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白の神、黒の魔物  作者: ながる
瞳の章

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7-22 意地悪な質問

「ドコ」


 遊んでやったのだから教えろと言わんばかりに、エラリオの笑みは勝ち誇って見えた。


「……わかんねぇ!」


 嘘ではない。今どこにいるのか、戻ってくるのかもレンドールにはわからない。

 すっと表情の消えたエラリオにレンドールは剣を握り直す。


「俺が相手になるって言ってんだろ! エラリオはまだ寝てんのかよ」


 無造作に剣を振り上げ、エラリオはそれをひと振りした。風を切る音に、反射的に剣を合わせる。

 何もないはずの中空でレンドールの剣に何かが触れた。そのままためらわずに横に流す。流した先に立っていた木の幹に派手な音を立てて深い傷がついたのを見て、レンドールの首筋に冷汗が伝った。


「こっちの話には答えねぇのかよ……」


 ふわりと重さを感じさせずにエラリオはやってくる。

 下から掬い上げるような剣を受け止め、捻って払う。エラリオは引かずに、弾かれた剣を水平に戻してきた。

 下がっても剣先が届く距離に、レンドールは斜め前へ抜けようとする。エラリオはくるりと回った。

 左の脇腹、レンドールの負傷箇所をエラリオの(かかと)が抉る。


「あ゙っ……ぐ……!!」


 草むらに伏し倒れ込むレンドールにエラリオは剣を振り降ろす。レンドールは顔を歪めながらも、仰向く勢いを利用してその剣を弾いた。

 エラリオが少しだけ口角を上げる。

 そのまま続けて座り込んだままのレンドールに雑に剣を振る。単純な動きは読みやすいけれど、レンドールが体勢を立て直すほどの余裕は与えてくれない。片手でいざるようにして後退しつつ応戦する。防ぎ損ねたいくつかが腕や腿を薄く裂いていった。

 浅い傷をもういくつか増やしたところで、レンドールはエラリオを蹴りつけることに成功した。左腕に少し深い傷を受けたけれど、エラリオが下がった隙に立ち上がる。

 先ほどよりもはっきりと笑んだエラリオの瞳がゆらりと揺れた。



 ◇ ◆ ◇



 エストは小屋の入り口を出たり入ったりしながら様子を窺っていた。

 時折、見通しの良くなった西の方から地響きが聞こえてくる。そのたびにヒヤリとしてエラリオの視界を覗くけれど、誰かを探すように左右に揺れるだけで他の人がどうなっているのか掴みにくい。

 しばらく後にラーロやレンドールが無事なのを確かめて、でも次のぶつかり合いは怖くて見届けられない。そんなことを繰り返しながら、黙って座っていることもできずにうろうろとさ迷い歩いてしまうのだ。

 怪我をしてきた時のための消毒薬や痛み止め、ガーゼや包帯など、もう何度も確認してはため息をつく。


 エラリオとレンドールが手合わせと称して剣を合わせる時も、ギリギリの攻防が怖くて遠くから見守ることしかできなかった。けれど、エラリオの意志が見えない今は、あれでも互いへの信頼と情があったのだと解る。

 今のエラリオの視界には、温かみが感じられない。レンドールを見る時も見知らぬ人を観察するように見ている。それがわかってしまうだけに、エストは信じ切れないのだ。

 しばらく風の音だけしか聞こえなくて、エストは小屋の中へと戻ろうとする。その行く手を遮るように誰かが横切った。


「え……?」


 クリーム色の法衣は『(ツカサ)』のもの。その後ろから引きずられるように小豆色の制服が現れて、がくりと崩れ落ちた。

 一瞬血の気が引きそうになって、長めの緑色の髪が目に入る。レンドールではないとわかったけれど、その『()』のいつもの陽気さは見えなかった。


「……ぉ……」

「あぁ。やはり」

「おぉぅえぇぇぇ」


 平坦なラーロの声に、エストは困惑しつつも盛大に吐き戻しているリンセの背をさする。


「あの……どう、して……」

「連れてきた理由ならレンに頼まれたから。吐いている理由なら、酔ったから、ですね……お酒じゃないですよ。乗り物酔いに近いです」


 眉を顰めて手を止めたエストに気付いて、ラーロは付け足した。


「強めの気付け薬を処方してください。のんびりしてられないので。レンはまだ無事ですか?」

「え!?」


 今度こそ青褪めて、エストはエラリオの視界に意識を飛ばす。

 眼前であちこち傷だらけのレンドールが剣を掲げて表情を強ばらせていた。次の瞬間にはエラリオ(じぶん)の振り下ろした剣がレンドールの剣を折り、レンドールが衝撃で吹き飛ばされていく。


「……レン!!」


 エストが叫んだのと、西の方から地響きが聞こえてきたのはほぼ同時だった。

 音に振り向き、動き出そうとしたラーロの法衣の袖をエストは掴む。


「エラリオは……戻ってくる?」


 幼子のようなエストの問いに、ラーロは眉を寄せた。

 西の方を一瞥してからしゃがんでいるエストに合わせて屈み込み、固い声で言う。


「戻ってくる可能性があるのなら、山をいくつ消しても彼を助ける方を望みますか? 今、止めなければレンが死ぬことになっても? あぁ、貴女はレンを恨んでいるのでしたっけ」


 涙をためて、エストは黙した。


「……意地悪な質問でしたかね」


 ラーロはエストの前に手を差し出した。手のひらには二つの似たような錠剤。


「あのバカは何を言っても止まる気がありません。正直、無駄なことだと思ってます。役に立たなくなったら、おとなしく引っ込んでいてもらいたい。彼が動けなくなっていたらこちらに運びますから、鎮痛剤だとでも言って飲ませてください。右がエラリオさんに飲ませたものと同じもの。左がいわゆる毒薬です」


 エストの両手に一つずつ錠剤を握らせ、ラーロは意地悪く微笑む。


「貴女に売った恩もありましたね。もう私の邪魔をしないよう彼を止めてください。どちらを使うかはお任せします」


 エストが是とも否とも答えぬうちに、ラーロはリンセを指差し、「薬を」と急かした。

 いくつかの薬を飲まされ、「鬼……」と呟くいい年のおじさんを引っ立てるように腕を引く少年の姿は、緊迫した雰囲気に似合わずどこか滑稽だった。

 ラーロが移動しようとレンドールの居場所を探った時、その気配の揺らぎに息を止めた。

 リンセの腕を放し、ラーロは振り返る。

 百メートほど先に、足に縋りつくようにしていたレンドールを蹴り倒すエラリオの姿があった。


「レ……レン! エラリオ……!」


 小豆色の制服は血が滲んでいても目立たない。それでも、遠目に見てもレンドールはぼろぼろだった。

 思わず駆け出したエストに、エラリオの視線が向く。


「……エスト」


 エラリオが小さく呟く声をレンドールは聞き逃さなかった。

 もう、全身が痛いと悲鳴を上げている身体をそれでも跳ね起こす。エストを背に庇うようにエラリオとの間に割って入り、黒の瞳を睨みつけた。


「起きたか? まさか、彼女まで手にかけねぇよな?」

「レン、レン! 傷の手当てを……」

「んな暇ねぇだろ! 下がってろ!」


 左脇腹と左腕の傷に気付いたエストが、回り込んできたのをレンドールは牽制する。エラリオはわずかに目を眇めてエストを押しやった。


「……きゃ……」


 レンドールやラーロにするよりはだいぶ手加減されていたけれど、それでもエストはバランスを崩して尻もちをつく。


「こんの……! 泣かすなって言ったの、お前だろ!」

「な、泣いてない!」


 そういうことじゃないと、レンドールはエラリオの顔に右のこぶしをぶつける。

 一瞬きょとんとしたエラリオはレンドールの顔を見て、それからエストの青い瞳と視線を合わせた。

 しばし静寂が支配する。

 にこりとエストに笑いかけて、エラリオはもう一度レンドールと向き合った。


「レン」


 名を呼ばれ、差し出される手にレンドールは思わず眉を開く。


「エラリ……」


 レンドールの顔に伸ばされた手は、優しく頬を伝い、そのままレンドールの右目に指を食い込ませた。


※次回冒頭に身体損傷の表現があります。苦手な方はお気を付けください。

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