7-27 旅の終わり
レンドールが目覚めたのはそれから三日後だった。
誰かの手を握りしめたままで、確認すればエラリオだった。隣り合わせで隙間なくくっついたベッドが、レンドールがその手を離さなかったのだと告げている。
その手はほんのり温かくて、そっと脈を探れば指先にとくとくと振動が伝わる。黒ずんでいた指は爪の先まで綺麗になっていて、全てレンドールの夢だったのではないかと思わせた。
それでも片方だけの視界が夢でも幻覚でもなかったと知らせて、じわじわと実感が湧いてくる。飛び起きたいところだったけれど、ギシギシいう身体はそれを許さなかった。
息を切らせながらどうにか寝返りを打って、エラリオを抱きしめる。左腕には添え木がしてあってそれも大変だったけれど、看護師に見つかって引き離されるまでレンドールはそうしていた。
飛んできた医者に「目覚めたなら部屋を移す」と言われてひと悶着して、現れたラーロにひとまずとりなしてもらった。
レンドールが詳しいことを聞いたのはこの時だ。
エストは特に問題なく次の日には目覚め、毎日様子を見に通ってきているらしい。
「今日も来ていたはずですよ。明日も来るんじゃないですか」
あまり興味なさそうに言われて、レンドールは相変わらずだなと息を吐く。
「エラリオは……もう大丈夫なのか?」
「ええ。魔物は去りましたから」
「魔物……って!」
じっとレンドールを見つめて、ラーロは少しだけ声を潜める。
「『外』に戻りましたから、大丈夫です」
「は? え? ラーロが追い返した、のか?」
とたんにラーロは不機嫌になった。
「面倒なので説明したくありません。今度暇なときに気が向いたら話してあげます」
「あんたが暇なときなんてないだろ」
ふん、とラーロは鼻で笑った。
「ともかく、部屋はこのままにさせますから、変な騒ぎを起こさないでください」
「って、言っても……どこまで話していいんだよ」
「全部話さないでください」
「えぇ……?」
「彼は魔物に憑りつかれて山奥をさ迷い歩いていた所にあなたたちが鉢合わせた。と、いうことにしました」
「しました。じゃ、ねーわ」
「激しい戦闘で山崩れが起きて、全員が巻き込まれた。瀕死の重傷を負った魔物は彼から離れて新しい身体を探しに出た、んじゃないですかね」
投げやりな態度に、レンドールも半眼になる。
「誰が信じるんだよ」
「言い続ければ意外と信じますよ。彼には黒化もないし、黒の瞳もありません。いくら調べてもそれ以上は出てきませんから」
「ない?」
「あなたも、無いでしょう?」
言われてレンドールは、包帯の上から右目をそっと押さえてみる。そこには確かに穴があるだけだった。
「でも、じゃあエラリオの目は……」
レンドールはそっとエラリオの閉じた目を窺う。
「本人の目をひとつ戻してあります」
「ああ……え? じゃあ、エストの目は!?」
「うるさいですねぇ……もうひとり呼びますから、そちらに聞いてください。私は忙しいので戻ります」
「あ、おい!」
ラーロはそのまま部屋を出ていき、しばらくしてリンセが顔を出した。
ベッドの上に身を起こしているレンドールにほっとした笑顔を向ける。
レンドールはようやく意識のなかった間のことをリンセから聞いたのだった。
「すまんが、俺も一部思い出せねぇとこがあるんだよな。誰かが来て、色々処置してくれたのはそうなんだが……なんだかぼやけて」
「ああ、いい。だいたいわかった。あいつらに都合の悪いことは伏されたんじゃないかな」
「そうかねぇ。こっちのこと見逃すから、そっちも言うなって釘も刺されて、怖ぇ怖ぇ」
大げさに身を震わせるリンセにレンドールは笑った。
「……って、いてて」
笑うだけで内側から痛みが湧いてくる。それでも、笑い話になってよかったとレンドールは思うのだった。
エラリオが目覚めたのはその次の日。
片方だけだったけれどエラリオに青い瞳が戻っているのを見て、レンドールはうっかり涙ぐんでしまった。
案の定エラリオに笑われる。
「……でもさ、俺より酷い状態だったのに先に目覚めてるなんて、どんだけ丈夫なの?」
「うるせーな。そんで助かったんだからいいだろ」
背に枕をあてて半身を起こしてやり、レンドールはついでにこめかみを指で弾こうとした。
軽く頭を傾けてエラリオは直撃を避ける。
「どこから覚えてるんだよ? 俺の目を取ったのは、片目になれば影響は半分になるって教えるためだよな?」
「レン……」
エラリオは深々とため息をついた。
「そんなわけないでしょ。そうだったら握り潰したりしなかった。ホント、信用しすぎ」
「えぇ……? でも、覚えてるじゃないか」
「意識はずっとあったよ。でも、夢を見てる感じだった。全然、思い通りに動けなくて……ひどく腹立たしくて、暴れたくて、でも、レンと戦っている時は少し楽しくもあって……」
手のひらに視線を落として、エラリオは苦笑する。
「……あれは、エストが感じた恐怖をわからせようって。たぶん、そういう感じ。そうしたら、予想外に彼が執着してたから、そういうものを一方的に取り上げたらどういう気持ちになるのか味わわせてやりたくなって。俺と、俺じゃない意識がどんどん曖昧になってて……だから、レンが思うほどすごくなんてないんだよ」
「でも、結果的にあれで閃いたし。それでお前も戻ってきたし」
「俺が戻れたのはレンが馬鹿な選択をしたから! 本当に、飛び起きた気分だった……」
エラリオがレンドールの右目の包帯に手を伸ばすのを、レンドールはニカっと笑って受け入れる。
「じゃあ、やっぱりそれでよかったんだろ! お揃いで眼帯作ろうぜ」
包帯を指先で撫でながら、エラリオは諦めたように一息漏らした。
「まったく……レンもケガ人なんだから、おとなしくしてなよ」
「もう退院してもいい。ただ……お前を連れて帰るから、まだいるだけだ」
「……そっか。俺、帰れそう?」
レンドールはラーロに聞いた話をしてやる。
「だから、たぶん帰れる。ちょっと、周りの視線は痛ぇかもだけど」
「全然、いいよ。帰れると思わなかった」
青い瞳が潤むのを見て、レンドールもまたつられそうになった。
そこへ、エストがやってきた。
入口で一度足を止めて、みるみると泣きそうな顔になり、次の瞬間にはエラリオへと飛びついていた。
「いたた。エスト、ちょっと、痛い」
助けを求めるようなエラリオの視線を見なかったことにして、レンドールはそっと病室を出た。
それは、もうわかっていた光景で、村にはエストも連れて帰ることになるのだろう。二、三、深く呼吸して「大丈夫」と口にする。
最後にあんな方法で薬を飲ませたことも怒っているかもしれない。
どうにも気まずくて、その日自分の病室に戻らずに小児病棟の遊戯室で夜を明かして、レンドールはまたこっぴどく怒られたのだった。




