4-4 親友からの手紙
先ほどまで紅潮していた顔が今度は青褪めている。
怖がらせていると気付いても、そのまま彼女を開放するわけにはいかなかった。レンドールは少女の顔から手を離し、代わりに勢いよく壁に手をついて彼女を逃がさないよう囲い込む。
「お前、あの時の子供だな? その目はどうした。エラリオの目だろ! エラリオは……!」
少女はレンドールの足を思いきり蹴りつけた。
わずかにぐらついたものの、その程度でどうにかなるレンドールではない。顔をしかめるレンドールに、少女は再び食ってかかった。
「生きてるわよ! アンタみたいに親友だと言いつつ剣を向けるようなこと、絶対にしない!」
「……んだと? じゃあ、その目はどうしたんだよ!」
少女の顔は怒っているのに、見つめる親友の瞳の奥は笑っているように思えて、レンドールの勢いはそこでしぼんでしまった。
「取り換えたの。信じないかもしれないけど、エラリオが……」
急に目を逸らして一歩離れたレンドールに訝し気に首を傾げながら、少女は続けた。
「ともかく、上手くやってたのに、書置きを残して……いなくなっちゃって……」
そこでまた涙をこぼすので、レンドールは落ち着かない気分になる。そわそわと足を地面に打ち付けながら横目で彼女を見た。
「泣くんじゃねーよ! 生きてんだろ? そんだけわかれば充分だ。草の根分けても見つけてやる」
少女はきょとんと、下げた視線をレンドールに戻した。
「……私、まだ何も」
「は? そっちの事情なんか知るかよ。俺はこの六年近く、生きてるか死んでるか、死んでる方が高い確率の人間をずっと探してたんだよ。あんたのためじゃねーし、生きてんのに俺に連絡寄越さなかった理由とか、聞きたいこと山ほどあるし、」
「それは……」
「本人に聞くって言ってんだよ。口を挟むんじゃねーや。それで? あんたは俺に八つ当たりしに来たの? 最初に剣を向けたこと、謝る気はねーから、やり返したいなら早くして。死んではやれねーけど」
少女がぽかんと口を開けたまま、自分の手とレンドールを見比べている間、レンドールは黙って待っていた。
「え……えっと……保留、しておく……」
先日の、レンドールが唐辛子爆弾に巻き込まれた姿をエストは思い出していた。あれでだいぶ胸が空いていたことに気付きつつ、いざとなると、無抵抗の人間に暴力を加えるのは心理的に抵抗が強かったのだ。
それに、少女にはまだレンドールに伝えなければいけないことがあった。
「そ? じゃ、行くわ。まだそう遠くまで行ってないだろうしな。あ、いなくなる前はどの辺に住んでた? それだけ教えてくれ」
「え? 本当に今から行くの?」
踵を返して去りかけたレンドールが、思いついて振り向いたところに少女が追いすがったので、勢い余ってレンドールの腕の中にすっぽりと収まってしまった。
「……お」
「きゃっ……」
両者、慌てて距離を取る。
何とも言えない沈黙が流れた。
「な、なんだよ? 他にまだ用でもあんのかよ」
「つ、通報とかする気じゃないでしょうね!」
同時に声を上げたので、どちらも意味を取るのにまたしばらく口を閉じた。
今度はレンドールが少女の目の前に手のひらを突きつけて、先に口を開くことを主張する。
「俺が追ってたのは、『全てを滅ぼす魔物』であって、それも国では一応の終結を見てる。あんたがこの国に復讐をと言うのなら、俺はそれを止めなくちゃならねーけど、辺境で誰かのために薬を調合する一般人をどうこうする権利はない。復讐の相手が俺だけなら、その時俺が相手をすればいいだけだからな」
「じゃあ、エラリオのことは……」
レンドールはふと表情を引き締める。
「……「取り換えた」と言ったか……本人に会って確かめるまでは、何とも言えねえな。アイツが簡単に魔物に取り込まれるとも思えねぇ。どうせ、あんたを守るためにそういう提案をしたんだろ。ここまで噂にもなってないということは、確かに上手くやってたんだろうし」
きゅっと唇を噛んで、少女は一度地面に落とした視線を今一度持ち上げた。
「……あなたに手紙があるの。彼のお願いとはいえ、ずっと迷ってたんだけど……」
「……はぁ!? それを早く言えよ!」
思わず一歩踏み出したレンドールから少女は一歩後退した。
「うるさいわね! いくらエラリオの言葉でも、私と彼を殺そうとした人間を信用できるわけないでしょ!」
「なんでだよ! エラリオが変な嘘つくわけないだろ! お前、本当にあいつを信用してんのか!?」
「当たり前でしょ!? 私が信用してないのはアンタよ!」
レンドールは、ん? と腕を組んで、斜め上など見上げる。
「……それも、そうか? ま、いいか。ほら、出せよ。その手紙とやらを」
ずい、と差し出された手に嫌そうに眉を顰めて、少女は渋々と小鞄からくしゃくしゃになった封書を一通取り出した。
「……破り捨てようとしただろ」
「す、するでしょ!?」
「エラリオに託された物なら、俺はしねー」
キッと眉を吊り上げた少女の手から、奪うようにして手紙をもらい受ける。じっとその封書を見ている間も恨みがましい目で見られて、レンドールは小さく息をついた。
「ずっと手がかりすら得られなかった人間の気持ちも解ってくれよ。あんたも結局破り捨てられなかったってのは、わかってっから」
そのまま、思い切って中を確認する。
とても重要そうなことが、さらりと一枚に簡潔に書かれていた。
瞳を取り換えたために、体調不良や人格の変容が起こるかもしれないこと。自分を探すためには、エストの協力があった方がいいということ。
そして、最悪の時はレンドールが必要だということ。
「……エストってあんた?」
「そうだけど?」
手紙から目を離さないレンドールに、ちょっと拗ねたような顔で少女は答える。
「星か。うまいな」
エラリオのセンスを柔らかく微笑って褒め称える。ともすれば、「これ」「あれ」のような指示語と間違われかねない名前ではあるが、レンドールはエラリオの意図するところを的確に見抜いていた。
エラリオを褒めたのだとわかってはいたけれど、エストは先ほどまでとは違うその表情に、少しだけ心臓が騒ぐのを感じる。
わずかに見入っていたエストの視線に気づいたように、レンドールは彼女の方へ手紙を差し出した。
「……え?」
「内容は知ってんのか? あんた次第だけど」
「し、知るわけないじゃない。そこまで恥知らずじゃないわ。封だってしてあったでしょ!」
「どっちでもいいんだよ」
押し付けられた手紙にエストは目を通す。彼女の知ること以外のことは書かれていない、簡潔すぎる手紙。エストは昔、親友の夢を見たと夜中に涙していたエラリオの顔を覚えていたが、それがいつのことだったかは忘れてしまっていた。話したいことはきっともっとあるのだろうにと、少しだけ同情的な気分になる。
「これだけ……?」
レンドールは首をひねる。
「充分だろ。で?」
「……で?」
「協力してくれんの? くれないの?」
「え? ……あ……」
エストは手紙とレンドールを交互に見て、自分に残された書置きの内容も思い出した。
『俺を早く見つけたければ、レンに協力を仰ぐこと。無理は言わないけどね。その代わり、もうひとつ残した手紙は必ず彼に届けて』
協力すべきかどうか、エストはひどく戸惑った顔をしていた。




