4-6 古傷
エストの向かった店は、こんな田舎町にあるとは思えないくらいの品のいいカフェで、茶葉を発酵させて淹れるお茶の専門店のようだった。
開け放した入口から見えるショーケースに、カップに入ったケーキが色とりどりのクリームで飾られている。かっちり着飾った親子や、質のいいシンプルな装いの老夫婦がお茶を片手に談笑していて、レンドールは少しだけ気後れしてしまった。
「金払うから、お前だけ食って来いよ……」
入口で背中を押し出そうとした腕を掴まれて、睨み上げられる。
「私も初めてなの! それに、『お前』って言うのやめて。何様のつもり?」
いつものレンドールなら「知るか!」と腕を振り払うところだが、情報交換もしてない状況と、利息をつけると口にした手前、お茶の一杯ぐらいは付き合うべきかと渋々折れる。
目立たない隅のテーブルに陣取って、善し悪しも判らない茶をすすりながら、口の端にクリームをつけてる少女の顔を眺めることになった。
嬉しそうにケーキを頬張る頬はほんのりと赤く染まっていて、レンドールが剣を向けたときの陰鬱さは微塵もない。それだけエラリオが愛情込めて育てたということなのだろう。
それに、明るいところで見る彼女の髪色は生え際こそ濃紺だけれど、毛先の方は明るい黄色で、色が抜けかけているのかとも思えた。
「なあ、それ……染めてるのか?」
「え? それ? ……ああ、違うわ。そうなったの。よく覚えてないけど」
覚えてない? 引っかかる言い方に、渓谷に落ちた時の影響だろうかと考える。
「色が抜けかけてるとかじゃ……」
「よく言われるけど、違うと思う。増えも減りもしないし」
そうか、とありきたりな相槌を打って辺りを窺ってから、レンドールは声を落とした。
「どうやって戻ってきた。あそこから」
ケーキをつつく手を止めて、エストは真顔のレンドールを見た。
しばしの沈黙。
「……覚えてない」
「エラリオに聞いてないか」
エストは小さく首を振った。
「エラリオもわからないって……」
「いつ戻ったのかは?」
「たぶん、三年くらい前」
レンドールは眉を顰めた。
「三年……」
(三年かけてあの崖を登ってきたとでも? いや、違う)
すぐにレンドールは思いついた。
「外……か」
呟きに、エストの手がピクリと反応する。
「……なに?」
「何でもねぇ。聞いても無駄だってことがわかっただけだ」
レンドールに負けず劣らず眉を顰めて、エストは首を傾げた。
「レンは何を知ってるの? 今でも国と繋がってたりする?」
「変なこと言うな? 俺は護国士だ。国のために働くのは当然だろ」
「そうじゃなくて。前は国の人と一緒にいたんでしょ?」
「そうだけど。言ってるだろ。国は一旦の終結を宣言したし、俺も通常任務に戻ってる。あの時の見張りとは連絡もしてねぇ」
「……見張り?」
「もう関係ねぇって」
ふいと横を向いたレンドールが、無意識に左手首をさすったのをエストは見逃さなかった。
エストの古い記憶の中で、少年のレンドールが突き出していた手も左手だ。突如引っ込められたのも。ただの偶然かもしれないし、エストは許すつもりもないのだけれど……
「食わねーのかよ」
黙ってレンドールの左腕を見つめていたことに気付いて、エストは慌てて残りを頬張った。
店を出たところで、レンドールは肩が凝ったとばかりに伸びをした。こんなことが続くなら、下手なことは口走らない方が良かったと少し後悔する。
ゆっくりと下ろした手を、エストが捕まえた。
「……ん?」
ぐい、と袖を押し上げ、手首が露わになる。自然についたにしては少し不自然な、ギザギザした盛り上がりをエストは眉を顰めて凝視した。
「なんだよ」
「なにこれ」
エストがエラリオと離れて不便になったことの一つが、視える恩恵を受けられなくなったことだ。黒の瞳でなら、見たいことが視えるのに……エストは、そういうところでも隣にエラリオがいないことを不安に思う。エラリオは、それに頼っちゃいけないと言うのだけど。
問い詰めるようなエストの声に、レンドールはごく単純な答えを返した。
「古傷」
「普通の傷じゃないよね? 本当に一介の『士』なの?」
「そうだよ。ちょっと前まで減給されてた末端だよ。今はただの傷だから、本当に何も出て来ねーぞ」
「減給?」
レンドールの口からは、エストが思ってもみなかった言葉が飛び出してくる。魔物退治で多大な報奨金でももらって、ふんぞり返っているんじゃないかと思っていたのに。
一緒に行動した役人を見張りと言い、今はただの傷などと言うのなら、当時の彼の行動も国に握られていた可能性も出てくる。エラリオがレンを語るのに「仕事をしただけ」と言っていたのが思い出されて、エストはここでも面白くなかった。
「とどめを刺したくてしつこく追いかけてるんじゃないの」
「なんでだよ! そんなことしたいわけないだろ!」
「じゃあ、どうしてレンが追ったの? 国に全部任せたって……」
顔を上げたエストがレンドールの後ろから腰のポーチに手を伸ばす男に気付いた。気付かれたことを察知して、男は素早くポーチの蓋を開ける。
「……ちょ……!」
エストが声を上げる前に、ポーチに触れた男の手をレンドールは掴んでいた。そのまま前方に放り投げるようにして男を転がす。
「手、もういいか」
「あっ、うん」
エストがパッとレンドールの左腕を離すと、レンドールは起き上がろうとしていたガラの悪そうな男をもう一度地に伏せさせて拘束していく。
「……ったく、そっち狙いもマジでいるのかよ。もうほとんど入ってねぇっつーの!」
ぼやきながら両手をひとつに括っているレンドールを、できかけていた人垣を割って飛び出した者が襲った。首に腕をかけ、抱えるようにして建物の陰に引きずっていく。数人が威圧するようにその入口に立ったので、足を止めていた野次馬は立ち去り始めた。
呆気にとられていたエストが我に返って抗議しようとしたのだが、一歩踏み出したエストの腕も掴まれてしまう。
「色の抜けかけた女かぁ? 高く売れるかもな?」
下卑た笑いを張り付かせた小柄な男の顔を振り返って、エストは思いきり眉を寄せた。




