の町に行く獣車は満員だった。思ったよりも利用者はいて、レンドールは客席ではなく御者台に座らせてもらうことにした。シエルバ二頭立てで幌付き。振り返れば乗客の顔も見える。エストと話せなくはなるが、その分彼女はエラリオの動向を追えるはずだと思っていた。
町までは半日程度。二回ほど休憩を挟む予定と聞いている。出発前に客席の様子を振り返った時には、エストはフードを被って端に身を寄せていた。
レンドールに突っかかる様子や、ごろつきを殴り飛ばすのを見た時は、もっと気が強くて口も達者なのかと思ったのだが、食堂や、こうして見知らぬ者同士集まる場所なんかでは口数もぐっと減る。エラリオが愛情たっぷりに育てたのだとしても、逃亡生活や隠遁生活が続いていたのなら、他者との関りは苦手なのかもしれない。
かといって、レンドールが気の利いたことを話せるわけでもなく、なんなら嫌そうに眉を顰められるので、あまり傍にいるのも気が引けていた。
(そういえば、イノシシモドキの子供たちが出てきた時、赤い顔してたな)
思わず身を隠そうと体を寄せてしまったのだが、意外にもかわいい表情をしてたなと思い出す。怒り出す一歩手前だったのかとも思ったけれど、もしかして距離の近さに慣れてなかったのか。
少しずつエストの性格も見えてきて、レンドールは気をつけようと頭を掻いた。
仕事で関わる以外で女性とはあまり縁がなかった。あったのかもしれないが、レンドールが意識したことはない。
それどころではなかったのだ。
幼いころから女子を怒らせるのはレンドールで、それを宥めるのはエラリオだった。少し年を取ったくらいでその属性が変わるとも思えない。一つ良かったことがあるとすれば、エストのレンドールへの評価はすでに最低ラインだということだ。今から繕おうなんて思わなくてもいい。ただ、エラリオを見つけるまでは、せめて協力してもいいと思われるだけの関係は崩したくない。彼女を護るという仕事くらいはきちんとこなさないと。
そんなことを考えていたレンドールの視線に窮屈そうなエストは気付いて、ぷいと顔を逸らすのだった。
町に着き、移動に疲れたのかフードも取ろうとせず少しぼんやりとエストは辺りを見渡している。レンドールは数歩進んでから振り返ってエストに声をかけた。
「おい。少し買い物もしたいから、行くぞ?」
「え? あ、うん」
「悪いが俺だけじゃわからんものもあるから、先に済ませたい。その後は好きに休めば――」
「つ、疲れてるわけじゃないから! 馬鹿にしないで!」
思った以上の勢いで怒られて、レンドールは面食らう。馬鹿にしたつもりはないのだが、どこでそう取られたのか。
ずんずんと先に進みかけたエストはピタリと足を止めて、先ほどのレンドールのように振り返った。
「い、行くんでしょ? 何買うのよ!」
「あ、いや……エストの使ってた目潰しの丸薬みたいなの、あれのサイズが小さいのが欲しくて。材料と作り方を聞こうと」
エストの前に出て、ひとまず香辛料を売っている店に向かう。
「辛味玉……? 小さくしたら、効かないし」
「いいんだ。いちいち相手するのが面倒くさい奴らを追っ払うためだから」
「え? 効きが弱かったら怒らせるだけよ?」
「手で投げるくらいじゃ勢いが足りなくてそうだろうな。俺にはこれがあるから」
レンドールはベルトに挟み込んでいたものを取り出して、にやりと笑った。




