7-26 夜の開く音
「どいて」
ラーロに押しのけられ、エラリオは思わず憎悪の感情をラーロに向けた。
ちりちりと自分が焼かれ何かと混じってしまいそうになる。
「そんなに……そんなに力が大事か!」
「半分ならどうにかなるから、どけろって言ってんの!」
ラーロはレンドールの顔をもぎ取るようにして奪い取り、ぎろりと睨み上げる黒い瞳に両手をかざす。
白い瞳が揺れ、両手の下からまばゆい光が漏れ出してくる。
今のうちにラーロをどうにかしようかと考えて、エラリオが力を使いこなすことは出来ないのだと思い出した。
何より、エラリオの身体もあちこち悲鳴を上げていた。自分の実力以上の力を出して動かされていたのだ。意識を保っているのも半分意地だった。
レンドールがどうなるのか、せめて見守らねばと。
ラーロも時折表情を歪める。額に汗も浮いている。
半分相手にも楽をしているようには見えない。
目には見えない一進一退の攻防の決着がついたのは、東の空がほのかに色づいてくる頃だった。
ラーロの手の中の光が徐々に暗くなり、彼が「ぐっ」と呻いた後に完全に消えた。
どうなったのかと身を乗り出したエラリオの目に、ラーロの口の端から零れる赤が見えた。
「……ど」
どうなった、となんだか問えなかった。
ぐいと口元を拭うラーロはまるでなんでもないことのように口の端を引き上げた。
「どうにかなるって、言ったでしょ」
レンドールの目の周りに現れていた痣は消えていた。意識はないようだけれど、苦しそうな表情はしていない。
その時、どこからかガラスに罅が入るような音が聞こえてきた。初めは小さく、やがて集まってさざめくように。
何の音かとエラリオはレンドールを庇うように抱き寄せた。ラーロはぼんやりと空を見上げている。
やがてそれはパーンと弾けた後、キラキラと星が降るような音をしばし響かせてから聞こえなくなった。
音に反応したのかどうか、レンドールが意識もないままにエラリオの腕を掴む。
「今の音は……レンは……何を、した?」
レンドールの呼吸は落ち着いている。あちこち傷だらけで痣だらけだけれど生きていることは判る。
ラーロはフン、と鼻で笑ってエラリオを見下ろした。
「君には教えてあげない」
カチンときたけれど、エラリオの腕を掴んでいるレンドールの手にきゅっと力が入ったので、エラリオは深く息を吐くだけに留めて自身も意識を手放したのだった。
のちに。
この時の音を『夜の開く音』と人々は言い伝えることとなる。
◇ ◆ ◇
恋人同士のように寄り添うエラリオとレンドールを見て、ラーロは小さく肩をすくめた。色を増す東の空を眺めていれば、背後にふわりと人の立つ気配を感じた。
「……何さ。今度はどこに閉じ込めるつもり?」
無言でひとつ拳骨を落とされて、それでもラーロは振り向かなかった。
「取り返せばいいじゃない。半分を無力化するのに僕の力をほとんど使っちゃったもの。ホント、化け物」
「クラーロ」
どこか気だるげな声は、忘れたと思っていたのにラーロの耳によく馴染んだ。
「言うことはそれだけかい?」
黙り込むラーロの背に、小さなため息がこぼれる。
「……何か言ったら、僕にいいことあるの? 変わらないでしょ」
「こういうのはけじめだから。君にとっても、私にとっても、ね」
「…………許されることをしたと思ってないから、謝らない」
小さな小さな囁き声よりももっと小さく、ラーロは口の中で転がした。
「誰の受け売りだい? それが解っていたならこうはなってないだろう? ……とはいえ……」
ぐしゃりと髪をかき混ぜられ、ラーロはようやく後ろを振り返る。
「まがりなりにもそこに行き着いたことは評価しよう」
目元に包帯を巻いて異国風の衣装を身に着けた、黒髪の背の高い男がいた。
「……なにその格好」
「人のことは言えないでしょう」
小さく息をついて、トントはレンドールたちへと目を向けた。
「これを見越して彼を造ったの?」
「まさか。そんな計画性があれば、君を好きにはさせてはおかなかった。さて……」
トントは木立の中に視線を向ける。
「そこの人も出てきてもらおうか。後始末に協力してもらおう」
木立の中から出るに出られず息を殺していたリンセは、その声に肩を跳ね上げ、大きなため息をつきながら渋々と姿を現した。
エストの眠る小屋に一同は集まることとなった。
意識のない者が多くて、床に並べて寝かされていた。ラーロはベッドに腰かけて足をぶらぶらさせている。トントが一人一人の様子を診てしばし思案するのをリンセが部屋の隅に立って眺めているという構図だ。
「エラリオの浸食が大きい。このまま医者に診せられる状態じゃない……よく耐えたものだ。瞳を返してもらうのは簡単だけれど、そうなると彼は両目を失うことになるのか……」
「いいんじゃない? べつに」
トントに睨まれて、ラーロは肩をすくめる。
「エストにひとつ返してもらおうか。クラーロ、義眼をひとつ作りなさい。工作は得意だろう?」
思いきり顔を顰めたものの、ラーロは黙って両手を少し膨らませて合わせた。
「力が足りない。時間がかかるよ」
「ゆっくりでいい」
その間にトントはエラリオの黒化した手足を撫でているようだった。しばらくして黒い煙のようなものが染み出てきて、それが風に流されるようにラーロの手元へと伸びていく。
「足しになるだろう?」
「嫌味」
今度はトントが小さく肩をすくめた。
そのまま、口を挟むこともできずに所在なく視線を動かしていたリンセに近づいていく。リンセは意味もなく背筋を伸ばした。
「あなたに覚えていてもらいたいのは二つ。魔物は去った。そして、それぞれの瞳の行方。彼の瞳は戻さない。片目でも大丈夫だろう。エラリオにはエストから一つを返してもらう。そして、エストには義眼をひとつプレゼントしよう。腕のいい作者だから、そうとは気づかれないようなやつを。おそらく彼らもそれを望むだろうから」
「だから、嫌味だって!」
「違う。手を抜かないように、だ」
ぷぅ、と頬を膨らましてラーロは黙った。
「後から彼に褒めてもらえるかもしれないだろう?」
レンドールを指差すのを見て、ラーロはぷいと顔を背ける。
「この後僕はどうなるかもわからないのに」
ひとつ息を吐いてトントはリンセに顔を戻した。
「まあ、ともかく。あなたはその二つを伝えてくれればいい。私の結界と共にクラーロの記憶への干渉も無くなったから『外』の記憶も取り戻そうと思えば戻せる。功労者の一人として選ばせてあげよう。開くか、閉じるか」
リンセは少し首を傾げて、にやりと口元を歪ませた。
「今まで必要なかった。んじゃ、これからも必要ねぇ」
「了解した。あなたもしばし休むといい」
リンセの目の前で手を振れば、それだけでリンセの意識は暗転した。崩れ落ちる身体を受け止めて、トントは彼も横たえる。
「クラーロ。我々の沙汰はまだ決まってないんだ」
「そう。のんきなことだね。それとも、まだ何か横から攫えないか待ってるのかな」
「現在までのレポートを渡しなさい。記録してるだろう?」
「あいつらに盗られるのは嫌だ。それならトントがこの世界ごと壊して。そうするつもりだったんでしょう?」
トントは素直に頷く。
「そうだ。けれど、少し気が変わった。今までのものと、これから彼らが亡くなるまでの間、記録を続けなさい。私がかけ合います。君のことは無理でも、この国は、ここの生物は守られるかもしれない」
ラーロは顔を上げる。
トントはレンドールの右目に手を添えた。
「君の封じたこの目はそのまま回収しよう。だから、君はもう大きな力は使えない。今までと同じには暮らせない。その上でどう暮らし、どう生きるのか、その日まで考えなさい」
「閉じ込めないの」
「閉じ込めていた日々で変わったことはほとんどなかった。自由に力が使えなければ、結界がなくともまだしばらくここは外と繋がらない。私も見ている」
ラーロはトントからレンドールへと視線を移して、しばらくじっとその顔を見つめていた。




