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白の神、黒の魔物  作者: ながる
魔物の章

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3-3 男の素性

 心配がなかったわけではないが、男の異質さは視えていたので、エラリオはおとなしく男の言葉に従った。今のところ、害意が無いのも判断材料だった。

 着慣れない服も男が少女に着せるのを見ていたおかげで迷わずすんだ。

 少女が治療を受けた同じ部屋で、エラリオは椅子に座って膏薬を貼られる。血は止まっていたが、薬は染みてピリピリと痛かった。


「あなたは医者なのか?」


 窓が開いていても部屋に残る臭いと、数ある引き出し、男の手際の良さにそうあたりをつける。


「さてね。専門ではなかったが」

「……最初に、回収、と言ってたな。何を、回収する予定だったんだ?」


 少女の寝ている部屋の方にちらりと視線を流しながら、エラリオは声を潜めた。

 治療を施されても、敵意はなくとも、全くの味方ではないと肌で感じる。

 男はやや首を傾げて、面白そうに口元をほころばせた。


「つまらないことを覚えてるね。君にはあまり関係ないことだよ」

「本当に? じゃあ、おまけとはやっぱり俺のことなんだな」


 すうっと見えない瞳が細められた気がした。


「……それで?」

「彼女を手に入れてどうするつもりだ」


 親切そうに傷の手当までするのだ。魔物の力を手に入れようとしてたりするのだろうか。そうだとしてエラリオに何ができるのか、思いつくことはなかったのだけれど。

 男は面白い話を聞いたというように、くすくすと笑った。


「では、私も聞こう。君が彼女を守る理由は何だい?」


 問われて、エラリオは答えに詰まる。

 初動から自らの意思で動いたのではないことは自覚している。ましてや、世界を救いたいとか、そんな大仰な理由では絶対ない。

 興味。それが一番近いだろうか。レンドールが感じた国のほころび、あるいは闇をつついて広げたらどうなるのか。あの国の神が言うように、世界が滅びることになるのか。

 神のいない土地で生まれたエラリオには、とてもそうは思えなかった。であれば、目の前の命を救いたいとわずかでも思った友の気持ちを尊重しようと……初めは、そうだった。

 言葉を探しあぐねているエラリオに笑んだまま、男は微かに頷いた。


「ああ、気のせいではないのかな。どれ。少し確かめさせてごらん」


 膏薬を貼ったときと同じような手つきで顔に伸ばされた手に、エラリオはビクリと反応した。ゆったりとした手の動きは避けられないわけがなかったのに、気付けば両頬を包み込まれていた。

 額を突き合わせるような形で、視界に包帯しか映らなくなる。


「すまないね。痛いことはないから安心してくれ。遠いから、こうしないと視えないんだ」


 あまり物事に動じてこなかったエラリオだったけれど、さすがに視線が落ち着かない。


「……なるほどね」


 数秒で開放され、なにやら思案顔になった男をエラリオは黙って見上げた。


「さて、どうするべきか……」

「……なんだよ」


 ひとり、解ったような顔をされるのは居心地が悪い。自分のことなら――たとえば何か病気が進行しているというなら、知っておきたかった。


「ああ。違う。君が考えていることは、()()()的外れだよ」

「的外れ?」

「うーん。お茶でも入れよう。薬湯じゃなくて、もう少し香りのいいものを」


 そう言って、男はテラスに面した大きな窓のある部屋へとエラリオを誘った。




 細く開けた窓から緩やかな風が入ってくるその部屋は、男の私室のようだった。

 綺麗に整えられたベッドに、ゆったりくつろげそうな大きめのソファ。ガラスのテーブルは、レンドールがジョッキを置いたら割れてしまうかもしれない。

 ソファを勧められ、爽やかな香りのお茶を淹れると、男は床に座った。


「まず、私が欲しいのは彼女ではない」


 そう言って、男は目元に巻いていた包帯をほどき始める。閉じられた目は通った鼻筋や形のいい唇に似合いの、涼やかなものに感じられた。

 が、ゆっくりと開いた瞼の下には想像した瞳は無かった。黒々とした闇が巣くっているような、ぽっかりとした穴が開いているだけ。

 茶を手にしたまま固まって目を見開いているエラリオに、男は笑った。


「なに、そう不自由はないんだ。ただ、放っておくと厄介だから、回収しておきたかっただけで」

「……厄介……?」


 掠れた声を湿らすように、エラリオは茶に口をつけた。


「あの瞳は私の物だから、私が扱う分には問題ない。でも、君たちには荷が勝ちすぎる。溢れた力は攻撃性となって周囲にまで影響を及ぼしてしまう、ようだ」

「ようだ? そもそも、あなたのものだと言うなら、どうして彼女が」


 男は話しながら慣れた手つきで包帯を巻きなおしていく。


「奪われたからだね」


 端的な答えに、だがエラリオは納得しなかった。


「彼女がそんなことできるわけがない!」


 中からどうやって外に出るというのか。外に出てどうやって戻るというのか。


「彼女とは言ってないだろう。ところで、彼女に名前はつけてないのかい? その程度なら置いて行ってくれないか」


 エラリオは頭に登った血が不意に冷めるのを感じる。

 よく考えれば、奪った誰かが自分に都合のいいものに押し付けたと考える方が自然だ。

 名はつけていた。ただ、名を呼べば、そこから居所が知れる可能性があったから、今までは二人きりのとき以外呼ばなかった。

 

「エスト……」

「ああ。(エストレア)か。なるほど。趣味がいい」


 意味を拾われないように短くしたのに、男はさらりと読み解いた。

 少し憮然としたエラリオに男はふふと笑う。


「エストは君によく懐いているだろう? 君も、理由はよくわからないまま守りたい思いが強いんじゃないのかな?」


 そうかもしれないと思う。きっかけはどうあれ、今はエラリオ自身の意思で彼女を守りたいと感じている。だがそれは、誰にも渡したくないという想いとはまた違うものだ。


「私の眼球(めだま)を奪ったのは女だったよ。彼女は「あなたの子が欲しい」と言った。以前に助けた女に与えたように、私にも、と。ああ、誤解無きように言っておくけどね。私たちは君たちと子をなすことはできないからね? 難しい話は抜きにするけれど、流れている時間が違うと考えてもらえばいい。丁重に断ったつもりだったんだが、どうやら欲しかったのは子ではなく私の(ちから)だったというわけさ」


 男は茶をゆっくりと飲み干してから、エラリオの方へ少し体を傾けた。


「君はここがどこだかわかっているかい?」

「エスコンディード、と呼ばれてる土地じゃないかと」


 男は頷いた。


「そう。引きこもりの地。何もかもに愛想をつかしてそうしたのだけれど、数年に一度は誰かが迷い込んでくる。こんな奥地までやってくる者はたいがい怪我をしていたり、瀕死だったり。放っておけばいいのだろうけど、まあ、色々あってね。そうするにはちょっとバツが悪い。だから、最低限の治療を施して追い返してた。おかげで最近は『仙境の医師』と呼ばれてるらしい。まったく、勝手なものだ」


 その名はエラリオも聞いたことがあった。外ならぬ、母から。

 つまり、目の前の男は引きこもりの神で、仙境の医師で、魔物、ということになるのだろうか。

 情報の多さに混乱しかけ、軽くこめかみを押さえたエラリオに、男は薄く笑みを浮かべた。


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