7-25 半分
レンドールのことを見縊っていたわけでも、黒の瞳が見誤ったわけでもない。
レンドールは確かに満身創痍で、武器も手にしていなかった。だからエラリオはそれに合わせて手合わせを始めようとしたにすぎない。
だから、痛みの無くなったレンドールの動きの方が少し早くなっただけ。
エラリオはよろりよろけて、また不思議そうに数度瞬いた。
それでも、エラリオが倒れることはなく、ダメージもそれほどないのだろう。続いたレンドールの蹴りはあっさりと躱された。
下がりながら向けられた視線がレンドールの後ろにいたラーロを探すのを見て、レンドールは得意満面で前に出た。
これでしばらくはレンドールに付き合ってもらえる。
ラーロはすでにレンドールの背後にはいない。
ドアからドアどころか、任意の場所に一瞬で移動できる。ラーロの移動の力はそういうものだった。制約があると見せかけていたにすぎない。あるいは、その方が不審がられないとの経験からかもしれない。
どちらにせよ、黒の瞳の力も違いはないはずだ。
現にラーロとの戦いは地上に留まらないし、レンドールたちの目では追えていない。
そんな相手に勝てるなんて思わない方がいい。
わずかな間、遊んでもらえているうちがチャンスだった。武器を失い、満身創痍の肉体のみでの抵抗。
無駄な力はいらない。必要ない。
(そう、思え!)
エラリオの後ろ蹴りを左腕で受け止める。
嫌な音がした気もするが、どうせ痛みはない。同じような蹴りを返すけれど、レンドールはエラリオほど綺麗な回転にはならない。受けるまでもなく避けられて、背中に一撃を食らう。背骨が折れなかったのは単なる幸運だったのかもしれない。
前にのめった体を前転にて立て直し、右腕だけで支えた身体を捻って回す。逆さに映ったエラリオが下がったのを確認して飛び起きた。
すでに踏み込んでいるエラリオが狙う腹への一発は叩き落すように払って、下がった肩を相手の顎めがけて突き上げる。
引いて避けるかと思ったレンドールだったけれど、エラリオは腕を捕らえてわずかに軌道を逸らし、ついでのようにその腕を捻って足を払った。
レンドールの視界がぐるりと回る。
地に背を打ちつけ、追い打ちの肘鉄を腹にもらう。反射的にくの字に丸まったレンドールの顔を蹴り、上がった顎をエラリオは掴む。
感情の乗らない黒い瞳を見て、レンドールは薄く笑った。
わずかに眉を寄せたエラリオが何かに気付いて首をすくめる。髪を掠めて風が通り過ぎ、その背に当たったものがエラリオの身体をレンドールに押し付けた。
すぐに起き上がろうとエラリオは動き、けれど意識は後ろにあった。レンドールから視線を外し、後ろを振り返ろうと。
「エストが眠っていてよかった」
レンドールの呟きに視線を戻そうとしたエラリオの左目に、レンドールは指を突き立てた。自分にされたようにその目を抉り出す。躊躇いは許されない。
痛みを感じたのか、それともただ単に離れようとしたのか、身を引いたエラリオは結果としてレンドールの手の中に左目を置いていくこととなる。眼下の周囲に張った根のようなものが、未練がましく纏わりついているのをレンドールは力ずくで引きちぎった。
レンドールはゆらりと立ち上がる。
「さあ、これで影響は半分だろ。起きやがれ」
エラリオの残った黒の瞳が乱雑に揺れた。
レンドールの手の中の瞳も、もがくようにぐるりと回転している。
ちりちりと炎に炙られるような音がして、エラリオの髪の毛先が黒く染まる。ふと見たレンドールの目玉を掴んでいる右手も、薄く黒い炎に包まれていた。
「……エラリオ!!」
レンドールの叫びに、エラリオは無くなった左目を押さえて眉を寄せる。
レンドールのこぶしを包んでいた炎は腕を舐め上がっていた。
焼き尽くされる前にエラリオが正気を取り戻せば。
エラリオの周りで空気や地面が小さく弾け始めた。レンドールに向かってはこないが、エラリオに近づけもしない。
このまま我慢比べかと思った矢先、レンドールの前にラーロが現れた。
「おまっ……出てくんな! せっかく……!!」
エラリオの周りで弾けていたものが、全てラーロに向かって行く。
ラーロが冷静に腕をひと振りすると、それらは見えない壁に阻まれた。
嬉しそうに笑い、ラーロはレンドールの腕の炎もひと撫でして払う。
「ええ。上出来です。それを渡してください。私なら、上手く使える」
ラーロが力ずくで奪い取らなかったのは、気まぐれだったのか、信頼だったのか、それとも神の采配か。ともかく、それがレンドールの行く道を決定づけた。
「ダメだ。あんたには渡せねぇ!」
どうにもならなければ谷に還す。それがエラリオとの約束だ。
目を見開くラーロがやけにゆっくりと見える中、レンドールは手のひらの中の黒い瞳と視線を合わせていた。それも、無くなった右目で。
断られたラーロが諦めるはずもなく、しかしレンドールが彼を止める術もない。わずかばかりの時間の中で、お互いの結論が一致してしまった。
ラーロがその目を開ききる前に、レンドールは右手を開く。黒い瞳は迷いなくレンドールの空いた眼窩へと飛び込んだ。
ラーロの驚きの表情がさらに重なる。
「……レン!! 何してるの!!」
「だ……」
レンドールに掴みかかったラーロは背後からの声に振り返る。
「だめだ……レン、それ、は……!」
「きみ……」
「……エラリオ。やっぱり、すげーじゃん。ちょっと、ねぼすけだったけど。俺が半分引き受ける……か、ら?」
レンドールの手足が震え始め、それは徐々に全身へと広がっていく。立っていられなくなって膝をつき、ラーロに見下ろされる形となる。
覚束ない足取りで、それでも急いでエラリオはやってくる。
「駄目なんだ。俺がここまでまがりなりにも大丈夫だったのは理由があって……お願いだ。戻してくれ。戻った瞬間に首を落とす隙くらいはできるから。そうしたら、谷に……!」
エラリオはレンドールとラーロに交互に視線を向けて哀願するようにそれぞれの服を掴む。
どちらも何も答えないので、エラリオの手はレンドールの顔を持ち上げた。
「ごめん、レン。何度も」
朦朧としているのか、レンドールのお日様色の瞳もエラリオを映さない。黒い瞳を取り出すべくエラリオはその瞳に手を伸ばした。
その手が弾かれる。
「……え?」
ぎょろりと動いた瞳がエラリオを拒絶している。
「どうして……」
エラリオの目の周りに浮かぶ黒い痣と同じものが、根を伸ばすかのようにレンドールの瞳の周りにも現れ伸びていく。
「やめてくれ……! レン! レンドール!! 飲み込まれるな!!」
エラリオも陥ったからよくわかる。抗えるものではない。
エラリオは喉が破れるほどに叫んで、レンドールを抱え込んだ。




