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白の神、黒の魔物  作者: ながる
再会の章

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4-10 レンドールという男

 困惑と、むず痒いような気持ちを宥めながら、エストはレンドールを見上げた。変なことをしようというのなら、股間を蹴り上げてでも逃げ出すべきだとは思っている。けれど、エストを崖に押し付けているレンドール自身も指一つ動かそうとしていないのは気付いていた。

 ……どころか、レンドールはエストを向いてもいなかった。優しく細められた瞳と、軽く緩んだ口元は滝の方に向けられ、今、エストの視線に気付いてようやく彼女を見た。ゆっくりと人差し指を立て、口元に寄せてから、滝の向こうを指差す。僅かに離れた胸元を追いかけるように、エストはレンドールの肩口に頭を寄せて差された方を見た。


 ちいさな丸っこい生き物が数匹、水の縁をウロウロしている。茶色い毛並に黒い縞模様。よくよく耳をすませば「ぷっぷっ」と鳴き声のようなものも聞こえた。水を飲みたいのか、淵を覗き込むけれど、水に映る自らの姿に警戒してすぐに頭を引っ込めてしまう。後ずさりした一匹は小枝を踏んだことに驚いて三分の一メートほど飛び上がった。またそれに驚いて、みんなが小さなパニックを起こしている。

 こらえきれずにくくっと喉の奥で笑ったレンドールに視線を戻して、エストはひどく恥ずかしくなった。


(私に言ったわけじゃなかった……)


 単純な勘違いだけれど、耳元で聞いた声は、エストの名の由来を讃えた時の表情と共に、なかなかエストの内から離れなかった。

 レンドールがエストを甘言で丸め込もうとしても絆されない自信はあったのに、剣を構えるレンドールは、今でも怖いと思うのに……ましてや、エストに向けられたものではない言葉で、どうしてだろうと動揺する。


 エストの中で答えが出る前に、レンドールが小さく「あ」と声を出した。

 パッと離れて駆け出す背中をエストは視線で追う。すぐに何かがぼちゃんと水に落ちる音がした。

 レンドールは勢いのまま水に入って、水に落ちて短い手足をばたつかせていた茶色の塊を掬い上げる。突然現れた人間の姿に水を覗き込んでいた毛玉たちも驚いて、みんな草むらへと突っ込んでいった。

 レンドールに掬い上げられた一匹も、その手が岸に近づくと慌ててみんなの後を追う。

 ガサガサいう草の音が鎮まるまで、レンドールは水の中に立っていた。


「……今の、何?」


 エストの声で、レンドールは水から上がる。


「イノシシモドキの子供だよ。警戒心強くてあんまり見られないんだ。貴重だったな。さっき見た死体、親だったのかもな……で、何を取ろうとしてたんだ?」

「え……ああ、えっと、あの赤い花」


 レンドールが背伸びをしてもまだ少し届かない。早々に諦めて、レンドールはその場に膝をついた。


「乗れよ。それで届くだろ」


 四つん這いになったレンドールの背中を踏み台に、エストはようやく赤い花を摘むことができた。




 レンドールの背中にくっきりついた自分の靴跡を眺めながら、エストは双子のはげ山も確認した。振り返って見える角度も同じで、でももう驚きはなかった。悔しいけれど、ひとりではこの短時間でここまでも来られていなかっただろう。エラリオが協力するよう言ったのは、全くもって正しかったということになる。レンドールへの手紙を破り捨てなかったことは僥倖と言えるけれど、それでもやはりエストは複雑な気分だった。


 ひとたび落ち着いてしまえば、もう変な動悸は起きなかった。突然近づいた距離にパニックを起こしたのだとエストは結論付けている。嫌いな……というより、他人と密着するようなことは、これまでなかったのだから。

 幼い頃は一緒に眠ったエラリオだって、エストが大きくなってからはそんな距離で接していない。少し混乱してしまってもおかしくなどないと、ひとり頷いていた。


 臆病な性格の動物たちに警戒されないために、ぎゅうぎゅう押さえつけられたのかと思うと、なんだか色々馬鹿らしくもなるというものだ。

 レンドールは「山に暮らす生き物のテリトリーに踏み込むのだから、できるだけ彼らには配慮する」と、不必要な剣をふるうことはなかった。それは、エラリオもよく言っていたことで――だからといってエストが彼を許せるかというのは、また別の話。

 ふと、レンドールが足を止めて振り返った。つらつらと考え事をしていたエストも遅れて足を止める。


「……なに?」

「熱冷ましになる薬草が生えている場所が近いんだが、寄っていくか?」


 エストは何度か瞬いて、空を見上げた。まだ明るいけれど、空気は冷えてきている。山歩きで距離は稼げていないから、そろそろ町に向かった方がいいだろう。


「ううん……今日はもう山を下りましょ。ちゃんと追えることはわかったから……って、いうか、薬草にも詳しいの?」

「いいや。たまに、護衛の仕事受けるんだ。場所はわかるし、なんとなくは見てるけど、間違えない自信はないな」

「……そう。他にはどんな仕事受けてるの?」


 レンドールはまた歩き出してから答えた。


「いろいろ。害獣駆除が多いけど、畑仕事手伝ったりもするし、届け物頼まれたりも。辺境は行き届いてないことも多いから、出来ることがあれば何でもやるかな」

「何でも? 護国士は警備とか盗賊退治とか、そういうイメージだけど……」

「町や村の常駐だとそんな感じかな。俺はフリーにさせてもらってるし」

「国を護ってる感じじゃないね」

「なんでだよ」


 ムッとして、レンドールはエストをひと睨みしてまた前を向く。


「滞りなく暮らせる人が増えれば、国は富むだろ」


 小さな衝撃がエストを駆け抜ける。ずんずん進むレンドールの背中を、エストは見つめた。泥が渇いて白っぽくなった靴跡を。

 レンドールから出る言葉は、どれもエストが予想しているものと少し違う。それが、時に胸を騒がせ、恨みの気持ちを揺らがせる。エラリオがレンドールを庇うようにこぼす発言の源を見るようで、エストの心は複雑に揺れた。


(……口先では何とでも言えるもの……)


 「きっと好きになるよ」と予言めいたエラリオの言葉に反発するように、エストは今一度囁いた。


「ずっと、きらい」


 前を行くレンドールの足が緩んだ様子はない。それでも、エストが息を切らせることはなくなった。


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